第8話 【悲報】ペンネーム、バレる。

 創始の聖女様は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、穏やかな声で続けました。


「もしよければ、あなたが召喚されたときの様子も見せてくれるかしら」

「えっ、見せるって、どのように?」

「先ほど私の【知識】をあなたに見せたように、今度はあなたの【知識】を私に見せてほしいの」

「わっ、わたくしの知識をですかッ!?」


 わたくしの知識なぞ、ヲタ要素が満載ですが!?

 むしろヲタ要素1000%ですぞ!?

 一般人、つまり非ヲタな方にとっては少々刺激が強すぎるかと! 間違いなく毒ですぞ!

 わたくしの動揺と抵抗を察したのか、創始の聖女様は穏やかに言いました。


「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ひとまず今回は、こちらの世界での出来事だけを受け取ることにしましょう」


 彼女はふたたびわたくしの手を取り、てのひらに文字のようなものを書き込みました。

 署名と言っていたので、おそらくこちらの世界での彼女の名前なのでしょう。

 その指が離れた瞬間、わたくしの脳裏に戦場の光景がよみがえってきました。


 もうもうと舞い上がる砂埃、漂う血のにおい。

 響き渡る怒号や唸り声、硬い金属同士がぶつかり合う音。

 迫りくるモンスターの群れ。

 こちらへ向けられる視線と【セイジョ】という言葉。


 その映像にわたくしの姿はなく、足元だけが見えます。

 つまりこれは、わたくしの視点で見た光景ということなのでしょう。


 飛び散る血しぶきと、赤く染まった大地。

 地面を埋め尽くすおびただしい数の亡骸なきがら

 その戦場のど真ん中で、必死にステータス・オープンを叫ぶ声。

 空中に浮かぶステータス・ウィンドウ。目に飛び込んでくる【漫画】の2文字。


 巨大なサイクロプスの影。わたくしを襲おうと迫り来る丸太のような太い腕。

 このあとどうなるかわかっていても、つい目をそらしたくなります。

 かと思えば、途中から一気に視線が低くなりました。そういえば恐怖のあまり立てなくなってしまったような……。

 ところどころ映像が途切れがちなのは、混乱や恐怖で記憶が抜け落ちているせいかもしれません。


 あいだに飛び込んできた剣士。

 切り落とされて地面に落ちるサイクロプスの指。

 戦場に響き渡る絶叫。剣士たちの動き。

 風向きが変わるという予感。


 こちらを振り返る琥珀色の瞳。

 ポケットから取り出したスマホの画面。

 アプリの立ち上げ、素描、そしてサイン。

 スキルの発動。縮んでゆくサイクロプスの体。

 突き立てられる無数の剣。

 大気を揺るがすサイクロプスの断末魔。

 我先にと逃げてゆくモンスターたちの姿。


 そこから映像がぷつりと途切れ、わたくしの意識はふたたび部屋の中へと引き戻されました。

 窓辺から差し込む柔らかな光が室内を優しく照らしています。 戦場の喧騒は一瞬で遠のき、部屋にはただ静けさが広がっていました。


「……はぁっ……はっ……はあっ……」


 気がつけばわたくしの体は小刻みに震え、息が荒くなっていました。

 イベントで推し絵師様とお話をさせていただいたときや声優さんの握手会に行ったときよりも激しく心臓が暴れているのを感じます。

 創始の聖女様の手が、優しくわたくしの背中をなでました。


「いきなりこの世界へ呼び出し、恐い思いをさせてしまいましたね。見せてくださってありがとう」

「……………………」


 すぐに答えることはできず、小さく頷いてみせるのが精いっぱいでした。

 戦場で味わったあの恐怖を忘れるのは、きっと難しいことなのでしょう。


異形の者たちモンスターは引き上げていったようですね。しばらくは攻めてこないでしょう」

「……よかっ……た……」

「あなたの【漫画】という特殊能力スキルは、描いた絵をそのまま現実に写す能力なのですね。とても珍しいものだわ」

「そう、なのですか……」


 つまり固有ユニークスキルといったところでしょうか。

 これまで漫画やアニメや小説などでさまざまな固有スキルを有する主人公たちを見てきましたが、わたくしに与えられたのはまさにガチヲタにぴったりのスキルだったようです。


「あなたの能力は、この世界を絶望から救い、人々の希望の光となるでしょう」

「……わたくしの、このスキルが?」

「ええ、きっと。どうかお力をお貸しください、さん」

「ぎゃふぁっ!? ど、ど、どどど、どうしてその名をッ……!?」


 突然名前を呼ばれ、わたくしは挙動不審になりました。

 なにしろ「千影ちかげ」というのはわたくしの同人活動用のペンネームで、その名前を呼ばれるのはSNSかゲームの中かイベント会場だけと決まっているのです。

 しかも中二病まっさかりだった頃に「なんか影分身みたいで強そう!」というノリでつけた名前をそのまま使っているので、面と向かって呼ばれると恥ずかしさのあまりベッドでゴロゴロ転げ回りたくなりますぞ!


 それにしても気になるのは、創始の聖女様がどこでその名前を知ったのかということです。

 場合によっては名前の表記をこの世から消滅させねば!

 戸惑うような視線を投げかけると、創始の聖女様は不思議そうに首をかしげました。


「あらあら。もしかして、このお名前で呼んではいけなかったのかしら? 先ほどあなたから見せていただいた【知識】の中で、そのお名前を見かけたと思ったのだけれど……」


 えっ、どこ? どこでしょうか!?

 名前なんて……って、ああああッ! あれか、スキル発動のときのサインッ!!

 ついいつもの癖でペンネームを書き入れてしまいましたが、まさかその名前で呼ばれるとは! こっ、これは恥ずか死ぬ!

 すぐさま訂正せねば!


「あっ、あのッ、創始の聖女様! 『千影』というのは世を忍ぶ仮の名前でして! 本当はわたくし、」


 本名を告げようとした瞬間、創始の聖女様はわたくしの口にぴたりと指を当てました。

 まるで、内緒話をするように。


「元の名前はここで名乗っても仕方がありません。もうあなたの名前はのです」


 なっ、なんですと!? それってつまり……!


「……ス、ステータス、オープンッ!!!」


 慌ててステータスを開くと、目の前にしゅっとパネルのようなものが表示されました。


――――――――

【名前:千影】

【職業:聖女】

【レベル:4】

【HP:10】

【MP:∞】

【特殊スキル:漫画】

――――――――


 うわぁあああん、やっぱり名前が【千影】になってるッ!

 全異世界にわたくしのペンネームが認識されてる――ッ!

 そしてHPがちょっと上がってる! レベルもちょっと上がってる! 嬉しい! ミジンコからカタツムリくらいにはなれたでしょうか!?

 サイクロプスにとどめを刺したのはわたくしではありませぬが、この世界では戦闘に参加するだけで経験値が分けてもらえるシステムのようです。親切設計ありがたや。


 しかし、ペンネームが知られたとなると今さら本名を名乗るのはかえって恥ずかしい気がします。

 もはやここは【千影】で通すしかなさそうです。ぴえん。

 まあ、名前のことは百歩譲って仕方がありません。だがしかし、職業欄と特殊スキル欄はいただけませぬ。

 やはり何度見ても職業欄には【聖女】って書いてありますし、特殊スキル欄には【漫画】って書いてありますが、一緒に並んでいていい言葉の組み合わせではない気がします。


 やはり、わたくしがこの世界へ招かれたのは何かの間違いだった説が濃厚ですぞ!

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