3章3節 待ち合わせるものたち

 初めてのデートは誰しも緊張するものだろう。しかも、ライバル同伴だ。緊張しないわけがない。


 待ち合わせの駅に到着。夏休みまでもうすぐの、走り出せばうっすらと汗が流れる感覚が頬に触れる。ずっとここで待っているのもいいけれど、予定まで一時間以上も時間があるのだ。最寄りの喫茶店で二人に会う時間を待とう。


 ドーナッツやハンバーガーなんかのお店は何度も入ったことはあるけれど。喫茶店に入るのは初めてだった。


 大抵の駅で見つけられそうなチェーンの喫茶店の中に入ってみると。思った以上に大人びた雰囲気のある空間が広がっている。


 カウンターで注文して、お金を払って品物を受け取って椅子を見つけてそこで食べる。


 今まで通ってきたお店とそこはかわらないのだけれど。メニューの印象とか。店員さんの接客とか。お店全体の色合いやバックミュージックとかの雰囲気が、どこか背筋をシャンとさせてくる。


 トレーに載せられた品物を受け取って、どこに座ろうかと探しているとどこかで見た気がする後ろ姿がある。


 辺りを吸い込むような深い黒色のジャケット。後ろできっちりと束ねられたボリュームのある黒髪。八城に似た雰囲気を感じるけれど、知ってる中ではそんな女子はいないけれど。


「おあ」


「おはよう、久留巳さん」


 顔を見ないと誰かわからないなと思って、前を通り過ぎようとして声が漏れた。女の子だと思っていたけど、喜佐美くんじゃないか。


「せっかくだし、一緒に食べようよ」


 促されるがままに向かいの席に座ると、いつもと違う服装の喜佐美くんは顔つきまで違うように見えてくる。せっかく、お洒落をしてきたのにドキドキしているのは私の方じゃないか。


「こうやって学校じゃない場所で遊ぶのは初めてだったね。学校だとスカートだから、パンツルックは新鮮だけどとっても似合ってる。素敵だよ」


「そんな。えへへへ」


 私だって言いたいことはいっぱいあるけれど、頬が緩んで言葉が出ない。きっと見せられない顔になっているだろう。けれど、喜佐美くんが私を見て褒めてくれたという現実はこれ以上ないほど嬉しいものだった。


「喜佐美くんだって、私服はカッコいい。髪の束ね方だってお洒落だし、見習いたいな」


「照れるな。僕のファッションは、姉さんの真似みたいなものだから」


「それ。朝野先輩も言ってたっけ」


 受け売りみたいなものでいいのなら。と断りを入れて、朝野先輩は今日のための服を買いに行くのに付き合ってくれた。受け売りだということは、教えてくれるなり真似をしている人がいるわけで。買い物をしている時の口ぶりから、喜佐美くんのお姉さんである一海さんがその人だろうとわかった。


「みんな。一海さんを大事にしてるね」


 今の私の恰好は朝野先輩に相談を受けてもらいながら考えたものだ。相談を受けてくれた朝野先輩はお世話になった一海先輩の服装を参考にしているし、喜佐美くんだって同じだ。


「うん。ずっと支えてくれた人だからね。尊敬してるよ」


 尊敬しているという前に、喜佐美くんがコーヒーをそっと口に含んだ。コーヒーと一緒に言葉も呑み込んだような錯覚を覚えたけれど、それはどんな言葉だったのだろう。突っ込んで聞く勇気はなかった。


「そういえば、久留巳さん。カフェオレと一緒に頼んでるサンドイッチはなにを頼んだのかな」


 喜佐美くんや八城になにかが起こってしまったとき、なにがあっても大丈夫なように対応するのも私の役目だ。服装も動きやすいことが第一だし。がっつりと腹ごしらえをするのも大事なことだ。


「ミックスサンドイッチだから、色んなものが入ってると思う。思いっきり楽しめるように、今からエネルギーをたっぷり補給しないとね」


 聞かれたなら、相手が食べてるものも気になった。


 コーヒー一杯とチーズケーキ一皿。喫茶店らしいお洒落な取り合わせだけれど、気づいたことが一つある。


「ブラックコーヒー。飲めるんだ」


「カフェインは制限がかかってるからね。せっかく摂るならそれっぽいものを飲みたいなって思ってるうちに、飲めるようになっちゃった」


「やっぱり、コーヒーはブラック飲みたいんだ」


「自慢になるからね。そうだ、味見でもしてみる」


「喫茶店だし、いい機会かも」


 ティースプーンから味見とはいえ、喜佐美くんが楽しんでいるものを頂けるのだ。どんなこと言われるかわからないから、八城には黙っていこう。


 唇にコーヒーが触れる瞬間、香ばしい匂いが鼻に届いてくる。カフェオレの匂いをもっと強くしたような感じだと予想していたけれど、実際のコーヒーはまったく違う重い匂いがした。


 スプーンを傾けて、薄く唇を開くと舌の上にコーヒーが流れだしてくる。


 呑み込むより早く、お冷の入ったコップに口を付けた。もはや味というより、後味しかわからなかったけれど、苦い風味が口いっぱいに広がった。喜佐美くんはなんてことのないように飲んでいたから、そんなに苦くないんじゃないかと思ったけれど。コーヒーはコーヒーだった。


「ごめん、カフェオレ飲んでるから大丈夫だと思ったんだけど。これ、食べて」


 慌てた様子の喜佐美くんが、チーズケーキを勧めてくる。カフェオレの甘さで流せるかもしれないけれど、コーヒーを飲み慣れてる方の助言に従うことにした。


 ティースプーンで思った以上にごっそり取ってしまったチーズケーキは見た目はどこでも見る普通のものだったけれど。なにかが違う。


 不思議な感じは香りだった。ほんのりとした甘みと広がる、爽やかなレモンの香り。呑み込むと後味はさっぱりとしていて、なんとコーヒーの香りまで消えている。


「うそ。さっきまでが嘘みたい」


「気に入ってくれたら半分どうぞ。お詫びにね」


「やった。デザートにでも。いや食べ過ぎになるから遠慮しとく」


 この後もあるし食べ過ぎも良くない。約束の時間まで、いつもみたいに打ち解けながら、ふだんしないような話までして二人で楽しんだ。


 時間前にお会計を済ませて、待ち合わせ場所で八城を待った。


 事前にこれを使うと連絡を受けた電車が通り過ぎる。喜佐美くんは八城に連絡をとりはじめて、時間が過ぎても八城がこないことを私は確認した。


「久留巳さん、今すぐ行かなきゃいけないところがあるんだけどいいよね」


 反対する理由はなにもなかった、私もついていくつもりだから。

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