第32話 手料理
騎士団が新体制に移行して少し日数が経過した。
忙しさも少しずつ落ち着いてきたので、エルウッドは屋敷に帰る日が増えてきた。
そんなある日の事だった。エルウッドが帰宅すると、どういう風の吹き回しなのか、フィーが夕食を作ると言い出した。
「一応エルウッドの屋敷でお世話になってるワケだし、この前は買い物にも連れて行ってくれたんだから、お礼よお礼。魔女は義理を大切にするの」
「そうですか、分かりました。では楽しみに待ってます」
「ええ、任せておいて!」
フィーは自信満々に胸を張ると、厨房へ消えた。しばらくして美味しそうな匂いが漂ってくる。そして食堂のテーブルの上に料理が並べられた。
野菜たっぷりのポトフに、焼きたてのパン。それに赤いソースのかかった鶏肉ステーキ。添え物にザワークラウト。どれも美味しそうだ。フィーは得意げである。
「どう、凄いでしょ? 家庭料理だからあんたの口には合わないかもしれないけど」
「そんなことはありません。俺もこういう家庭的な料理が好きなんです」
「そう、なら良かった」
「フィーさんは意外と家庭的なんですね」
「意外とってなによ、失礼ね。まあいいわ。ほら、冷めない内に食べてよね」
「この赤いソースは?」
「魔女特製の秘伝ソースよ。ああ、心配しないで。人間も普段食べ慣れてる食材を使ったから。赤唐辛子とニンニク、ブラックペッパーとローズマリー、それから少量のお酒で作ってあるわ」
「そうですか、ではいただきます」
「どうぞ」
エルウッドはまず、フィーが作ったスープから手をつけた。
口に含むと、芳醇な香りが口の中に広がった。優しい味だ。塩加減が絶妙で、野菜の旨みがよく出ている。
続いてメインディッシュの肉を頬張った。柔らかくジューシーな鶏肉は、香辛料の効いた濃い味付けがされている。肉体を酷使する若いエルウッドにとってありがたい味付けである。食べ応えも抜群だ。スパイスの風味も食欲をそそる。
「美味しいですね」
「そう? なら良かったわ」
フィーは嬉しそうに微笑む。エルウッドは続けて、サラダとパンに手を伸ばす。
新鮮なレタスとトマトとチーズ、それにオリーブオイルが掛かっただけのシンプルなサラダだ。これもなかなかに美味しい。
「これも絶品ですね。食材と調味料のバランスが最高です」
「そんなに喜んでもらえると、作った甲斐があるわね」
フィーは照れたように指先を弄りながら、エルウッドの顔色を窺う。エルウッドは黙々と食事を続けた。やがてすべての料理を食べ終えた後、満足して息を吐く。
「ご馳走さま。とても美味かったです」
「どういたしまして。料理は調合と似たところがあるから、私ぐらいの魔女になると余裕で作れちゃうんだから」
フィーは自信満々に胸を張る。エルウッドは食後のコーヒーを飲みながら、彼女の話を聞いていた。
「フィーさんは200年間もたった一人で森の奥で暮らしていたんですよね」
「ええ、氷竜に魔力回路が壊れる呪いをかけられたせいでね」
「氷竜というのは、俺が倒した炎竜と同じ邪竜族ですよね。俺の呪いはすぐ解けたのに、氷竜の呪いはそんなに厄介なのですか」
「まあね。炎竜はフィジカル面が強い邪竜族だけど、氷竜は魔法や呪術が得意な邪竜族なの。だから炎竜の呪いは単純だけど、氷竜は厄介なのよ」
「なるほど。ところで、どうしてそんなに長い間一人きりで暮らしてたんですか?いくら魔力回路を傷つけられたと言っても、別の生き方もあったのでは?」
少なくとも今はこうしてエルウッドと暮らしている。
それならマナスポットの森に200年も引きこもらずとも、外の世界で生きる道もあったのではないか。そう思うエルウッドだが、フィーは左右に首を振る。
「私は魔女として生きたかったから。魔女は群れるのを嫌うのよ。大勢の人と一緒に暮らして、いつも周りに人がいるような生き方は私にはできない」
「そうなのでしょうか……」
「でも、まあ、最近はそうでもないかもと思ってきたけどね……」
「え?」
「な、なんでもないわよ。それはともかく、私は200年前に力を殆ど失った。で、それからは森に引きこもって細々と薬を作ったり研究したり、時々人間の悩み相談に乗ったりして暮らしてきたの。そうやって過ごして気がついたら、200年も経っていたのよ」
「200年も引きこもっていたというのは、改めてすごい話ですよね」
「なによ、引きこもりが悪いって言うの?」
「すみません。この国では引きこもって暮らす人が少ないもので……それに引きこもりは良くないという風潮もあるので、つい驚いてしまったんです。気分を害したのなら申し訳ありません」
「つくづくこの国の価値観は私に合わないみたいね。引きこもっていて正解だったわ。エルウッドを観察し続けて氷竜の呪いを解く方法が見つかったら、また森に戻って引きこもり生活を満喫しようかな」
「…………」
「ご馳走さま」
フィーはテーブルに手を置いて立ち上がろうとする。気がつけば、彼女の食事ももう終わっていた。
だがエルウッドは反射的に手を伸ばし、フィーの手を掴んでいた。彼女は驚いた顔でエルウッドを見つめ返す。
「な、何?」
「すみません、咄嗟に動いてしまいました。でも、こうしてみると分かります」
「なにが?」
「フィーさんが華奢なことが。こんな小さな手で、よく200年も一人で生きてこられたなと感心していたんです」
「……」
フィーは少しの間、沈黙した。腕を振り払おうとするが、エルウッドはそれを許さなかった。
「フィーさん」
「なによ」
「俺達は、きっと上手くやっていけます。フィーさんは俺や屋敷の人間が嫌いじゃないと言ってくれましたよね。森とは違うかもしれませんが、あなたにとって過ごしやすい環境を提供すると約束します。だから森へ帰るなんて言わないで、ずっとここにいてください」
「……」
フィーは困った表情を浮かべる。それから視線を逸らすと、顔を伏せて呟いた。
「……バカね。人間と魔女が一緒に暮らしたって、良い事なんてある訳ないのに……」
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