第四話 日向の阿修羅


 生きてる……。


 日向は歩きながら、いま生きていることを改めて実感した。


 さっきまで、本気で死ぬと思っていたのに。


 口の中の苦さも、左肩の痛さも、全部が日向に、いま生きていることを実感させる。


 楓は足を止めず名古屋城へ進んでいく。


 何かの情報が得られるのではないかと思って、楓に近づいて、その横顔を見上げた。


「ねえ、なんで、大阪国の獣がここにいるの? どうやって入ってきたの? あれはなに?」


 楓はチラッと日向を見て、真っ直ぐ前を向きながらも口を開いた。


「お前、四〇年前に現れ、武器の技術を発展させた大阪国の『六死外道ろくしげどう』は知ってるか?」


「え? まあ、うん」


 日向は『戦学』で日本大陸の歴史は習っていた。



「いまの大阪国の王は、そのと自称している」


「六死外道に子孫がいたの!?」

 つい大きな声を上げた日向は、楓のうじ虫を見るようなうざったそうな顔に、右手で自分の口をおさえた。


「で、でも、六死外道って、一年もたたずに消えたんでしょ!」


「大阪国の王は、自分の『』を使って人を獣にする武器をつくっている」

 日向の言葉を一切無視して話を続ける楓。


「血!?」


「その武器に喰われて、理性を失った人間――それが、『死獅しし』だ」


 真っ直ぐ前だけを見る楓に、日向は立ちすくんだ。




「大阪国は、そういう所や。」

 楓の眼には、静かな怒りの色が浮かんでいた。


「……」

 日向は口をつぐんで、距離をとったまま楓に話かける。


「ねえ、きみ何歳?」


「……十七」


「ぼくの三つ上か!」


 もっと上だと思った……十七歳で、もう名隊に入ってるんだ。


 むむっと口をとがらせて日向は少し楓に近づく。



「それに、きみ、関西州の人間だろ?」

 楓が話す丁寧語のイントネーションは所々違う。

 聞きなれなくて、もやっとする。


 時折でる方言は、中部州では聞きなれないものだ。


 楓は何も言わない。


 日向からは楓の背中しか見えない。




「……なんで、名隊にいるの?」


 首をかしげる日向。


 警戒をするというよりは、単純に不思議なのだ。

 敵対する関西州の者が、名隊にいるということが。



 楓は、小さく静かに息を吐くように答えた。


「戦争を、終わらせるためや」


 月の光を受けた綺麗な顔は、怒りとどこか寂しさを含んでいるように見えた。


「わたしは、帝を殺した大阪国が許せない。戦争で多くの命を奪う大阪国を許せない」

 桜銀色の髪が、若葉色の羽織の上で揺れる。



「うーん、よくわかんないけど、きみも苦労してるんだね、髪も、そんな白くなっちゃって」


「これはうまれつきや」

 少し足幅が大きくなったことで、楓のいら立ちが現れた。


 日向は、足を止めてうつむいた。


「……ぼくもね……自分の血が許せないんだ」


 さっきまでと違う、明るい軽い声ではない。


 静かで自分に言い聞かせるような声に、楓は少しだけ日向を振り返った。



「さっきは、ぼくのせいじゃない、とか言ってごめん」

 うつむいたまま話す日向。


「ぼくは、あの『阿修羅あしゅら』の状態を『ぼく』だって認めたくないんだ。許したくないんだ」


 ぐっと顔を上げる。その目には涙がたまっていた。



「認めちゃったら、許しちゃったら、ぼくがぼくじゃなくなっちゃうんだ」


 眉を寄せてこらえるように楓を見る日向に、楓は無表情のまま目をそらした。

 

 そのとき――



「日向!」


 それは、司の叫び声と同時だった。


 日向の目の前に、巨大な爪が現れたのだ。


 まるでスローモーションのように目の前がゆっくりに見え、日向は身動き取れなかった。



「邪魔や」


 身体が押されて地面に倒れた時、目の前で楓が死獅の爪に吹き飛ばされた。


「えっ」


 数件先の家の塀に背中を叩きつけられ、うぐっという呻き声を発したのは、楓だ。


 目の前にいるのは、先ほど楓が倒したはずの死獅だった。


 その死獅は、さっきよりも大きくなっている気がした。


 いや、なっていた。


 牙も爪も、巨大な身体も、先ほどの倍ほどの大きさに膨れ上がっていた。


「な、なんで……?」


  絶望。

 日向の中に浮かんだ言葉はそれだけだった。


 

