第27話 癒しの力を持たないハズレ聖女

 異形の巨体は悲鳴を上げる間もなく、重い音を立てて床に沈みました。

 スキルのまやかしなどではなく、今度は本当にグリフォンが倒されたのだと、わたくしの目にもはっきり映りました。


「最上級ポーションをふたつもらってこい」


 地下牢にウェイ君の静かな声が響きます。

 攻撃をまぬがれた兵士は大怪我を負った同僚に付き添っていましたが、はっと我に返り、与えられた指示を問い返しました。


「ふたつ……ですか?」

「こいつはまだ息がある」


 ウェイ君の視線の先には横たわるグリフォンの姿がありました。

 先ほどまで暴れ叫んでいた異形は、今となってはその鳥のような足も、ライオンのような尾尻も、羽根もくちばしも弱々しく震えるばかりで今にも命が尽きようとしているように見えます。

 ですが、ウェイ君はなおもこのモンスターを死の淵から呼び戻し利用しようと考えているのでしょう。


 指示を出された兵士は複雑な表情をしていましたが、隣で血を流している同僚のうめき声を聞いて我を取り戻し、急いで地下牢を出ていきました。

 そのうしろ姿を見送りながら、わたくしはグリフォンが死んでいないことを知って心のどこかでほっとしている自分に気付いてしまいました。


 正直に言うと、わたくしはグリフォンを生き返らせるつもりでした。

 【漫画】スキルを使ってショタ君に獣耳を生やしたときは、スマホのイラストを消したら獣耳も消すことができました。それと同じように、先程のイラストもあとでこっそり削除すればグリフォンも生き返ると信じていました。

 ですが、実際にはこちらの想定しないタイミングで蘇り、兵士に傷を負わせることになってしまったのです。


「おい。聖女」

「はッ、はい!」


 突然呼ばれて視線を向けると、彼は倒れている兵士を指して言いました。


「この兵士を治療しろ」

「ど、どうやって……」

「スキルで痛みを抑えるんだ。できるよな?」

「……は、はい」

「よし。さっきみたいに妙な真似はするなよ」

「…………」


 わたくしは重苦しい気持ちでスマホを持ち直し、横たわっている兵士の姿を描きました。ただそれだけではスキルの効果があるかどうかわからなかったので、同じ絵をすぐ下に複製し、上の絵には現状の様子を、そして下の絵には傷が癒された様子を描きました。

 署名を入れると、それまでうめいていた兵士の呼吸が穏やかになり、ほっと胸をなでおろします。これでひとまずは痛みが消えたことでしょう。


「……あの、ウェイ君」

「なんだ」

「ここへ来るとき、わたくしのスキルには2つの弱点があるって言っていましたよね。もしかして、2つめは時間制限ですか?」

「…………」


 ウェイ君は答えませんでしたが、沈黙は肯定そのものでした。


 もしそうなら、予期せぬタイミングでグリフォンが復活したのも頷けます。

 それに、一度動きが止まったサイクロプスが動き出したのも、縮んだはずの巨体が元の大きさに戻ったのも、すべて納得がいきます。


 絵に描いたことが現実になるだなんて、チート級のスキルだと思っていました。

 けれど、時間が経つと元に戻ってしまうなら、なんの意味もありません。

 今わたくしの目の前で横たわっている兵士の傷跡も、最上級ポーションが届くまで何度もスキルをかけ続けなくてはならないでしょう。


「どうして誰も教えてくれなかったのでしょう。そんなに重大な欠陥があるだなんて……」


 気付けば、私の口からは不満がこぼれ出ていました。

 先ほど食堂ではスキルの話をしていたはずです。それに、ジオ司祭も、創始の聖女様も、勤勉なショタ君だって。

 みんなわたくしの力を褒めそやして、頼りにして、それなのに欠点については誰一人として教えてくれませんでした。


「どんなスキルでも必ず制限がある。みんな知っているからいちいち言わないだけだ」

「なぜです? 聖女のスキルを必要としているのなら、きちんと知識を共有したほうがいいと思うのですが」

「お前が悩む必要はない」


 なんですかそれ、と聞き返すよりも早く、ウェイ君の指がわたくしの口元にぴたりと押し当てられました。


「むぅ!?」


 異性に唇をさわられること自体が初めてのことだったので、その意味合いを測りかね戸惑っていると、彼はちらっと兵士のほうへ視線を向け、またすぐにそらしました。

 なるほど、どうやら人には聞かれたくない話だったようです。


 そのとき、わたくしは小さな違和感に気付きました。

 他の人たちはわたくしを聖女として歓迎してくれているのに、目の前にいる騎士だけはその様子がないこと。それなのに彼は「聖女を守る騎士」としてわたくしの傍にいること。

 もしかして、そこには何か隠された意味があるのでは――。


 そう思ったとき、横たわっている兵士がふたたび呻き出しました。

 見れば、画面に描いたはずの絵が消えています。わたくしは急いで先ほど描いた絵をペーストし、サインを書き入れます。


 効果時間の制限があるせいで、このスキルは治療には使えません。

 聖女という肩書を与えられながら、わたくしには癒しの力などなくて。

 怪我や病気を治せるわけでもないし、聖なる光でモンスターを退けられるわけでもなくて。


 戦場においても、短時間で効果が切れてしまうという事実はきっと致命的な隙や弱点を生むでしょう。さっきだってウェイ君が助けてくれなかったら兵士たちもわたくしも死んでいた可能性があるのです。


 きっとわたくしは『ハズレ聖女』なのでしょう。

 地下牢には、ただただ重い沈黙が過ぎていきました。

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