5.第11地区
数分間、デスク、床、コルクボードの裏側など可能な限り探し回ったが紙切れどころかその痕跡さえも見つけることができなかった。白地に絵麻の文字で記されたカードがあったはずだったが一片の余地もなく消え去っていた。
「いつまでやってるの!?」
「うわぁ」
気の短い絵麻が待ちかねて控室まで様子を見に来た。
「いやぁ……」
「入学ボケ?大学入ってから気が抜けたんでしょう?」
「いや……確かにコルクボードにあったんだ……」
腑に落ちない邦継は飽きずに控室の中に目をやる。
「……わかったから一旦、夜用にテーブルとカウンターをセッティングして頂戴!」
「……へーい」
邦継はホールへと戻る。
「それと」
絵麻は付け足す。
「一応、店頭の掃除を軽く済ましておいて。念のため」
「……はいよ」
いまいち釈然としない邦継の背中を見送った控室を絵麻が見渡す。
「……妖精さんでもいたのかしらね……」
カンファバーは夜6時から予約した客のみアルコールを提供している。日中でもビールなどは飲むことができるが複数人集まっての飲み会などは基本的には予約制を設けている。個人経営であるカンファバーの従業員の数が限られているための措置である。無秩序に客を受け入れてしまうと店が回らなくなってしまうためだ。
午後7時すぎ。
ゴールデンウィーク前ということもあり、客入りはよく、繁盛していた。
「邦継~3番テーブル、片づけてー。次の人たち、きちゃうよー」
「あーい」
空いたグラス、食器、食べ残しを手際よく片付け、タイミングが合えば客の注文の作成を手伝う。忙しく店内を動き回っていると珍客が来た。
「やってるかー」
くすんだ茶色いハンチング棒からのぞかせる白髪交じりの頭髪が哀愁を漂わせる。恰幅のいい中年男性が誰に向けるでもなく声高らかに入店した。
「やってますよー。今日はもう仕事は終了?」
絵麻の声掛けに応答した中年男性はカウンター席の端に陣取り、腰を下ろした。
「終わり終わり。上と下に挟まれる中間管理職は閉店ガラガラ」
両手を上から下に下げ店先にあるようなシャッターを閉める動作をした。
「いつものビールとナッツ、頂戴」
「はいよー」
絵麻は注文を受けてすぐに作業に入る。
中年男性はあたりを見回し、すぐさま邦継を発見する。
彼に目線を向けながら他愛のない世間話を絵麻に向けた。
「邦継の坊主はどうよ?」
「そうですねー、いつも通りです~」
「……そうか。……こっちはいつでも歓迎してるんだけどな」
「……本人がそんなに前向きでなければ、あまり関心しませんけど。私は」
「余人をもって代え難い、とでもいうかな」
「なに斜に構えてるんですか。しつこいと出禁にしちゃいまうよー。ここは憩いの酒場。適度にアルコールを摂取してくださいませ。はいジョッキ生とナッツ盛り合わせ」
絵麻がカウンター越しにグラスジョッキとナッツの小皿をやや粗く配膳した。
「お、サンキュー」
中年男性がビールに口をつけ始めると同じくして邦継がカウンターに戻ってきた。
「あ、浅田さん。こんばんはー」
「おう、調子はどうだ。大学も行ってるんだろ?」
「いってますよ。順風満帆の一歩手前くらいです」
当たり障りのない返答をする邦継。
「それはなにより。最近どうようだ?」
「なにがっすか?」
「おやっさんの手伝いで困ったことはないか?」
「それ自体はないですけど……そっちでなんかあったんですか?」
「いあや、何、第11地区できな臭いことを聞いたんでな。用心しろよ」
「それだけじゃ何に気を付ければいいかわかりませんよ。浅田課長」
「今は勤務時間外だ」
「そっちから始めたくせに」
思わせぶりなことを言いもったいぶった格好の浅田の態度に邦継は軽く不貞腐れた。
浅田岳。特殊法人三境会に所属する人物であり、第22地区事務局での活動をしている人物である。
三境会は、神社仏閣の御用聞き、地域の催事の世話人、宗教にかかわる事柄の啓発、監察などを職務とする法人である。上記は表向きの活動である。
三境会の目的は天界、現世、獄界の均衡を保つための組織である。異形のもの、いわゆる異界の住人、天使のような神性・天性を持った存在、その逆に魔物や悪魔などの魔性を持った存在などそれぞれを監視している。時には異界のものを取り締まり、状況によってはこれを人間界から排除する。
「まぁ、とにかく気をつけろ。いくらお前さんでもやばいと思ったらこっちに連絡しろよな」
「へいへい。おかわりいります?」
邦継は空いたグラスに目をやり、さらなる浅田の一献を促した。
「おう、同じやつ」
「かしこまりました。絵麻さんビールジョッキ生追加!」
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