「あ、あんなの……倒せるわけない……」


 楓が目の前で吹っ飛ばされたのだ。

 

 体中が震えて、涙があふれてきた。



(再生した? 確かに彼岸花は咲いてた。さっきより強く速くなっとる。こんな死獅……初めて見た……)

 楓は体勢を整えながら冷静に考える。


(右腕をやられた……あの周りにはまだ名隊員とあの男が……)


 死獅が、司の方へ向かう。


(この距離や間に合わん)



 楓は視界に入った小さな黒い少年を見た。


「おかっぱ! 自分のもんは自分で守れ!」



 日向はハッと息を飲んで、死獅が司を狙っているのを見た。



「司!」


 身体が勝手に動いた。


 ガンッ


 司に振り下ろされた爪を、間一髪、黒刀で受けとめる。


 衝撃が身体中に響く。ズズッと足が地面を擦る。




「日向!」


 司の声を背後で聞いて、日向は守れたことにほっとする。




「やるやないか」


 気づいたら、隣に楓が立っていた。


 その右手はだらんとたれ、真っ赤に染まっていて、左手だけで大鎌を構えている。



「……ぼくは強いんだって」


 ふるえた鼻声でそう笑う日向と、ふんっと鼻をならした楓は死獅の前に立ち、同時に構えた。



「司、いまはできるだけ遠くに逃げて」

 背後にいる司に早口で伝える。


「日向、生きてくれ」

 司が走るのを背後に感じる。


 周りで倒れている名隊員に被害が及ばないように、ここから誘導しなくちゃいけない。


 少しずつ、ものが考えられるほどには、冷静になれた。


 さっきまでもう無理だと思ったのに、楓がいるだけで、司を守るためだけで、勇気がでることに日向自身驚いた。



「おい、おかっぱ」


「日向だ!」


 楓は振り下ろされる爪の攻撃を防ぎながら、聞いてくる。



「日向、血を調整したら、さっきの状態を制御できるんか?」


 日向は唇をかんで、ぐっと刀を握った。



「……わからない」


 わからないけど……。


「でも、やる」


 目の前の死獅を睨んで、そう決意するように答えた。


 ここで倒さなくちゃ、死ぬ、ぼくが死んだら、司が殺される。

 それだけはだめだ。


 楓は日向を横目に、真っ直ぐ死獅を見た。


「わかった。暴走したら、わたしが止める」


 若葉色の羽織を翻し、動かない右手に無理矢理中型の鎌を持ち、鎖を生き物のように操る。



「隙をつくる、来い!」

 死獅を誘導するように、名隊員たちから離れ、攻撃をしかけながら楓が走り出す。



 死獅は楓の後を追い、楓だけに集中して攻撃を始める。


 楓の誘導を計算しながら攻防できる戦闘の才能は目を見張るものがある。


 いまの日向には絶対に無理だ。


 日向は楓の姿を見て拳を握った。



 今まで暴走する『阿修羅』の自分が嫌いだった。


 人を傷つけて、自分の心も傷ついて、そんなたくさんの傷から、目をそらしてずっとヘラヘラ笑っていた。


 でも、いま、初めて大嫌いな『阿修羅』を必要とされて、


 初めて自分を、『阿修羅』を止められる人に出会った。




「やれ! 日向!」


「わかった!」



 もう、目をそらさない。


 黒刀に親指を沿わせて切る。血の出る親指を両目尻の菊のあざにこすりつけた。


 愛知国も、日常も、司も、自分も。


「ぼくが、守る!」



 【人の世の終わりは渦を巻く


  廻って 廻って 辿り着く


  修羅しゅらの世界】



 脳裏に唄うように流れる、記号のような絵のような言葉のようなもの。


 丸い巨大な円盤に描かれた六つの世界がぐるりと廻る。


 


