第34話「夢への後押しができた」
王都に帰り、アデルバートにシオンたちの件を伝えると、彼は額を押さえた。
いつもよりも眉間の皺を深くし、いつもよりも低い声で「どうしてこうなった……」と呻く。
それに関してはキャロルもライリーもまったくもって同感である。
ただの視察に行っただけなのに、隣国の皇子が亡命を希望して侵入してくるなんて、誰が予想できただろうか。
「……報告は大方聞いている。最後以外は、実りある視察だったようでなによりだ」
「はい……」
『最後以外は』と力を込めて言ったアデルバートに、ライリーは神妙な顔をして頷く。
「面倒事を持って帰ってきたことに言いたいことは多々あるが、まあ仕方ない……おまえ一人で判断できる事柄でもないことは理解している。シオン皇子についてはこちらで対応を考える。まあ、我が国に居座られても火種の元になるだけなことは明白だからな……フルーク王国の国王陛下、王太子殿下に相談して、本人の希望通りに引き受けてもらおうとは思っているが……キャロル姫、あなたはどう考える?」
「父も兄も快く引き受けると思います」
「なるほど。それは心強い答えだ。では、先方に連絡を取ってみるとする」
そして下がれ、と言うようにアデルバートが手を振る。
ライリーとキャロルはそれに倣い、アデルバートの執務室をあとにする。
「……あまり怒られませんでしたね」
「うん、怒られなくてよかった。まあ……あとでまた文句は言われそうだが……」
心からホッとした顔をしてライリーが胸を撫で下ろす。
「帰りは強行軍で、疲れただろう? ゆっくり休んだ方がいい」
「ええ。では、お言葉に甘えさせていただきます」
正直、疲れていた。
行きのゆっくりとした行程ではなく、ほぼ休み無しで列車に乗り、王都まで帰ってきたのだ。
ただ座っていただけだけど、やはり長距離を移動してきたことには変わりなく、体は疲れるようだ。
そう考えたところで、そういえば、とキャロルは思う。
「アデルバート様……なんだかお疲れのようでしたけれど……体調は大丈夫なのでしょうか?」
「確かに疲れていたな……それが身体的ならものか精神的なものかはわからないが。あとで医師に確認してみよう」
「お願いいたします」
なんとなく、キャロルは胸騒ぎを覚えた。
なにか、キャロルの知らないところで、とんでもない事態になっているような……そんな予感がした。
(まあ、わたしのこの手の予感は当たったことがないのだけど……)
だから、深く考えなくても大丈夫だろうと、キャロルはそう思い、すぐにそのことを忘れたのだった。
東の砦へ視察に向かってから二週間が経った。
シオンは本人の希望通りに部下と共にフルーク王国へ旅立った。そして一月後には極東の国へ行くことになっているようだ。
キャロルの考え通り、フルーク王国はシオンを快く受け入れたようだ。フルーク王国はシオンの祖国であるヴェントゥス皇国とは付き合いがない。それが良い方に動いたようだ。
本日、シオンよりお礼の手紙が届いた。
彼はとても真面目な性格らしく、几帳面な字でお礼の他に近状やフルーク王国での出来事が書かれていた。
──いつかあなたに恩返しができるよう、勉学に励みます。
そう書かれた一文に首を傾げる。
キャロルは特になにもしていないのに、なぜ恩返しなどという言葉が出てくるのだろう。
「ああ……そもそも、彼が亡命をしようと決意したきっかけが私とキャロルが婚約したからのようだ。フルーク王国の姫と婚約し、国同士の繋がりができた今なら頼み込めばフルーク王国へ亡命ができるかもしれない……と思ったらしい。私とキャロルが婚約しなかったら、亡命なんてしなかったと言っていたな」
「そうだったのですね……それでも、わたしに恩を感じるようなことではない気がするのですけれど……」
「まあ、いいじゃないか。私にも同じような手紙が送られてきたし、恩を感じられて悪いことはない」
それはそうだが、なんとなく居心地が悪い。
そう思ったキャロルの表情を読んだのか、ライリーはこう続けた。
「そうだな……こう考えるのはどうだろう。私たちが婚約することによってシオン殿下の夢への後押しができた──とな」
なんとなく釈然としないけれど、それは素敵な考えだとキャロルは思った。
「わかりました。そう思うことにします」
「うん、それがいい。事実ではあるしな」
シオンは元々医学に興味があり、独学で学んでいたのだという。
長い時間ではないけれど、シオンと話をする機会があり、そのときに彼は目を輝かせて極東の医学について話してくれた。
その内容のほとんどは理解できなかったものの、シオンが本気で人を救いたい、民を救いたいと思っていることは強く感じた。
「シオン殿下の夢、叶うといいですね」
「そうだな。叶うことを祈ろう」
「はい」
シオンが夢を叶えたとき、きっと隣国との関係も良くなるだろう。
それが二ヵ国の平和への第一歩となるはずだ。
☆
「まさか視察に行くだけでこんな騒動が起こるとは……」
アデルバートは深くため息をついた。
キャロルの不運さを舐めていた。そうとしか言いようがない。
(だがまあ、ヴェントゥスの内情を知れたのは大きいな。シオン皇子の言う通りならば、まだしばらくは隣国は混乱が続く。となると……難民がこちらに来るかもしれない。その受け入れ準備だけでも進めておかなければ……)
やらなければならないこと、考えなければならない問題はどれも山積みだ。
だが、やれることからやっていくしかない。なにごとも地味にコツコツが一番効果的なのだ。
ひとまず、シオンは隣国フルーク王国へ送ったから、解決したと考えていい。
次に取りかかるべきなのは──。
そう考えたところで、突然胸の痛みが走る。
なにかに心臓を鷲掴みにされたかのような圧迫感。息をするのも上手くできないほどの痛み。
──ああ、発作の症状だ。
頭の片隅でアデルバートは冷静に考える。
この程度の発作ならば、すぐに治まるだろう。それまでは耐えるしかない。
アデルバートの経験則は正しく、少ししたらゆっくりと痛みは引いていった。
ゆっくりと呼吸をし、乱れた息を整える。
「はっ、……ふう…………最近、増えてきたな……」
先日、担当医にライリーかアデルバートの調子について尋ねたと報告を受けた。
つまり、ライリーが気づくくらい、アデルバートの調子の悪さが表に出ているということだ。
気をつけなければならないな、と思うのと同時に、そろそろかもしれないとも思った。
──命の刻限が近づいている。
そんな気がしてならない。
もともと、もう何年も前に死んでいたはずなのをなんとか生きながらえていただけなのだ。
それがもうすぐ終わるだけのこと。
「……そろそろ姫には話す頃合い、か……」
キャロルも大分この国に慣れてきた頃だ。そろそろ心に余裕もできてきただろう。
彼女にこのような重荷を背負わせることを申し訳なく思う。だが、早めに知った方がきっと彼女のためになる。
キャロルは『不運姫』なんて呼ばれるほどの不運の持ち主。なにも知らせず、突然アデルバートが死んだら、自分の不運のせいで、と彼女は自身を責めるだろう。それはさすがに気の毒だ。
この世に未練がまったくないわけではない。
だが、死ぬことでしか成し得ないことだってある。
「もうすぐだ……もうすぐ、復讐は完遂する」
アデルバートは仄暗い笑みを浮かべて、そう呟いた。
【本編2・完】
不運な王女と強運な王子の運くらべ 増田みりん @mirin0109
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