4章6節 Overtureを奏でよう

「あーくっそ。年明けだとさすがに寒みーわ」


 新年一発目の昼休み。松が取れたばかりの空はいつもよりずっと高く感じて爽快だった。本日は天気晴朗なれども風強し。とはいえ、全身で風を受けるのもシャキっとするようで悪くはない。


 恵宝けいほう高校は全部が全部、先公や朝野の庭ってわけじゃない。蛇の道はどこだろうと探せばいくらでも見つかる。


 屋上ってところはその中でもトップクラスにいいところだ。広くて。快適で。鍵がかけられているはずだから朝野あさのどころか教職員も滅多に来ない。なんかの業者が来た時に備えておく程度のコストしかかからないのも気に入っている。


 実にいいところだ。夏は熱くて冬は寒いくせに出入りは校内からしかできないんで上着の類を持っていけないところ以外は。


 まぁ仕方がない。俺はここが気に入ってるんだから。カッコいいし。


 景色だって悪くない。見てみろあの富士山を。青空に白く抜き出たような美しさを。下の階や他の建物では、どこかが隠れたりなにかが入り込んでしまうだろう。なだらかな美しい曲線を楽しむなんてできやしない。


「いって。んだよこれ」


 金網に指をかけると思ったより冷たかった。すぐに離そうとしたんだが、一瞬の間に指とフェンスの間に霜ができて張り付いていたらしい。


 めちゃくちゃ痛かったんだが。皮が剥がれてる様子とかもないし、特に問題はない。ということにしよう。めちゃくちゃ痛いんだが。


 痛みがきっかけになって大事なことを思い出す。教室から昼飯を持ってくるのを忘れた。


「霞でも食った気になってるかね」


 仙人とやらは食事中どんな顔をしているのか。そんなことを考えながら大あくびをすると、背後でドアの開いた音がする。


 こんな時間にこんな場所に来る馬鹿は誰なのか。わかるのは俺しかいない。


「おう。今日は風が吹いてるからよ、けっこう明けんの大変だろ」


 なぁ、喜佐美きさみ


「さすがに寒すぎだよ。呉内、誰も見てないやせ我慢するなら」


「俺。こう見えて小心者でさあ。こういう時に自分を虐めとかねえと、ここ一番で逃げちまうのよ」


 ご自愛はアレにしかしない主義なのよ。と返そうとしたが余りにも品がないんで止めといた。新年早々こんなところにくるってことは俺になんか用事でもあるんだろうし。


「そうだね。良いと思う」


「おまえ」


 なにがあったんだ。と思ったが言葉が続かない。


 八城さんのこともあってか、喜佐美はちょいちょい俺の愚行に苦言を呈することが多くなった。お友達なんて言葉じゃ片付かない関係だったのは俺だってわかるから腹は立たない。


 自分のことはもちろんとして、ダチ公の身体のことが心配になるほど臆病になっている。そんな喜佐美が、どうして俺の冗談を笑って受け止めた。


「心境の変化かな。色々と挑戦して、視野を広げてみたくなった」


 どうも。自棄になったわけじゃないらしい。ドアを閉じる喜佐美は風に煽られちゃいるものの。転ばないように壁に手なんかあてずにしっかり二本の脚で立ってみせているのだから。


「呉内に質問したいことがあってね、来てみたんだ」


「いいぜ。なんでも聞いてくれ。でもあれだ。弁当忘れちまってよ、ちょっと昼飯わけてくんね」


「どうぞ」


 向けている笑顔は一皮向けたようで、目つきも少し変わったような。とりあえず一番食いでのありそうな肉団子をつまんで口に入れる。


「呉内って。いつも無茶苦茶してるでしょ。あれってどうやって思いつくのかなって」


「どうやってって。そりゃあ、性分だからよ」


 喜佐美がどんな苦労をしながら学校に来ているかは知らない。どんなヘボが学校に来たのか気になって自分なりに調べて考えてみたが、正直に言えば想像すらつかなかった。


 わかったことがあるとすれば。誰よりもクソ真面目に高校をやろうとしていることくらい。コネで入ったことに思うところがあるくせに。期待しているジイさん方にも心苦しいんで腐ることもできなかった俺には眩しかった。


 じゃ、そんな奴に俺はどうするか。クソ真面目な生徒の、マジメなお友達になるとでも。そんなもんになってどうする。喜佐美の周りには掃いて捨てるほどいるだろうよ。


「性分か。性分かぁ」


「別に二回も言うほど大事なことじゃねえよ。遊び方を知らないだけだって」


 普通に高校生やるのだって、喜佐美にとっては相当な無茶だ。どれだけの負担かは本人が一番わかっているだろうに。周りの連中はみんな我が物顔でお世話係をやりたがる。


 そりゃそうだ。ほんの少し善意を向けただけでイイことした気分になれるんだから。


 正直に言えば反吐が出るが個人の自由。ちょっとした手助けが必要だってのも、事実だし。度が過ぎなければ俺の出る幕じゃない。


「放課後、空いてるよなあ」


「うん」


「喜佐美の使ってる駅とは逆方向だけどよ」


 俺が喜佐美の親友いちばんだ。


 背中を見守るだの。隣を歩くだの。シミったれたこと言ってるんじゃねえ。


 隣を追い抜いて前を走り抜けて。誰よりも濃くて楽しい高校生活ってやつを。喜佐美が思いもつかないようなところまで楽しませてやろうじゃないか。

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