第三話 日向の血


「どけ! 邪魔や!」


 その声を聞いた後は、一瞬だった。

 獣を振り返った時、近くの屋根から飛び降りた一つの影が、二つの巨大な鎖鎌を振り下ろした。


 ザザッ


 二つの鎌に背中を斬られた獣は、呻き声をあげることすらできず、その場に倒れた。

 その獣の上に立つ青年は、血にぬれた鎖鎌を獣で拭うと。


 若葉色の羽織がふわっと広がり、青年は獣から降りた。


「大丈夫ですか?」


 義務的な感情のこもっていない声で、青年が司を見る。


 月光を集めたような銀と薄っすら桜のような色が混ざった髪をハーフアップにした青年は大鎌をゆったりと下した。

 司より少し背の高い青年は、白い人形のような肌に、少したれた目をしていて現実味のない美しさと艶やかさをもっていた。



 司はハッとして、日向にかけよった。


「日向が!」

 そう叫んだ瞬間、司の背筋に悪寒が走った。


 ゾワッ


「下がっていなさい」

 司の襟首をつかんで、思いっきり投げた青年は、日向を前に大鎌を構えた。


 その瞬間、


 ガッ


 金属同士がぶつかる音が響いた。


「日向!」


 青年は両手の鎖鎌で、日向の一振りの衝撃を受け止めた。

 頬に黒い菊のあざを咲かせた日向の眼は、爛々と怪しく光り、いつも以上に鋭い。


 左肩から流れる血を無視して、日向は更に力を込めて鎖鎌に対して体重をかける。


「なんや、この力」


 まともじゃないほど鋭い眼をした日向に、青年は唾をのみこんで後方に飛んだ。


 理性のとんだ獣のような眼をしている日向とまともに戦うことを避け、青年は片方の中型鎌を日向の足元に投げた。


 もう片方の大鎌を瞬時に日向の身体を縛り、長い鎖で日向を捕えた。

 一瞬で鎖鎌に縛り上げられ、日向は体の自由を失って倒れた。


 小さな呻き声を上げて日向は鎖から逃れようとじたばたとする。


 青年は少し息を吐いて、日向の背中に片足をのせると、大鎌を構えた。


 表情を変えず、大鎌を振りかぶる様子を見て、司は青年が何を行おうとしているのかを理解し、慌てて日向と青年の間に入った。


「待て!」

 司は日向に覆いかぶさり、青年を睨み上げた。

 ピクッと眉を上げた青年は、冷たい目をして司を見下す。


「邪魔です、どいてください」


 人間を見る眼ではなかった。


 なにか、汚い虫でも殺すようなその眼に、司は一瞬ひるんだが、キッと青年を睨む。


「日向は人間だ!」


 青年は司から視線を外し、いまだ鎖の中で身じろぐ日向を見る。

 日向は人の言葉を話そうとはせず、ただ小さな呻き声をもらして必死に鎖を外そうとするだけだ。


 青年の眼が一層冷たくなった。


「事情があるんだ、御守りがあれば大丈夫なんだ、いつもはこんなの状態じゃない!」

 司は、日向の左肩から流れる血を見て、唇を噛み、意を決したように懐から親指ほどの小さな瓶をとりだした。


「少し、待ってくれ、薬を飲まさせてくれ」


 青年は冷たい目のまま、それでも、日向を仰向けにするのを許した。

 司は日向のあごをつかんで、瓶に入った黒い液体をその口に流した。


「日向、大丈夫、飲んで……日向」


 日向は顔をしかめて、それでも流れてくる液体を飲み込んだ。

 鎖から逃れようとしていた日向は次第に大人しくなって、ゆっくりと目を閉じた。


「日向は、ある一定量以上の血を流すと人格や能力が変わるんだ、でも、それも御守りや薬があればすぐに戻る、日向は人間だ」


 司は何度も「人間」という言葉を使った。

 しかし、その言葉に、青年の表情が変わることはなかった。


 桜銀色おうぎんしょくの髪にさした扇形の金色の簪が月明かりに光る。

左耳についた銀と黒の市松模様のイヤーカフはどこか青年に不釣り合いだった。


「あんさん、大阪国の『死獅しし』について、知ってはりますか?」

 薄い唇が動いたと思うと、青年は言葉を紡いだ。


「え?」


(この方言……)


