第6話 我がサークルは最弱ですぞ!?
それにしても、まさか鏡に映った自分をモンスターと見間違えるとは。さすがにショックが大きいですぞ。
「ふにゃぁ……」
驚いてすっかり腰の力が抜けてしまい、わたくしは床に座り込みました。
モンスター(誤認)に遭遇した恐怖と、その正体が自分自身だったダブルショックで、もはや立つ気力もありませぬ。
ですが、休む間もなく次の異変が訪れました。部屋の外からダダダダダ……という激しい足音のようなものが聞こえてきたのです。
何事かと思っているうちに音はどんどん近付き、開け放たれたままの扉から一人の男が飛び込んできました。
「
「ひゃッ!?」
飛び込んできたのは背の高い若者でした。
鍛えられて引き締まった体つきは服の上からでもわかるほどで、そのたくましい腕には長剣が握られています。
わたくし、本物の剣をこんなに間近で見たのは初めてですぞ。だいぶ使い込まれているようですが、とても丁寧に手入れされている様子。きっと大切な剣なのでしょう。
……それにしても、なぜ剣が抜き身なのですか?
床の上に座り込んだまま呆然と見つめていると、若い男は茶色の髪を揺らしながら真剣な顔つきで何かを言いました。
「
どうやら差し迫った状況のようです。
だがしかし、残念ながら言葉がわかりませぬッ!
「
彼が何を訴えているのかはわかりませぬが、わたくしはあることに気付きました。
燃えるような明るい瞳。
雑踏の中でも遠くまで響きそうな、その声。
――間違いありません。
戦場で颯爽とわたくしの前に現れてサイクロプスの指を斬り飛ばして助けてくれた、あの剣士です。
まさかこんなところで再会できるとは!
なにしろわたくしは数十名の声優さんの声を瞬時に聞き分けて特定できる特技を持ったガチヲタなので、人の声の聞き分けには少々自信があるのですぞ。えっへん☆
「……あっ、あのッ! わたくし、あのとき助けていただいたガチヲタです! その節はたいへんお世話になりましたッ!」
わたくしは床の上に座り込んだまま、深々とお辞儀をしました。
相変わらず足腰には力が入りませんが、命の恩人にお礼を申し上げねばなりませぬ。
……それにしてもこの青年、やたらと顔が良いですぞ。
先ほどの少年も美しい顔立ちをしていましたが、この青年もSSR級の美青年です。めちゃイケメンです。目の保養なんてもんじゃありませぬ。眩しすぎて目がくらむレベルです。こんな美形が次々と登場するだなんて、やだ異世界恐い。
こんな美形の青年に三徹目のガチヲタの姿をさらすだなんて、とんでもないことです。
せめて少しでも身だしなみを整えようとワードローブの鏡に目をやりますが、そこに映るモンスターまがいの自分の姿を見て、ふたたび「ヒエッ」と悲鳴が漏れました。
その途端、青年の口から盛大なため息がこぼれました。
「
な、なにやらお怒りのご様子ッ!?
彼はようやく剣を鞘に収めましたが、眉間には深いしわが寄っています。
「
相変わらず、異世界の言葉はわかりませぬ。
だがしかし! なんか悪口を言われてるような気がしますぞ!?
「しっ、仕方ないでしょう! よりによって三徹目のガチヲタを召喚しちゃったのはあなた方じゃないですか! ご不満ですかな? ガチヲタ聖女がご不満ですかなッ!?」
思えば、異世界を舞台にした漫画やアニメや小説の多くが、主人公の意思に関係なく強制的に異世界へ連れて行かれ、否応なく新たな人生スタート! というパターンが多いのです。
そもそもわたくしだって、ついさきほどまで原稿を描いていたはずなのです。
異世界を見たい気持ちはありますが、そろそろ帰って原稿を仕上げなくてはなりませぬ。そうしないと新刊が落ちてしまうッ!
「勝手に召喚しておいて勝手に幻滅して、まったく! 異世界の人っていつもそうですね……! わたくしたちのことなんだと思ってるんですか!?」
すっかり興奮して気がつけばそんな言葉を口走っておりました。
わたくしは男の前に仁王立ちをして見上げました。さきほどまで腰に力が入らず立ち上がることさえできなかったのに不思議なものです。
ですが男のほうも引く様子がなく、黙ってわたくしのことを睨んでいます。睨んでも顔が良いものだからなおさら腹が立ちます。
しばらく膠着状態が続いていたそのとき、部屋の入口から穏やかな声が聞こえてきました。
「あらあら。喧嘩しているの?」
視線を向けると、そこには一人の老女が立っていました。
いかにも「マダム」という言葉が似合いそうなその人は、ロマンスグレーの髪を綺麗にまとめて
その手や顔には、彼女が過ごしてきた人生の長さを物語る深いしわが刻まれていますが、チャーミングな微笑みに空気が和らぐのを感じました。
癒し系おばあちゃん、いえ、癒し系マダムといったところでしょうか。
老女が優雅な動作で部屋の中へ入ってくると、さきほどまで態度の悪かった剣士が嘘のように姿勢をまっすぐ正し、一礼してうしろへ下がりました。
老女はそのまま真っすぐこちらへ近付いてきます。
そして頬に手を当ててダークブラウンの瞳でじっとわたくしを見つめました。
「お元気そうで良かったわ。あなた丸一日も眠っていたのよ」
「……ふへっ、ま、丸一日?」
「ええ。このまま目を覚まさないのではないかと心配していたの」
その言葉を聞いた途端、わたくしの中で衝撃が走りました。
……な、なんですとッ!? 丸一日!?
わたくし、丸一日も爆睡していたのですか!?
これは一大事ですぞ!
たしか記憶によると、部屋に現れた魔法陣を踏んだときにはすでに締め切りまであと22時間ほどでした。それなのに丸一日も眠っていたということは……。
「げ、原稿ーーッ!? イベントがッ!」
「イベント? あらあら、催し物かしら。楽しそうですね」
「新刊ッ! 新刊がーーーッ!!!」
ああ、落とした。これは確実に落とした。
今まで必死で原稿を描いてきた苦労がすべて水の泡です。
イベント会場で「わたくしは新刊を落としました」というプラカードを首から下げる心の準備をしなくてはなりませぬ!
わたくしの焦りが伝わったのか、老女は少し驚いた様子でまばたきを繰り返しました。
「あらあら。
「しっ、
新刊のデータを入稿した記憶はありませぬが、もしかしたらとんでもないミラクルが起きて、いつのまにか原稿が完成していたのでしょうか!?
さらに、わたくしが眠っているあいだに
もしそうなら、ひとつ気がかりなことがあります。
「……あ、あのッ! 印刷は全部で何冊お願いしましたっけ!?」
なにしろ我がサークルはイベントに参加しているサークルの中でも最弱。
あまり多すぎても在庫を持て余してしまいますゆえ部数は気になるところです。
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