薄荷飴と珈琲

宵待草

薄荷飴と珈琲

 キュポンッ、と気持ちの良い音をたて、四角い缶を開けた。

 その缶を傾け、転がり出てきたものは半透明の白い宝石のような存在感を放っている。

 それをそのまま口に入れた。


 「ん、おいし」


 歯磨き粉に似たミントの風味を苦手だという人は多いけれど、あたしはやっぱりこれが一番好き。

 最後のひとかけらまでゆっくり堪能すると、もう一度ドロップスの缶を傾けた。


 —――赤色。


 苺味、か。

 苺味は甘すぎてあまり好きになれない。けれど、食べないのも勿体ないというもの。

 いつもより甘すぎないといいなぁ、とあり得ない願いを呟いたその時。


 「ね、そんなところで何してるの」

 「えっ」


 話しかけてきたのは、ワイシャツの第一ボタンを外し、校則違反のピアスをつけた男子。毛先を明るい茶色に染めている。……ちなみにこれも校則違反だ。

 驚きのあまり体勢を崩したあたしは、ドロップスの缶を取り落としてしまった。

 カラカラと軽快な音をたてながら階段を飛び跳ねていった缶は、あたしに呼びかけた張本人に拾われる。


 「ん、なにこれ」


 言いながら言葉の主は缶を傾けた。

 転がり出てきたのは—――……白。


 「あ、駄目っ」


 私の制止もむなしく、彼は白い宝石を口に含んだ。


 「あぁ~~~……」


 あたしのお気に入り、薄荷味を食べられ、思わずその場にへたり込む。

 少しの間、飴を舐めていた彼は、顔をしかめて言った。


 「なんだ、薄荷味じゃん」

 「人の食べといてよく言えるわね!」


 薄荷味を食べたくせに、それに文句を言うなんて許せない!


 「あ、ごめんごめん」

 「謝る気ないでしょ」

 「あ、バレた?」


 ヘラッ、と人懐っこそうな笑みを浮かべる。

 もぉ、本当に何なの!?


 「いやぁ、本当にごめんって。昼休みにこんな人気のない階段に誰かいるとは思わなくてさ」


 まあ、確かにそうだ。世の中の高校生は昼休みに体育館脇の階段で飴を舐めていたりはしないだろう。

 —――……しかしだ。


 「わざわざ落ちてきたドロップスの缶を開けて、あまつさえ食べるってどうなのよ!」

 「だからそれは本当にごめん。丁度、珈琲飲んだ後でさ。ちょっと口直ししたかったかったの」


 ウインクしながら片手で拝んでくる飴泥棒。

 この恨みは忘れないぞ、とばかりに、その整った顔を脳裏に焼き付けながらとりあえずは引き下がる。


 「へぇ。で、どうだった?珈琲と飴だったら、苦い物と甘い物でいい感じに合いそうだけど」


 あたしはコーヒー苦手だけどね。


 「いやぁ、さすがに薄荷飴と珈琲は合わなかったなぁ」

 

 それならなんで食べたのよ。


 「甘い物、克服したくて」

 「え、嫌いなの」

 「うん」


 ソイツは、またヘラリと気の抜けた笑いを見せた。


 「……飴、要る?」

 「あ、いいの?」


 薄荷味以外なら。


 「薄荷は絶対駄目だから!」

 「薄荷、好きなの?」


 うん、大好き。


 「珍しいね」

 「……その言い方やめて」

 「……?」


 〝珍しい〟っていうのは、世間の大多数の人に軸を置いた考え方でしょ。そうしたら、〝珍しい〟あたしは、〝普通じゃない〟って烙印らくいんを押されたように感じるの。


 「へぇ。珍しい考え方するねぇ」

 「あっ、珍しいって言った」

 「あっ」


 あっ、と言って口を押えた彼の顔が、本当に〝しまった!〟っていう顔だったから、あたしは何だか可笑しくなってきて、笑ってしまった。

 そうしたら相手のほうも、堪えかねたように笑みをこぼした。


 「ね、名前何ていうの」


 あれ、そういえば名乗ってなかったっけ。


 「2年C組、青山あおやま萌香もか

 「あ、同じ学年だ」


 ふーん。大人っぽいから三年生かと思った。……飴泥棒だけど。


 「俺は—――……ちょっとこれ読んでみ」


 なぜか、ポケットから生徒手帳を取り出し、あたしに手渡してくる。

 やっぱり人の生徒手帳を見るときは確認すべき、とまず顔写真を確認。

 相変わらずピアスをつけ、気だるげな顔をした飴泥棒君(仮)が写っていた。


 ふむふむ、名前は、と……。


 〝2年A組17番 草凪葉都夏〟


 「くさなぎ—――……は、はと……か、はとか?」

 「さすがにないない」


 でも、そうでもないと読めないし。

 

