2章2節 放課後
まだ一年生の私たちにも、そういう面倒な課題があった。
目の前に広がっている、手に持っただけで半身が埋まるほど大きい白紙。A1サイズのポスターにグループの研究内容を纏めて、みんなの前で発表しなくちゃいけない。
ポスター発表と呼ばれる課題のプレッシャーは同じグループになった全員が感じているようだった。
「こんな大きい紙、どうやって埋めればいいんだろうね」
「別に全部埋める必要なんかねえよ、喜佐美。見づらいし、発表する方もやりにくいぜ」
私や喜佐美くんと違って、呉内はまったく狼狽えずに堂々としていた。いつも通り飄々とした態度が、ほんの少し頼もしい。
上手いこと使えば、どのグループも頭を抱えるこの課題を楽に終わらせることができるんじゃないか。そう考えているのは私だけではなくて。
「わあ、呉内くん。とっても頼もしいなぁ。不安だったけど、呉内くんがいるならなんとかなっちゃうかも」
私は彼女の逆鱗に触れてしまって話しづらい。まだ地雷を踏んでいないだろう呉内が八城に乗せられて楽に終わらせてくれないものか。
こっそり祈ると、あのお調子者はすぐに調子に乗り始めた。
「だってよ。俺がポスター書きをさっさと終わらせて、スピーチの原稿を誰かが書く。余った二人は発表の練習に回るのがいいと思うぜ」
呉内の提案は意外にマトモだった。詳しそうな呉内がポスターを作って、スピーチも考える人と発表する人に分ける。
複雑な課題を、簡単な作業に分けて、一人ずつ実行する。負担も少ないし、四人全員が自分の仕事をこなしたことになるチームワークだ。
いい案だと思う。たぶんどこのチームも同じことをやるようになるだろう。
思った以上に具体的だった呉内の意見に八城は満足しているようだ。
言い出しっぺなんだから、始まりさえすれば呉内はポスターをさっさと感性させるだろう。
あとは、喜佐美くんのゴーサインを待つだけだった。
「僕はみんなでポスターを書いたり、発表の練習がしたいな。グループワークなんだし、グループじゃないとできないことをやってみたい」
「じゃ。そういうことで」
迷いも遠慮もなく、喜佐美くんは楽に終わらせる提案を退けた。提案した呉内もあっさり呑んだ。
みんなで作業をするということは、八城と私も意見を交わさなくちゃいけないわけで。
応接室のことを思い出して、八城の方へ視線を向ける。視線を交わした二人にしかわからない僅かの間、八城は一瞬だけ応接室で見せた鬼の形相になった。
「テ、テーマどうしよう。内容とか」
動揺してしまい、うっかり口が滑ってしまった。
どうするかが決まった和気あいあいとした雰囲気に水を差してしまったけれど。ちゃんとした理由がある
昔からの付き合いが喜佐美くんと八城にはあるらしい。
初日の挨拶で話しかけてきたこととか。他の男子の誘いを蹴ってこのグループに入ってきたこととか。
具体的にどういう関係かはわからないけれど。喜佐美くんに、私が彼女の機嫌を損ねてしまったことは知られたくはない。
「さすが久留巳さん。どういうものにしたいのか。聞かせて欲しいな」
八城は笑顔で言っているけれど、応接室でのことを考えれば真意がはっきり伝わってくる。
自分から言い出しておいて何も考えてないわけじゃないだろうな。と。
「先生から貰ったプリントがあるでしょ。その中のどれを選ぼうかなって」
無駄口叩く前に何が出来るか言えよと応接室で言われたのだ。
八城の心証を少しでも良くするには、ご機嫌取りや甘言ではない。具体的な提案が必要だった。
「いいんじゃねえか。じゃ、この中で何がいいか選ぶか」
配布されたプリントの中からテーマの内容を決める予定だったけれど、議論が進んでいる内にまったく別のテーマが浮かび始めていた。
学校を過ごしやすくするにはどうするか。今のままでいい呉内と八城。積極的に変えていくべきだと思う私と喜佐美くん。で、意見が大きく二つに分かれた。
「ちょっとストップ。家で用事があるから、今日はここまで。ということに」
話し合いは盛り上がったけれど、喜佐美くんのお家の都合でこの日のディスカッションはお終いになった。
明日から話し合いの内容は記録しようということになり、その場は解散した。
「手伝ってもらってありがとうな、久留巳。一人で運んでもいいんだが、角をどっかにぶつけそうで心配でよ」
喜佐美くんは下校の準備を始めてしまったし、八城もすぐにどこかに行ってしまう。
呉内にポスターの収納をそのまま任せるのは不安だったので、私も手伝うことにした。
ポスターの件で真っ先に動いたのは呉内だった。上級救命講習のことだって呉内と喧嘩しなかったら思い浮かばなかった。
これからポスター発表の件でも頼りにすることはあるだろうし、これくらいならしてあげてもいいと思う。
「どういたしまして。じゃあ、また明日ね」
「ちょっと待ってくんね。八城となんかあったろお前」
「なんかって。何もないけど」
さらっと鋭い質問を投げかけてくるのは凄いけど。オブラートに包まないならこんな返答しか出来ないじゃないか。
「あっそ。なんか掴んでる風だから気になったんだけどよ」
「なんか掴んでるって。私の心配でもして」
呉内の顔がぐにゃりと意地悪そうに歪んだ。誰の心配もしてないのは明白で、何か面白そうな話が聞けないか探りを入れただけだなコイツ。
「心配はしてるがお前じゃねえよ。どうせ明日になったらみんな知ってるからバラすんだがぁ。山内が告白すんだよ」
「誰に」
や。し。ろ。と呉内の唇が動く。
あいつか。以外の感想が浮かばないクラスメイトの山内。
八城とは初日からなんか距離が近いなとは思ってたけど、相手を間違えたな。
山内。泣いて返されないことくらいは祈ってあげよう。
「で、お膳立てしてやったの俺なんだけどさ。ちょっとやってみないか」
「なにを」
「何をってそりゃ。のぞきだよ、のぞき。見物料くらいは頂いてやるのさ」
「うっわ。最低。そんな」
楽しそうなことやらないわけないじゃないか。
「やっぱりよ。見習うべきだと思うんだ俺たち。アイツの即断即決っぷりをよ」
「あの子が喜佐美くんと何かありそうなの。見ればわかるのに調べてないんだからダメでしょ」
「だよな」
呉内はいやらしくニヤついているが、きっと私も似たような顔をしているに違いない。
ポスターをしまった場所のすぐ側に非常階段に繋がる出入口がある。数段降りて、角度を選べば山内の玉砕現場が見られる。はずだったけれど。誰もいない。
呉内に騙された。と思ったけれど、向こうも訝し気な顔をして下を覗いている。
とりあえず廊下に戻ろうかと思ったけれど、俯きながら全力でどこかへと全力疾走していく山内が見えた。
走り去る山内が建物の陰に隠れてしまった向こう側から、悲痛な叫び声すら響いてくる。
「アイツだと、あの速度は玄関の方から走らねえと出ねえな」
流石に何が起きているのか気になったので、呉内の呟きに従って校門へ向かった。
生徒玄関に八城はいない。適当なことを抜かしただけかと思ったけれど。呉内の推理が正しかったことはすぐにわかった。
今まさに校門を過ぎようとしている喜佐美くんと八城が目に入る。
仲睦まじく手を繋ぎながら、幸せそうに下校する二人を私は衝撃のままに見送るしかできなかった。
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