第7幕 安らげる場所

ウィンターズ家のお屋敷はリザベートの市街地から少し離れた丘の上にある。広大な庭とレンガ造りの3階建ての大きなお屋敷。裏には雑木林と秘密の野原がある。

ウィンターズ家の当主である父"ダグラス•ウィンターズ"はリザベートの街では有名なアパレルブランド「ダヴィンチスーツ」の社長。

ビジネススーツ事業を主とする彼の会社は、リザベートの街以外の国で3店舗の支店を持つ大企業である。

「お父さま、サーカス団は次いつこの街に来るのかなぁ!」

ダニエルは父に尋ねた。

「そうだな…。先週この街から出たばかりだからなぁ、早くて2年後じゃないか?」

「2年後かぁ…」

残念そうな顔をするダニエル。

「ダニエルはパパの会社の大事な後継ぎなんだよ、サーカス団より勉強を頑張りなさい」

ダグラスはサーカス団の話を楽しそうに話すダニエルを良く思わなかった。

「はーぃ…」

先週は父と2人で市街地まで買い物に出掛けたのだ。サーカス団はその時たまたま観たもので、サーカス団を目的に市街地に居たわけではない。

だか、ダニエルにとってその時観たサーカス団はとても輝いて見えた。

「ちょっと出掛けて来ます」

ダニエルは玄関へ向かった。

「暗くなる前に帰って来てね」

アリアはダニエルに注意した。

「はい、お母さま」

玄関のドアが閉まる音がした。

「あの子たちまだ6歳ですよ?ちょっとぐらい夢を見たって良いじゃありませんか」

アリアはダグラスに優しく諭す。

「…そう…だな」


その頃ウィルソンはキッチンでマリーにお菓子作りを教わっていた。

バターと小麦粉の匂いがキッチンに広がる。

クッキーを作っているところだった。

まとまった生地を小さくちぎり、100円玉ほどの大きさに丸め、オーブンシートに並べる。

「お上手ですよ、坊っちゃま」

マリーはいつも優しくお菓子作りを教えてくれる。

「美味く焼けるかなぁ」

「大丈夫ですよ。うまくいきます。」

マリーは並べ終わった生地をオーブンへ入れる。

「にぃちゃんサーカス団の話ばっかりするんだよ。ぼくもサーカス観てみたい!」

ウィルソンは実際には観たことのないサーカス団に興味津々だった。

「にぃちゃん大人になったらサーカス団の人になりたいんだって」

「ウィルソン坊っちゃまはサーカス団に入りたいとは思わないのですか?」

マリーはウィルソンに聞いた。

「ぼく?ぼくは…身体も弱いし、足も速くないからにぃちゃんみたいにはなれないよ…」

「そんなことはないのでは…?」

「ぼくはお菓子を作っていた方が楽しい。マリーの作るお菓子が好き!」

「そうですか。ありがとうございます坊っちゃま」

マリーは優しく微笑んだ。

「クッキーが焼き上がるまで時間があります。出来上がったらお呼びしますので、リビングでお待ちください」

「うん!楽しみだな」

ウィルソンはリビングへ向かった。

父のダグラスが玄関を出て行くのが見えた。

「お母さま、お父さまお出掛け?」

リビングの椅子に座っていた母に駆け寄る。

「あら、ウィルソン。ダニエルはお外に遊びに行ったみたい。お父さんは街に行くって言って出て行ったわ」

「そっか、マリーと一緒にクッキー作ったんだぁ、もうすぐで出来上がるんだって」

ウィルソンは母の膝の上に座る。

「そう、楽しみね」

アリアはにこっと微笑みウィルソンの頭を撫でる。

「ねぇお母さま、ぼくもにぃちゃんみたいに身体弱くない方がよかった?」

「え~、どうしたの急に…」

「病気ばかりでお外であんまり遊べないから、病気になるとお母さまはぼくにずっとついているから、元気な子の方が良いのかなって…」

ウィルソンは喘息と高熱で体調を崩すことがよくある。その度、母のアリアは付きっきりで看病をする。ウィルソンは子供ながらに母を気遣い申し訳なく思っていた。

「そんなことないわ」

優しい声で囁き、ウィルソンを両腕で抱き寄せた。

「あなたはあなたのままでいい…。ママは優しくて強い心を持ったあなたが大好きよ…。大丈夫…あなたはとっても良い子…。これからもずっと変わらないわ…」

「…ぅん、お母さまだいすき…」

温かくて優しい声が頭の上から降ってくる。

「ダニエルにはダニエルの、ウィルソンにはウィルソンの良いところがあるわ。パパもママもマリーだって、ちゃんと解っているわ」

不安な心を包み込む"愛情"と言うものが伝わってくる。

「ただいまー」

玄関で声がする、ダニエルだ。

「にぃちゃん帰ってきた!」

ぴょん、と母の膝から飛び降りる。

「にぃちゃんおかえ…」

ダニエルは弟と母の居るリビングに顔を出さず、リビングの入り口を通り過ぎた。

「にぃちゃん?」

ダニエルは階段を上がり子供部屋へ入る。

ウィルソンが後を追う。

「にぃちゃんどうしたの?」

「あぁ、ウィルソン。ただいま」

ウィルソンの声に反応し振り向いた。

「ウィルソン見てよ、これ」

ダニエルは買い物をしてきたであろう、紙袋を逆さにして勉強机の上に散らした。

鉛筆や消しゴム、ノートなどが出てきた。

父親の言い付け通り、勉強する道具を買って来たのだ。

「これ、街の文房具屋で見つけたんだけど…ほら!」

紙袋の中に手を入れ"お手玉"を2つ取り出した。

「なぁにこれ?」

「お手玉だよ!サーカス団のピエロが象の上に乗ってこれをくるくる投げるんだ」

実際観たわけではないので"くるくる投げる"と言われても想像も付かないウィルソン。

「サーカス団の人が使うの?すごい!」

ウィルソンは近くに寄り、お手玉をまじまじと見る。

黄色と白色の布が継ぎ接ぎになった握りこぶし程の大きさのお手玉だった。

「貸してよにぃちゃん」

「ダメだよ。まだ遊んでないからウィルソンは後で」

「ちぇ…ケチにぃちゃん…」

ウィルソンはイジケた。

ダニエルはお手玉を両手に一つずつ持つ。

右手に持っているお手玉を上に軽く投げ…キャッチ。

左手も軽く投げ…キャッチ。と繰り返した。

「貸してよにぃちゃん」

「待って」

父親には勉強のことだけに集中しろと言われているが、ダニエルはサーカス団のことが忘れられないでいた。

「あぁ、ウィルソン坊っちゃま。ここにいらっしゃいましたか。クッキーが焼き上がりましたよ」

マリーが子供部屋に顔を出す。

「わーぃ!クッキー出来た!にぃちゃんぼくの作ったクッキーだよ。食べに行こう!」

「うん!食べる!」

ダニエルは机にお手玉を置いた。

2人はリビングへ向かった。

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