 「じゃあ〝はつか〟」

 

 とりあえず読めそうなものを挙げてみた。


 「正解。草凪くさなぎ葉都夏はつかって言いまーす」

 「女の子っぽい名前」

 「言われ慣れてる」


 あら、言っちゃいけなかったかな。


 「薄荷みたいな名前してるのに、薄荷飴は嫌いなのね」

 「それはお互い様。青山萌香、なんて珈琲のために生まれてきたような名前じゃん」


 そうかな……。


 「珈琲豆に〝ブルーマウンテン〟っていう種類と〝モカ〟っていう種類があんの」

 

 ブルーマウンテン……青い山……青山、ね。なるほど。


 「そんな、珈琲豆の種類覚えるほど珈琲っておいしい?」

 「あの苦みがいいんじゃん」


 あたしにはわかんない。


 「そっちこそ、薄荷飴って好んで食べるもんじゃないだろ」

 「あの爽やかさがいいっていうか?」


 リフレッシュできる感じがする。


 「ねえ、喫茶店行かない?」

 「はぁ?」

 「俺が萌香でも飲めそうな珈琲を教えるから、その代わり、その飴、いくつかちょうだい」

 

 この、飴を、あげる……。


 「嫌に決まってんでしょ」

 

 何で初対面のアンタと喫茶店に行かなきゃなんないのよ。


 「そっかぁ、駄目かぁ」

 「うん、駄目」


 じゃあ、と葉都夏はひらりと手を振った。


 「また


 今度っていっても、もう会うことはないと思うけどね。





 ……なーんていうあたしの考えは、苺味の飴よりも甘かった。


 「萌香ー、喫茶店行こー」


 その日の放課後のことだった。

 帰ろうとしたら、教室を出たすぐそこの廊下で話しかけられた。


 「話聞いてた!?行かないっつってんでしょ!」


 ああ、クラスを教えたのは痛恨のミスだった。

 そう思いながら額に手を当てる。


 結構整った顔を持つ葉都夏は、あたしにとってはただの飴泥棒でも、周りからは孤高のイケメンに見えるらしい。

 一緒に帰ろうとしていた友達、美菜みなは目を輝かせている。

 そんな美菜にニコリと微笑みかけると、葉都夏はまた口を開いた。


 「逃げられると思うなよ」


 言われたそばから昇降口に駆けだすあたし。

 誰が捕まってあげるもんですかっ!


 これは全くの余談だが、〝逃げられると思うなよ〟という葉都夏の発言は、廊下に居合わせた女子生徒達の悲鳴を巻き起こしたという。





 この日から、あたしはこの葉都夏とかいう校則違反野郎に付きまとわれることになる。


 「萌香ー、行こーよー」

 「うるさいっ。っていうか名前呼びを許した覚えはないッ!」


 薄荷飴の恨み……!とばかりにピシャリと言う。


 「むしろ尊敬するわ! こんなに断られてまだ諦めないだなんてね!」

 「俺は諦め悪いんだよー?」 


 キツめに言うと、食い下がることなく素直に引き下がるのだが、一日に何度も何度も、イライラするほど何度も誘いに来るもので、こっちは気が休まることがない。

 しかし、こんなに苦労しているというのに美菜は……。


 「いやぁ、むしろこっちが聞きたいよ?なーんであんなイケメンに迫られて嫌がるかなぁ。その立場、代われるもんなら代わりたいっていう女子、結構いると思うよ」


 美菜が客観的にそう述べたのは、葉都夏と出会ってから数日後の昼休み、屋上でお弁当を広げているときのことだった。


 そうは言っても飴泥棒だし。


 「飴?まさか学校外で会ったとか?」


 怪訝そうに眉をひそめる美菜。

 おっと、菓子類の持ち込み禁止という校則があったのを忘れてた。


 「ん、まあそんなもん」


 曖昧に誤魔化すと、残っていたお弁当の具を口に押し込み、立ち上がった。


 「どっちにしても、飴を勝手に食べられたからってそこまで毛嫌いすることも愛と思うけどなー」

 「じゃっ、あたし、食べ終わったから」


 逃げるように屋上を後にすると、あたしの指定席、体育館脇の階段へ向かった。





 「何でアンタがここにいるかな……」


 先客がいたのだ。……葉都夏という名の飴泥棒が。


 「絶対来ると思ってた」


 ヘラリとした気の抜けた笑い。校則違反のピアスに茶髪。

 いつまでコイツに付きまとわれるんだろう……?