 円盤の中心が切れるように開かれ、どす黒い闇の中から、鬼のような鋭い爪の伸びる指が現れる。

 闇の中から現れたのは三つ目の巨大な鬼。

 その瞳の中には三つの渦が焔をまとって浮かんでいる。

 鬼が笑うと、目の前が真っ暗に染まり、脳裏に言葉が浮かび上がる。



「【阿修羅螺あしゅらら】」



 その瞬間――体中の血液が高速で回り始め、全身が沸騰するように熱くなり。


 パッと開いた瞳には、鬼と同じ三つの渦の焔が浮かぶ。



 後方に飛んだ楓が、日向を厳しい表情で見る。


 いつでも止められるように両手に鎌を持ったまま。



 日向は一瞬、ニヤリと笑うと、黒刀を握り、地面を蹴った。


 空中に大きく飛んだ日向が、黒刀を振り下ろした。




しん阿修羅斬あしゅらぎり」


 ザアァァァァァンッ



 一太刀で巨大な死獅の身体が真二つになった。


 一瞬、黒刀が黒く光ったのを楓は見逃さなかった。



 ボタボタッ 死獅が地面に落ち、彼岸花ひがんばなが三つ、死獅の身体に浮かんだ。


 スタッと着地し、血を払う日向に、楓が問う。


「お前は……阿修羅か、人間か」


 日向はくるっと振り返ると、ニカッと笑った。



「日向だよ」


 そのまま、膝から崩れるように倒れた。










「……ん」


 温かい日差しに目を覚ますと、視界に入ってきたのはあまり見なれない天井だった。


 顔を動かしてゆっくりと周りを見ると、蘭が運営する朝日奈医院の一室だと気づいた。


「病院?」


 起きようと身体を動かした瞬間、


「いでっ!」


 身体中が悲鳴を上げた。特に背中と左肩が痛い。

 切実に痛い。


「日向!」

 聞きなれた声と、バタバタと駆け寄ってくる足音。


 扉に目を向けると、包帯や本などを抱えた司が走って来た。


「日向、このバカ!」


 目の前でバカと言われるのは久しぶりだった。こんなに必死な顔で。


「へへへ、良かった、司、生きてる」

 顔だけ司の方を向いて笑う。


「生きてるじゃな――」


「司、ただいま」


 司の言葉にかぶせて、日向は微笑んだ。



「……この、バカ」

 司がぐっとこらえるように眉を寄せて、日向の目尻の菊のあざを親指で撫でて、うなずいた。


「日向、おかえり」

 嬉しそうな、苦しそうな司の表情に、日向は優しく微笑んだ。


「司、ただいま」

 その声を聞いて、やっと、司は眉間から力を抜いて、優しく笑った。


「あ! あの死獅はっ!?」


 部屋を見回すように視線をさまよわせたら、扉にもう一人立っているのに気づいた。


「あ」


「話は本当らしいな、阿修羅になれば、能力が上がり、その時の記憶もほぼないというのは」

 ゆっくりと近づいてくる楓に、日向は、げっと顔をしかめた。


「わたしは、今回の件で名隊五番隊副隊長になりました。どうも」

 相変わらず無表情で言葉を連ねる楓は枕元で日向を見下す。


 既視感があるのは、日向が初めて楓に会った時も、鎖に縛られて見下されていたからだ。


「現在、わたしはあんさんの監視の任務に就いている」


「はっ!?」


 驚きすぎてガバッと上体を上げて、後悔する。


 悲鳴を上げる身体に、涙目で、少しだけ近くなった楓の顔を見上げる。



「あんさんを生かすか殺すか、上は決めかねていはった」

 淡々と話す楓の内容は、日向には重すぎる。


「待て! 日向は――」


「司」


 楓にくいかかる司を手で制す。


 ぐっと拳を握り、楓を見つめ、次の言葉を待った。


 楓は腕を組んで真っ直ぐ日向を見つめる。



「生かす」


 日向の顔がパァッと明るくなる。



「利用価値があるうちは」


 楓が目を細めて言葉をつなぐ。



「よって、今後はわたしがお前の行動を監視し、全ての責任を負うことを条件に――」


 眉を寄せて真剣な表情で日向を見下す。


「お前を愛知国直属名古屋戦闘部隊五番隊員に任命する」


 ハッと息をのんだ。


「ほ、本当っ!?」

 眼を輝かせる日向に、楓が思い出すように眼を伏せた。


「昨日、たくさん空きができましたから」


 視線を日向に戻す楓。


「あんさんは、わたしの犬や。少しでも利用できないと判断したら、すぐに殺す」


「きみじゃ、ぼくを殺せないよ」


 ニカッと笑う日向に楓は口の端を少しだけ上げた。


 若葉色の羽織を翻し、楓は扉に向かう。



「精々、わたしのために死ぬ気で生きればいい」


(あの菊紋様の黒刀とあいつの関係も気になるしな)



 日向はニッと笑って、片膝をついて横に置かれていた黒刀を掲げた。


「生きてやる!」


 楓の背中は、いまは「生きる」ためのものに見えた。



「いてて」



 こうして、日向の愛知国を守る戦いは始まった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る