3章7節 今日が始まる
カフェでしばらく過ごしてからは、テラスに移動して夕陽を眺めたり、資料室で本を読んだりして過ごした。
その間に
夏の始まりの長い夕暮れも終わってからだいぶ経った。時計を見るともう二十時に差し掛かろうとしている。
今から帰るといい時間になるなと思った瞬間、アナウンスが院内に流れてくる。潮時というものがやってきたのだ。
「面会時間も終わっちゃうし、今日はこの辺で帰るね」
「その方がいいでしょう。私も、自分の部屋みたいな場所に移動します。さようなら」
「またね、鑑くん」
病院の最寄り駅は入り口からも見えるくらい近い。どれだけ名残惜しくても、帰りの電車に乗ってしまうまではあっという間だった。
家に着いたらすぐに寝るまでの支度を終わらせた。
寝る直前にもう一度だけスマートホンを開いたけれど、鑑くんからの連絡が一通だけ届いているだけだった。
父から教えてもらえたことがあれば、必ず連絡します。
鑑くんから連絡はそれっきりで。喜佐美くんからも八城からもメッセージが届くこともなかった。
「うるさい」
目覚ましアラームを鬱陶しく思ったのはいつぶりだろう。中学で部活に入ってからはもう気にならなくなっていたような気がする。とにかく習慣づけられているのだ。それなりに眠った後にこの音を聞いて目を覚ますことが。
なんだかんだ外出はいい刺激になっていたようで。自分で思っている以上によく眠れているようだった。身体の調子はいつも通り、いいやむしろ調子がいい。
不思議なものだと思う。気分は最悪に近いのに。
悶々とした気分のまま、朝ごはんを食べた。作り置きのおかずと冷凍食品でお弁当を作った。エプロンを外して制服に着替えたけれど。どうしても学校に行く気になれなかった。
あとはもう出るだけまで準備してしまったのに。いっそ、行ったふりをしてサボってしまおうか。惰性で見ている占いの内容なんかは頭に入らないで、そんなことばかり思いついてしまう。
出発前にスマートホンを眺めるのも、喜佐美くんの安否確認の意味もあって習慣的にやっていることだけれど。
いつも通りに、喜佐美くんから連絡が届いていた。
喜佐美くんが来てくれるのなら、私に行かない理由がない。大急ぎで玄関を出たあとは電車に飛び乗って、いつも通りの時間に改札を出られた。
八城のこともそうだけど。なにより喜佐美くんのことが心配で仕方なくて。待ち合わせのベンチまで脇目も振らずに走り抜けた。のだけれど。
「よう。ホームでぶっ飛ばしてるのが見えたぜ。朝からお盛んだねえ」
「
待ち合わせのベンチに座っていたのは呉内だった。あんなことがあったのにいつも通りの呉内に腹が立ちそうになったけれど、事情を知らないんだから仕方のないことだった。それがわかれば、今日がいつも通りの毎日だと思っている金髪野郎の態度がひどく物悲しく見えてくる。
「なんだよ。そんな黙りこくってさ。おまえさん、体力自慢だったんじゃないの。あ、ひょっとして。眠れないようなことでもあったり」
「とりあえず、喜佐美くんが来るまで待とうよ」
「八城のお嬢さんもだろ。今日も来るんだよな。おまえさん、万洋みたいに連絡取ったりしてるよな」
なにがあったのかわからないから。話せないけど。知られたくはなかったのに。目尻が濡れるのを抑えられなかった。
「お待たせ、二人とも」
呉内が持ってきた缶ジュースを飲みながら喜佐美くんを待っていると。遅刻ギリギリのタイミングで彼が来た。
纏めずに後ろで結んだ髪型に、少し袖の余った制服。いつも通りの喜佐美くんの姿が私たちの前に現れた。思わず、八城がどうなっているのか聞きそうになったけれど。
「遅刻しそうだし。急いでとは言わんが、とりま学校行こうぜ」
月曜日は朝礼がある日だ。薄々感づいていたけれど、話題は亡くなった一人の生徒についての内容だった。八城桃華という。クラスメイトについての話だった。
体育館の空気は重苦しく。女子の中には泣いている生徒も少なくない。周りの男子に泣いているのはいなかったけれど、肩に無念さを滲ませていた。
校長の話はそれなりにいい話っぽくて。口ぶりから先生なりに悲しんでいることは伝わってきた。
八城の内心を知っているのは私だけだったけれど、みんなにとって八城はいいクラスメイトだったらしい。学校生活を快適に過ごすための八城がそうなるように振舞っただけだけれど。その姿が山内とかの何人かの心に残り続けていくんだろう。
朝礼の帰り際は、喜佐美くんの周りにクラスメイトが何人もやってきて励ましたり慰めたりしてくれた。心配する声も少なくない。みんな、喜佐美くんまでいなくならないか不安になっているのだ。
「心配してくれてありがとう、不安かもしれないけど僕は元気だよ。こういうことがあると、どうしても気を使ってしまうから。それで体調が悪く見えたのかもしれないね」
みんなに心配されながらも、喜佐美くんはみんなを心配して優しい声をかけて不安に寄り添ってくれる。これ以上みんなに悲しい思いをさせないように、無理して明るく振舞っているのだ。
八城のように突然いなくなってしまうかもしれない喜佐美くんに。自分の不安より他人の悲しみに寄り添うことができる彼に。
私ができることはなんだろう。どう接して欲しいんだろう。考える時が来てしまったのだ。
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