 「今まで来なかったから、絶対にここまでは追っかけてこないだろうと思ったのに……」

 「残念でしたー。最初からバレてまーす。ちなみに今日まで来なかったのは、本当にここ以外じゃないのか、別の場所を探してたから」


 そんなに隅々まで探すほどあたしを喫茶店に誘いたいわけ?


 「うん」


 大真面目に頷かれ、ちょっと照れくさくなる。

 うーん……。


 「それにしても、なんでそんなに甘い物に固執するの?別に甘い物食べられなくても生きていけると思うけど」

 「えーっと、それにはちょっと深い理由わけがありまして……」

 「ぜひ言ってみなさい」


 えー……、と渋っていた葉都夏に、ちょっとした爆弾を投げ込んでみる。


 「言ってくれたら喫茶店の件、考えてあげてもいいけど?」

 「言います」


 予想通り食いついてきてくれたので、にんまりする。


 「いつか彼女ができたらさぁ、ケーキを二つ頼んで半分ずつ食べる、とかしたいじゃん? それが夢なの」

 「え、それが理由?」

 「そうだけど?」


 その返事を聞くか聞かないかくらいのタイミングで、あたしは思わず吹き出していた。

 そして満足いくまで笑った後、葉都夏に言ってやった。


 「彼女もいないのに、考えることが早すぎるわ! っていうか超くっだらない理由!」

 「彼女がいないって、何で知ってるんだよ」

 「いやぁ、風の噂で聞きましてね」


 この手の噂は、ほとんど美菜から仕入れている。


 「で! 俺は言いましたけど? 結構妄想気味で恥ずかしい甘い物克服したい理由、言いましたけど!?」


 頬をわずかに赤く染めてむきになっている葉都夏。


 うーん。

 これ以上避け続けて、昼休みのこの時間を邪魔されるのも嫌だしなぁ……。

 でも、昼ご飯を食べたらあとは十五分ぐらいしか残らない昼休みを費やしてまで探させていた、という事実に、少々罪悪感を感じてもいる。

 喫茶店……喫茶店、だけなら……。


 「わかった、行ってあげる」

 「ほんと?」


 そう言ってパッと表情を明るくする。

 こういうところだけ見てると、年相応の男の子に見えるんだけどね……。

 そんなことを口に出すと、どうせまた何か意地悪なことを言われるんだろうとおもったので、心の奥にしまっておくことにする。

 

 「今日は用事があるの。だから明日以降で」

 「わかった。じゃあ明日の放課後」


 それだけ言うと、あれだけあたしに執着していたのが嘘のように、あっさり背を向けて帰っていった。

 その背に向けて、ベーッと舌を出す。

 追いかけられるのは嫌だけど、喫茶店に行く約束を取り付けただけであっさり帰っていくのは、なんだか憎らしい。

 


 

 


 翌日の放課後、早めにHRが終わったのでA組のクラスの前で葉都夏を待つことにした。

 まだHR中だったので(A組の先生は話が長いことで有名だ)、そーっと引き戸の隙間から顔を覗かせる。


 (葉都夏はどこだろ……)


 しばらく視線をあっちこっちやっていると、窓際に座ったある人の耳が、日の光に反射してキラッと光った。

 どうにか目を凝らして、見覚えのあるものかどうかを確かめる。


 (葉都夏のピアスだ)


 ピアスにはあまり詳しくはないけれど、輪っか型の、耳たぶをはさむようにつけている銀色のピアスは、葉都夏の茶色い毛先によく似合っていた。


 ふと葉都夏が顔を上げる。

 あたしと目が合うと、ほろりと口元を緩め、小さく手を振った。

 こちらも、葉都夏だけがわかる程度に振り返す。


 (茶色い髪が日に透けていて綺麗……)


 