「ただ、人を殺すだけの獣です。力のある死獅は、特異な能力ももってます」

 感情という言葉が似合わない冷たい声に、司は口を閉ざした。


「本当に強い死獅は、人間の姿でいることができます」


 日向を見下す青年は、眉一つ動かさない。


「こいつは、死獅の可能性が高い」


「日向は人間だ。おれが保障する」

 日向をかばうように再び覆いかぶさる司。


「なぜ、断言できる」


「それは、おれが――」


「……ん、ん?」


 パッと目を覚ました日向が見たのは、すぐそばにある司の心配そうな表情と、その奥に自分をひどく冷たい眼で見下す青年だった。


 意識が明確に戻ってくると、すぐに口の中に広がる喉を焼くような苦い薬の味と、左肩の激痛が戻ってきた。


「ぅくっ」

 顔をしかめる日向に、司がほっと息を吐く。


「日向、大丈夫か?」


 口の中で感じるこの味は、何度も覚えがある。


 この味がするときはいつも、自分が暴走した時だって分かっている。


 少し遠くにある青年の、冷たい眼に心がぎゅっと縮んだ。


 ぼくは……また……


「目覚めましたね。わたしは『名隊』五番隊員の桜屋敷楓さくらやしきかえで。お前を本部に連行します」


「は?」

 楓と名乗った青年の言葉に、頭が追いつかない。


「ま、待て、だから日向は人間だ!」

 連行と聞いて司の顔が一気に青くなる。


 日向は小さく息を吐くと、上半身を起こした。


「司、大丈夫」

 司を止めて、鎖につながれたまま目の前に大鎌を構えている楓を見上げた。


「きみに迷惑をかけたみたいで、ごめん」


 絵のように整った顔を真っ直ぐ見上げる。


「……て謝りたいけど」


 ふうっと息を吐く。


「それ、ぼくじゃないから!」


 ニカッと笑って胸を張る日向。


 楓の眉がピクッと上がった。

 司はあんぐりと口を開けて固まる。


 日向は、いままでの、あまりにも朦朧とした意識しか残らない出来事に、

 “開き直る”ことにしたのだ。


「ぼくは人を傷つけないし、むしろ平和主義だ!」


 楓が表情を変えないことを、「許す」ととらえて話を続ける。


「それに、ぼくは名隊に入って、これから愛知国を守るんだ」


 いまだに微動だにしない楓に、ニカッともう一度笑う。


「だから、ぼくは無実だ!」



 楓は一つ頷いた。


「よし、歯ぁ食いしばってください」

 大鎌を握る手に力を込めた。


「本部には、首だけもっていきます」

 口の端を少し上げた楓は大鎌を大きく振りかぶった。


「ちょ、ちょと!」

 慌てる日向に、司も止めようと動いたとき、



―― ジジッ 桜屋敷! どうなってる! 五番隊隊長と連絡がとれないぞ! ――


 楓の左耳についてた市松模様のイヤーカフから声が聞こえた。

 耳元の無線に、楓がチッと舌打ちをする。


 横目で先ほど倒した獣と、その背後に倒れている三〇人程の名隊員を見る。


 楓の目線を追って、「日向、行ってくる」と呟いた司が走り出した。


 司は近くで倒れている名隊員たちに声をかけ、意識確認をする。


「息してる! まだ助かります!」

 楓に報告するように声をあげた司は、名隊員の上着や羽織を破ってすぐさま応急処置を始めた。


 楓はそれを無表情で眺める。


「この人たちは任せてください、必ず助けます!」

 司が楓を真剣な表情で見つめる。


「だから、日向を必ず帰してしてください」


 司の眼は、命のやりとりを行う医師そのものだった。


 楓は少しだけ目を細め、イヤーカフの黒い部分を押す。



