3章2節 はじめての
「やっぱり、こういうのが似合うと思ってた」
肩口やスカート部分にフリルのついた夏物のワンピース。絵で見た夏の空のような清々しい青色は、少しあざと過ぎるかもしれないと思ったけれど。思い切って保井に買いに行かせた甲斐はあった。
せっかくの晴れ着にシワをつけないよう、慎重に椅子へ座る。あらかじめカバンに入れておく品のリストを準備しておいた。不足は必ずあるだろうが、無理なく持ち歩けるのなら少し不安になるくらいでも精一杯だろう。
そう考えれば片方が入院生活者で。もう片方が通院が欠かせない虚弱者だ。一人でも一人で出歩くのに不安がられる二人がデートに出かけられるのも奇跡のようなものだった。
スマートホンを開いて予定を確認すると、今日はやっぱり日付の当日なのに間違いはなくて。奇跡を起こしたのだと、万洋と同じ高校に登校した日と同じ思いを感じている。
今朝に届いたメールは二つ。会いに行くときはいつも連絡しあう万洋からのもの。もう一つは、お節介やきの久留巳からのものだ。
文面に特筆するべきものはない。安否確認というより、スケジュールの確認をしているものだ。
返事もありふれたものでいいだろう。文面はたいして考えずに作った。後は送信するだけ、だったけれど。
「たかが同級生にこんな改まっても。馬鹿みたい」
久留巳は昨日もメールを送り付けてきている。こんなにマメにやり取りをしているのは、万洋を除けばこいつだけだった。
簡単に返事を書いて、たった一文添えておく。
お前が来ないと始まらないから、遅刻は絶対しないでよ。
私が万洋と出かけることができるのは、久留巳のお陰だ。否定をするつもりはない。だからついていくことを許した。
だとしたら、久留巳が私を呼んだ理由はなんだろうと気になった。
楽しみにしてるね。明日はみんなでいい日にしよう。
お互い都合がいいからやり取りをしていると思っていたけれど。その必要もないのに楽しみにしてるとか書くものだろうか。書くのだろう。友だちに送ったものなら。
なんてことのない文面を、閉じるでもなくいつまでも見てしまう。
「学校でお友だちができたくらいでこんなにはしゃいで、馬鹿みたい」
数えきれないほどの執刀を乗り越えて。数えようとしただけでも億劫になる病苦に耐えている自分が。久留巳程度の普通の人間に友人面されている。
以前の自分なら。いいや今でも、万洋以外の人間にそんな態度は許せなかったはず。それがどうして久留巳だけには。
「誘ってくれてありがとうくらいは、言ってやっていいかも」
なんだか、久留巳のことを考えると気が抜けた。
万洋から話を聞いたことはあるけれど、水族館は初めて行く場所なのだ。次に繋げるためにも、あまりはしゃぎ過ぎずにつつがなく終わらせたい。
同じ放課後を初めて万洋と過ごしたとき。ドーナツ屋の後にゲームセンターにも足を運んだ。なにをどうやって遊ぶのかわからないものがほとんどだったけれど。それでも面白いものが多かった。
次に選んだカラオケでは座ってジュースを飲むだけで時間を使ってしまった。はしゃぎ過ぎたツケが回ったのだろう。今日これからのことでも同じ失敗はしたくない。
適切な遊び方を知らないまま水族館でいきなりデートは保井にも忠告された。
久留巳は人の体調をよく観察するから、不調があったらすぐに読み取ってくるだろう。気に食わないところもあるけれど、頼りにする理由はちゃんとある。
大丈夫。落ち着いて過ごせばきっと楽しい時間が過ごせる。スケジュールも交通手段もきちんと把握している。
最近はあまり眠れなかったけれど、昨晩は眠剤できっちり意識を落とした。今日を楽しむための準備はしっかりできている。
のだけれど、やっぱり一つ気になる部分がある。見た目になにか、変化が欲しかった。
「もう高校生なのにリボンとか、ありえないんだけど」
いま着ているワンピースはおろしたてのまっさらな新品で、万洋が目にするのは初めてだろう。だから私だって。いつもと違ったなにかがあった方がいいと思った。
「やっぱり。使うべきだよね」
棚の中にしまい込んでいた、マスカラや口紅を手に取ってみる。小指より僅かに大きいくらいの小箱と円筒。同年代の女子なら幾度も使ったことがあるだろう品を、私はおととい手に取ったばかりだ。
かゆみやヒヒ割れの痛みを抑えるために肌の手入れを欠かしたことはない。良くも悪くも病院の生活は低刺激で規則的だ。顔色の悪さや傷跡を隠せば、その辺の女子に負けるような見た目ではない。
そばに久留巳がいても、私の可愛さなり美しさなりが霞むわけではない。むしろ、引き立て役になってくれるだろう。大きな冒険なんかしなくてもいいのだ。
でも。ほんの少し勇気を出すだけでもっと素敵になれるのだとしたら。長いまつ毛や、いつもより明るい色の唇を万洋はどう思うだろう。
きっと、魅入ってくれるはずだ。万洋だって男子なのは変わりない、デートに行く女の子が美人ならきっとドキドキするだろう。
ビューラーでまつ毛を上にあげただけでも、目の印象が強まった気がする。万洋の目にもパチリと開いた印象があるけれど、同じくらいの印象にまで高まった。この上から、更にマスカラをつけるのか。
塗り過ぎないよう、慎重にマスカラをまつ毛につける。やっと片目が終わらせた熱に浮かれるまま、もう片方へも塗り始めてしまって。
「おお」
思わず驚きの声が漏れてしまう。マスカラをしまってから恐る恐る鏡を見ると、予想以上に上手くいったのだ。
これは口紅も上手くいきそうな予感がする。
ますは唇をマッサージしてクリームを塗ることで下地を整える、らしい。
唇のマッサージとはなんなのか。よくわからないけれど優しくプッシュしてみたり。円を描くように緩やかに撫でてみたり。ちょんちょんと触れる指先の感覚が万洋とそういうことをした時を想起させて。ついついにやけてしまう。
「よく見れば、けっこう可愛い色してるじゃない」
唇の中心に口紅を置いて、サッと端まで色を引いていく。事前の準備の甲斐もあったのだろうか、口元に花が咲いているような美しい色合いが現れた。
完璧だ。これならきっと喜んでもらえる。可愛いと、万洋の視線を独り占めできる。
早く起き過ぎたのか、座っているのに眩暈がした。珍しくもないけれど、電車で倒れても仕方がない。服にシワがつかないように座って、しばらく仮眠を取ろう。
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