 HRが終わると、葉都夏は教室を真っ先に出てきた。

 「ほら行こ」とあたしの手を取り、ずんずんと廊下を進んでいく。


 「ちょっと、そんなに引っ張んないでよ」


 あたしの呼びかけには答えず、葉都夏は歩きながら首だけこちらを向いた。


 「楽しみだった?」

 「えっ?」

 「俺と喫茶店行くの」


 遊ばれているとわかったので、「そんなわけないでしょ!」と言いたい気持ちを抑え、反撃することにした。


 「楽しみだったよ?」


 ちょっとだけ上目遣いで言うと、葉都夏はあたしの手を放し、顔をパッと赤らめた。

 視線をさまよわせながら、手の甲で口元を抑えている。


 「えっと……それ、ほんと?」

 「冗談に決まってるでしょ。今のは付きまとってきた仕返しよ」


 ペロッと舌を出して、さっさと歩きだす。


 「……なんだ、期待したのに」


 そう呟いた声がかすかに聞こえ、勢いよく振り向く。


 「今、何か……」

 「ん? 何のこと?」


 けろりとした顔でニコッとする葉都夏。

 ああ、やっぱり葉都夏のほうが一枚上手だ。


 「早く行こ!」


 本当なのか冗談なのかわからない。

 それでも心をかき乱されたのは事実なので、くるっと踵を返し、葉都夏を振り切るように早歩きで廊下を進んだ。





 昇降口を出ると、葉都夏は自転車置き場の方へ足を向けた。


 「葉都夏、自転車なの?」

 「ん?ああ」


 あたしは電車で登下校をしている。


 「二人乗り、しちゃう?」


 秘密の約束でも話すときのように、葉都夏の瞳が悪戯いたずらっぽく輝いた。


 「え、道交法違反じゃ」

 「二人乗りくらい大丈夫でしょ。それに、既に校則も破ってるっていうのに?」


 確かにその言葉に嘘はない。

 だけど校則と法律を一緒にする気にはなれない。

 

 「それはそっちだって」


 ピアスしてるし髪も染めてるし。


 「別に俺は気にしてないけど?」


 むう。


 「歩いていける距離なの?」

 「まあ」

 「なら歩いてく」


 自転車に鍵をさしている葉都夏を置いて、あたしは校門に向かってさっさと歩きだした。


 —――……急に二人乗り、って言われて心臓が騒いだなんて、絶対に勘違いなんだから。


 



 「……ここ?」

 「そう」


 着いたのは、「薄荷と珈琲の店」という看板がかかった喫茶店。


 「ここ、あたしがよく行ってる店だ」

 「そうなんだ、偶然」

 「うん、ここでいつも薄荷飴買ってるの」


 〝薄荷と珈琲の店〟を謳っているだけあって、入っている飴が全部薄荷! っていう飴の袋が売っている。


 へぇ、すごい偶然、と無難な返事を返し、葉都夏は重厚感のあるドアを開けた。

 チリン、と小さくドアベルが鳴る。


 「お先にどうぞ、〝薄荷姫〟」

 

 少し腰を折り、手で店内を指し示している葉都夏。

 上目遣い気味にこちらに微笑みかけてくる葉都夏にちょっとドキッとしてしまったが、その動揺を表に出さないように、こちらもおどけて言った。


 「どうもありがとう、〝珈琲王子〟」





 店内はレトロな雰囲気の椅子とテーブルで統一され、窓にはステンドグラス風の装飾が施されている。

 この一昔前っていう感じがすごく居心地がいい。

 六つあるテーブルの中から、葉都夏は窓際の席を選んで座った。


 「何頼む?」

 「え」


 何頼む、と言われましても……。


 「珈琲とかよくわかんないから、選んでくれない?」

 「どのくらい苦いのが嫌いなの?」

 

 問われて考えてみると、自分でもよくわからなかった。

 苦そう、と思ったものはことごとく回避してきたからかな……?


 「……ミルクティーにガムシロップを一個丸ごと入れるくらい……かな」

 「それは結構な甘党だね」

 「んー、でもだからと言って甘い物が大好きなわけでもない」


 苦い紅茶にガムシロップ一個投入しても、言うほど甘くなるわけでもないし。

 いつも食べてるドロップスの缶の苺味は苦手だしね。


 「意外」

 「そう?」


 うん、と頷く葉都夏。


 「なんか派手なケーキ頼んで〝映え~~~~♡〟とか言ってるタイプだと思ってた」


 それ、結構失礼なこと言ってるってわかってる?