「大丈夫です。いま、治療をしてもらっています」


―― 治療だと!? ――



「五番隊の約半分が死獅にやられました」


―― 死獅は? ――



「殺しました。現在、死獅の可能性のある男を捕縛中です」


―― なんだと! 殺さず本部に連れてこい、少しでも情報が必要だ! ――




「……了解」


 無線を切った楓が、再び日向を見下ろす。


 もう、二人の間に司の盾はない。




「命拾いしましたね。名古屋城で事情聴取や」


 ふわっと生き物のように鎖が動き、日向を縛っていた鎖が外れた。


 楓が若葉色の羽織を翻して、無線で救援を呼び、司に指示をだしていく。




 まだ呆然としている日向を振り返り、楓は冷たい眼を向ける。


「おかっぱ、お前はさっさと来ぃや」


 おかっぱというのが、自分のことを指すのだと理解するのに少し時間がかかったが、立ち上がった日向はふらっと眩暈を覚えながらも歩き出した。


 苦い薬を飲むと、自分の命が削れるような、何かが焼けていくような気分になる。


 薬の味を忘れるために唾を飲み込んだ。



 ぼくにだけ敬語じゃない、あいつ嫌いだ。


 のんきなことを考えながら、スタスタと歩き出す楓の後ろに続いた。


 歩きながら日向は左袖を破り、左肩の止血をする。


 かなり血を流してしまった。左袖は半分も赤く染まっていた。



 そのとき、傍らに倒れている、自分を殺そうとした獣を見て、その倒れた背中に大きな赤い×がついていることに息をのんだ。


 きっと目の前の青年がこの×をつけて倒したんだろうと結論づける。

 獣の背中には×の下に、紅い彼岸花の印が血の色で描かれていた。


「大阪国の国花!」

 日向は立ち止まって獣の背中に咲く赤い花を見た。


 そんな日向を見て、獣を見ながら楓は口を開いた。


「『死獅』は大阪国の特殊武器で獣になった、や」


 その言葉に、日向は息をのんだ。


「人……だったの?」


「大阪国の戦闘部隊員『大隊』は死んだら身体にその花が咲くんや、呪いのようにな」


 人が……獣になった……。


 日向は死獅を見て自分の血がついた手を見た。


 いつか、ぼくもあんな風に……?


 心の中がざわついた。


 どうしようもないくらい泣きたくなった。


 先を歩く楓の背中が、自分を拒む全ての者のように思えて、その後ろに続かないといけないことがひどく辛かった。



 それでも、一歩ゆっくりと踏み出した。


 歩くだけ、名古屋城に近づく分だけ、自分が「獣」で『死獅』であると認めないといけない気がした。


 「死」が近づいてくる気がした。



 ぐっ


 不意に腕を引かれて。

 振り返ると、真剣な表情の司が日向の腕を握っていた。


「日向、お前は人間だ」


 その表情がひどく真剣で、それでいて、日向のことを心から想っているのがわかって……。

 でも、だからこそ、日向は苦しくなった。



「司、ありがとう」


 だから、日向は頑張って笑った。

 いつもみたいにやわらかく、どこか、儚げに。


 司は目を丸くして、悔しそうにぐっと奥歯を噛む。


 日向は、司から手をはなせないことが分かったから、もう片方の手で、司の手を優しくはずした。


 司に背を向けて、先を行く楓に追いつくように、大股で歩く。




「日向、信じてる! 必ず帰ってこい」


 司の言葉を背中で受け取って、日向は奥歯を噛んで、また一歩進んだ。






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