第八話 銀の箱

 掌サイズの小さな銀の箱。金属製の重厚な造りに、質素な彫刻。人工物と言えばコレ、そうとでも言えそうな一品だ。

 問題は側面に小さく彫られたAbelの文字。

「偶然にしては.... 出来過ぎてるな.....」

 冷静になってみると、一体何が出来過ぎているのか分からなかった。この人生の脚本を手掛けた人物に対して、放った言葉なのだろうか。だとしたら、言う相手を間違えている。だがもう、飛び出していってしまったものを戻すことは出来ない。

 ゴリラは少し間を置くと、彫りの深いその顔を近付けてきた。

「そうだなァ... アベル.....」

 固唾を飲んで、瞬いた。それ以外に出来る事は、無い様に思えた。長い静寂が部屋全体を包み込む。

 死ぬのか、俺は。

 そうして再び瞬いた。

「アベルを虐めるなハゲゴリラ」

 瞼が開いたその瞬間、恐れは他のものに向いていた。

 ゴリラの後ろに絡繰がいる。

 そんな驚きに間髪を入れず、絡繰はゴリラの頭に軽い平手打ちを決め込んだ。叩いた理由を添えながら。

 あれほど鳴る扉の音が全く聞こえなかった。絡繰は見たまま突然現れたのだ。

 そうしてゴリラはゆっくりと引き下がって行った。助かった筈なのに、助かった気がしない。それでも何故か、気は抜けた。

「お前が良いなら、俺から言う事は何も無い」

「あぁ良いんだよ。でも、ありがとな。ゴリラ」

「ふん。誰がゴリラだ」

 絡繰と絡繰が互いを思い遣る。実に素晴らしい事ではないか。

 大手を振って拍手を送れない状況に、理由など無い。

 無いのだと、言い聞かせた。

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