 恨みを込めてジーッとしばらくの間睨んでいたが、葉都夏は全く気にせずメニューと睨めっこしている。

 「そっか、甘すぎず苦すぎず……」


 難しいな、と小さく呟いたのが聞こえた。


 「カフェモカはどう?」

 「カフェモカ……って?」


 まあ知らないよね、と苦笑しながら、葉都夏は説明してくれた。


 「珈琲豆を粉みたいになるまでいて、それに圧力をかけて最ッ高に苦い珈琲を抽出したものがエスプレッソ。そのエスプレッソだけだとものすごく苦いんだけど、それにココアだかチョコソースだかを入れて甘くしたものがカフェモカ」


 苦い物と甘い物のマリアージュって感じかな。


 「チョコはビターチョコならいけるんだけど、そんな感じになるのかな?」

 「そうかもね」


 〝かも〟って……。


 「甘そうで飲んだことないから」


 そっかぁ。


 「それなら、一緒にカフェモカ頼まない?」

 「えっ」

 「あたしは苦い物克服のため、葉都夏は甘い物克服のため」


 一瞬目を見開いた葉都夏だったが、すぐにいつものヘラリとした笑みを浮かべた。


 「……もしかして、このカップル限定のカフェモカがいいの?」


 葉都夏が指でさしたメニューの写真は、一つのグラスに二つのストローがささっているものだ。


 「そっ……、そんなわけないし!!」


 ただ、両方のためになるかなって思っただけで—――……。


 「顔、赤いよ」

 「葉都夏の目がおかしいんでしょ!」


 葉都夏の所為せいにして、プイッとそっぽを向いた。

 自分でも頬が熱いのには気が付いていたが、それを認めてしまえば自分の中で何かが変わってしまう気がする。


 葉都夏はふっと微笑むと、「見なかったことにしてあげる」と言った。


 「すみませーん」


 この喫茶店には、店員さんを呼ぶチャイム(アレの正式名称は何て言うんだ?)がない。というより、二人が向かい合って座れるテーブルが六つしかない小さな喫茶店のため、そんなシステムが要らない。


 「はぁいっ」


 店員さんの一人、紺色のエプロンをつけた二十代くらいの若い女の人が、たたたっと走ってオーダーを取りに来てくれた。


 「あぁっ、葉都夏君だぁ」

 〝みと〟という名札をつけているその女の人は、人差し指を葉都夏に突きつけてのんびりと言った。


 「美都みとさん、久しぶりです」

 「誰?」

 「こちら、俺の叔母、美都さん」

 「初めまして~、葉都夏の叔母です」


 ペコリ、とお辞儀をする美都さん。

 こちらも慌てて会釈を返した。

 美都さんは葉都夏の耳元に口を寄せると—――……。


 「なになに、彼女?」


 ……聞こえてるし。


 「違います。彼女なら、わざわざこの喫茶店選ばないし」


 葉都夏が〝違います〟と即座に言い放ったのが言葉の針となり、心にチクリと刺さった。


 そっか。まあそうだよね。最近知り合ったばっかりだし。


 自分を納得させようとしたけど、頭のどこかでまだ納得していない自分がいる。その相反する二つの想いがぐるぐると渦を巻いて、結局モヤモヤした気持ちだけが残った。


 「この子にだって、いつか彼女ができたとき、甘い物を食べられるようになりたいから協力してもらってるだけだし」


 それは知ってた。

 ……知ってた、んだけど……。

 モヤモヤした気持ちを振り払うように葉都夏に文句を言った。


 「ねえ、早く注文してよ」

 「ああ、ごめん」


 カフェモカを二つください、と美都さんに頼むと、葉都夏はメニューを閉じた。


 「苦い物、大丈夫になるといいね」

 「あ、うん」


 ……気まずい沈黙。

 会話が止まってしまうのが一番気まずい。

 あー、と明後日の方向を見て、葉都夏が声を出した。


 「何かスイーツも頼みたかった?」

 「ん?あ、いや。別に……」


 ……再び沈黙。


 「ごめん、何か怒ってる?」


 その沈黙にギブアップした葉都夏がおずおずと聞いてきた。

 葉都夏は悪くない、悪くないんだけど……。


 「怒っては、ない」


 葉都夏の未来の彼女に少しばかり嫉妬してたなんて言えない。

 あたしの返事を聞いた葉都夏の表情が、だんだんとニヤニヤした顔に変わる。


 「もしかして萌香……、〝彼女じゃない〟って言ったから拗ねてんの?」

 「んなわけないでしょおぉぉぉ!!」


 反射で噛みついてしまう。

 ……もちろん照れ隠しだ。


 「だーいじょうぶっ。俺は好きだよ?萌香のこと」

 「な゛っ」


 自分でも頬が上気したのがわかった。


 「そ、それって……」

 「……友達として、ね」

 「なぁんだ—――……」


 葉都夏の冗談に振り回され、力が抜けたあたしは、テーブルの上に突っ伏してしまった。


 「そういう冗談、やめてよぉ……」


 特に、あたしでも自分の気持ちがよくわかってない今なんかは。





 「こちら、カフェモカになりまーす」


 相変わらずのんびりとした美都さんの声が、注文が届いたことを知らせた。

 

