第一章 異世界の人々

第3話 これは課金案件なのではッ!?

 おはようございます。

 なんだかよく寝た気がしますぞ。


 それにしても、ずいぶん奇妙な夢を見たものですな。

 部屋に現れた魔法陣をうっかり踏んだら異世界に飛ばされ、いつのまにか聖女になっておりました。しかも、特殊スキルが【漫画】とな。

 わたくしのようなガチヲタが聖女とはミスキャストもはなはだしいですが、異世界召喚されても聖女になっても漫画を描くことになるとは、我ながらブレないものですな。


「ふぁああぁ、眼鏡、眼鏡っと……」


 お布団の中でもぞもぞ寝返りを打ち、愛用の黒縁眼鏡を求めて手探りします。

 すると、指先になにかふわりと柔らかいものが触れました。

 目を向ければ、ベッドの端にちょこんと茶色の毛並みが乗っかっています。

 近所のぬこでも迷い込んだのでしょうか。

 残念ながら我が家では飼うことができませぬが、この部屋に舞い込んだが運の尽き。飼い主の元へ帰す前にもふもふせねば。


 さいわい、メガネはベッド横の小さな棚に置かれていました。

 装備すれば一気に世界の解像度が上昇アップ

 あらためて茶色のもふもふに視線を向けます。

 その刹那、目に飛び込んできたのは――。


「ぶふおォッ!?」


 思わず声が漏れ、わたくしは慌てて自分の口をふさぎました。

 そこにいたのは迷子の子ネコチャンではなく、十歳くらいの少年でした。彼は絨毯に座り込み、ベッドの端にもたれかかって無防備にすやすやと眠っていました。


 そこだけ光がしたような、明るい茶色の髪。

 透明感のある白い肌に、鼻筋の通った美しい顔立ち。

 目を飾るまつ毛は一本一本が繊細な芸術品のごとく輝き、呼吸に合わせて時折わずかに震えています。その姿はまさに、神造形師が作りし精巧なフィギュアのよう。

 尊いッ! あまりにも尊過ぎるッ!


「(小声)こっ、こんなSSR級の美少年がいるなんて! 天国ですか!? ここは天国ですかなッ!?」


 これは課金案件なのでは!?

 天使のように美しい少年をこんな間近で見られるだなんて、まさしく神イベントです。いくらですか!? いくら課金おふせすればよろしいでしょうか!?


 ああ、この瞬間を留めたい! この美しい姿を残したい!

 わたくしは周囲に視線をめぐらせ、眼鏡が置かれていたのと同じ棚にスマホを見つけました。おもむろに手に取り、流れるような動作でペイント系アプリを起動。からの新規作成。


 まっさらな画面が立ち上がるやいなや、スマホの画面に指を走らせ、ざっくりとあたりを取ります。

 構図が決まったら、あとはひたすら線を描き込んでいきます。

 顔の輪郭はなめらかに。

 髪の毛は艶やかに。

 口や鼻や耳などのパーツは形良く。

 すやすや眠っている少年を起こさないよう、静かに、慎重に、速やかに。


 やがてラフ絵が描き上がり、わたくしは悦に浸りながらしばらくそのイラストを眺めておりました。

 だがしかし、眺めれば眺めるほど何かが足りぬような気がしてきました。


 ――そうだ、獣耳ケモミミ足そう。


 この少年のやわらかそうな茶色の髪には、きっとゴールデンレトリバーの子犬のようなれ耳が似合うはずです。それにもふもふのしっぽも。

 近所のわんこをもふらせてもらったときのことを思い出しながら、可愛らしい垂れ耳と豊かな毛並みのしっぽをせっせと描き足し、ふたたび悦に浸ります。

 いやぁ、傑作が生まれてしまいましたな。SNSに投稿しよ。

 意気揚々とサインを描き足したわたくしは、顔を上げて思わず「ぎにゃっ!?」と叫びました。


 事件です。大事件発生です!

 なんと、目の前ですやすやと眠ってる少年の頭に本物の獣耳ケモミミが生えているではありませんか! もちろん人間の耳もありますから、耳のてんこ盛り状態です。

 おそるおそる視線を向けると、おしりのほうにはちゃんと立派なしっぽもありました。その質感は、作り物などではなくどう見ても本物です。なんて可愛らし……じゃなくて、どうしてこんなことにッ!?


「あわわ、あわわわわ……! も、もしかして、わたくしのせいですか?」


 おまわりさん、わたくしです。このガチヲタめがやりました。

 つい魔が差し、可愛らしい少年に獣耳としっぽを生やしました。すべては! この! 性癖が! 元凶なのです!

 切腹ですか? 縛り首ですか? それとも火あぶりの刑? うぇえええぇん!!!


「まずいまずいまずいまずいまずい、これは確実にまずいですぞ!」


 頭を抱えて慌てふためいていると、少年の耳がぱたぱたっと動きました。

 まぶたがゆっくり開き、とろけそうなキャラメル色の瞳がわたくしをとらえます。

 少年は嬉しそうに微笑みました。


―――聖女様―――――――――ご機嫌いかがですか?」


 星のまたたきのような声が鼓膜を優しく揺らします。

 ああ、顔だけでなく声まで可愛いだなんて。


 ……だがしかし。

 わたくしには彼の発した言葉の意味がわかりませんでした。

 日本語でもなく、かといってどこかで聞いたことのある外国語でもなさそうで、不思議な響きの言葉でした。

 ひとつだけ聞き取れたのは【セイジョ】という言葉。


 その途端、脳裏に次々と記憶がよみがえりました。

 迫り来る異形たちの群れ。大気を揺るがす咆哮。

 鎧をまとった剣士たち。戦う人々の怒号や呻き声や悲鳴。

 飛び散る血しぶきと、赤く染まった大地。鼻の奥にこびりつくようなにおい。

 金属がぶつかる硬い音。骨の砕ける鈍い音。

 地面を埋め尽くすおびただしい数の亡骸なきがら

 戦場という場面でわたくしに向けられた多くの視線。

 そして、彼らが口々に呟いていたセイジョという言葉。


 ――わたくしは聖女として召喚されたのでしょう。

 右も左もわからず、言葉もわからない、この異世界へ。


 言葉が通じないためらちが明かないことに気付いたのか、少年は立ち上がってぺこりとお辞儀をして身をひるがえしました。

 彼が立ち上がったり頭を下げたりするたびに、可愛らしい獣耳がぴょこんと跳ね、しっぽがふさぁっと揺れます。ああ、なんて可愛らしい……ではなくて。このままではとんでもない騒ぎになるのではッ!?


 このまま少年の姿が人目に触れたら、わたくしは「己の性癖を暴走させ、いたいけな少年に獣耳としっぽを生やした罪」に問われるでしょう。かといってこのまま少年を部屋に引き留めてしまえば監禁罪まっしぐらです。

 もしここが日本なら、逮捕されるだけでは済まないでしょう。テレビではヲタグッズで埋め尽くされたマイルームが全国放送され、「オタクは危険な存在!」というイメージが世間一般に広まり、ネットではわたくしのアカウントが晒されるに違いありません。


 たとえここが異世界であっても、勝手に獣耳を生やすという行為が褒められるとは思えません。

 もしかしたら重い罪になる可能性だってあります。

 やはり少年の姿を人目にさらすのは断固阻止せねばなりません!


 彼は今まさに部屋を出て行こうとしています。言葉が通じないので引き止めるのも難しいやもしれませぬ。

 こうなったら、を試してみるしかなさそうです。

 本当はあまり使いたくない手段なのですが、背に腹は代えられませぬッ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る