 見た目は、基本的には普通のカフェオレに似てる。ドリンクの上にホイップクリームが絞られ、上からチョコソースがかかっている。


 「……お、美味しそう……」

 「気に入ってくれたようでよかった」

 「まだ飲んでないけどね」


 ガラス細工の施されたグラスを手元に引き寄せてストローをさし、おそるおそる一口飲んでみる。


 「どう、美味しい?」

 「ビターチョコみたい」


 あたしの返事に、嬉しそうに微笑んでいる葉都夏を盗み見る。


 —――……べ、別にかっこいいとか思ってないんだからッ!!


 高鳴る心臓を抑えるように一気にカフェモカを吸い込んだ。


 「葉都夏も飲みなよ」

 「じゃあお言葉に甘えて」


 目を伏せてカフェモカを飲む葉都夏をじっと見つめていると、意外とまつ毛が長いことに気が付いた。


 (長いし、綺麗に整ってる……)


しばらく見惚れていると、伏せた目はそのままに、葉都夏が話しかけてきた。


 「萌香、俺の顔に何かついてる?」

 「え!?いやぁ、別にっ?」


 上ずった声で否定する。

 気づいてたんだ……、あたしが見てること。

 冷静になってみると、結構恥ずかしいかも。


 「ん、美味しい」

 「だよね!」


 甘すぎず、苦すぎず。


 葉都夏が呟いていた言葉を思い出した。

 まさにその通りだった。


 「ね、また飲みに来ない?」


 あたしにしては勇気を振り絞った発言。

 

 「ああ。また来ようぜ」


 —――……そう言ってくれたのがものすごく嬉しくて。

 口元がだらしなく緩むのを隠すため、カフェモカを勢いよくすすった。


 葉都夏が思い出したように手を出す。


 「そうだ、飴」

 「ん?」


 ああ、あたしでも飲めそうな珈琲を教えてくれたら飴をあげるっていう約束のことか。


 あたしはスクールバッグからドロップスの缶をを取り出すと、栓を開けて缶を傾けた。

 転がり出てきたのは—――……白色。


 「はいっ」


 少し惜しい気持ちもあったが、その飴をそのまま葉都夏に手渡す。


 「さんきゅ」


 すぐに口に入れる葉都夏。舐めながら、葉都夏の目が少しずつ見開かれていった。

 

 「……いいかも」

 「え?」

 「薄荷飴、いいかも」


 あたしの目も、葉都夏に負けず劣らず見開かれていたに違いない。


 「萌香の言ってること、わかった。確かにこの爽やかな味、リフレッシュできる」


 飴を舐めながらのモゴモゴした声だったが、あたしには聞き取れた。

 ふわっと微かに香った薄荷の香りがあたしの鼻孔をくすぐる。


 「あたしも舐めよっかな」


 カミサマ、薄荷味をお願いします。

 そう念じながらドロップスの缶をカラカラと振る。


 缶を傾けて、出てきたのは—――……赤色。


 ガクッとテーブルに倒れ込む。


 「苺味、嫌いなの?」


 苦手……。


 「試してみればいいのに」

 「いつも試してるよぉ……」

 「でも、今日カフェモカ飲めたじゃん。今日ならいけちゃうかもよ?」


 俺も薄荷いけたし、とうながしてくる。

 ……まあ、この飴ちゃんに罪はないし。


 「んっ」


 掛け声とともに目をつぶり、苺味の飴を口に入れた。


 「どう?」

 「……甘い」


 いつものように甘い、でも。

 なぜだか今日は、その甘さがしっくりくる気がした。

 —――……その理由わけは。


 あたしの手の中にあるカフェモカのグラスのおかげか、はたまた目の前に座っている珈琲王子の所為せいなのか。


 その答えは、まだあたしには出せない。

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薄荷飴と珈琲 宵待草 @tukimisou_suzune

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