魔物討伐編
第18話 激務、ああ激務
日頃、エルウッドは騎士団本部で副団長として真面目に働いている。
婚約破棄されたと言っても副団長。騎士団長のサルマンからパワハラを食らっても、同僚に憐れまれても、市井の人々に笑われても嫌な顔一つしないで仕事に従事する。
午前中は書類仕事、午後は部下たちを指導する。合間を縫って自己鍛錬も行い、騎士団のスケジュール調整もする。
「エルウッド副団長、失礼します。……うわっ、なんだこの量の書類は!?」
「アーヴィンか。サルマン団長から押し付けられた書類の山だ」
「はあ!? で、そのサルマン団長は?」
「来客応対だ。三時間ほど前に備品を卸している商人が来たからな。食事に出かけて行った」
「三時間!? まだ帰ってきてないのか!?」
「ああ」
エルウッドの補佐を務める親友アーヴィンは非常に驚いた。
彼の目から見ても、エルウッドの仕事ぶりは完璧だ。なのに上司のサルマンは仕事を押し付けて、貴族や有力商人と遊び歩いてばかりいる。
社交も大事な仕事のうちだというのは分かる。だが騎士団長である以上、勤務時間中はきちんと仕事をしてほしい。
騎士団では団長直々の判断が必要な仕事も多い。いざという時に的確な判断をする為に、日頃から書類には自ら目を通し、自分の手で処理してほしいものだ。
「ったく、あの団長は……だから一年前の炎竜騒動の時も対応が遅れて……」
「何をブツブツ言っているんだ、アーヴィン。俺に何か用事があったんじゃないのか?」
「ああそうだ、忘れるところだったぜ。冒険者ギルドからの報告だ。ギルドじゃ手に余る魔物が国の外れに出たんだってさ。で、騎士団に出動要請が来ている」
「ほう、見せてくれ」
アーヴィンから受け取った書類に目を通す。近頃、王国の東の外れにある村や町で、これまで見た事のない魔物が出没したと相次いで報告されていた。
人間の三倍はあろうかという巨体に、全身真っ黒な体。目と爪だけが血のように赤く、手を一振りしただけで周囲を薙ぎ倒す。
既に何人もの死傷者が報告されていた。最初は冒険者ギルドが対処しようとしたものの、冒険者たちも手に負えず逃げ帰ってきた。そこで王国騎士団に討伐依頼がきたのだ。
「見た目といい爪の殺傷力といい、これまで報告されているどの魔物とも合致しない。冒険者ギルドは暫定的に『血の爪(ブラッドクロー)』って名付けたそうだ。ネーミングセンスはともかく、分かりやすい共通名称は必要だ。このままブラッドクローと呼ぼうぜ」
「ああ、分かった」
アーヴィンがよこした報告書には、ブラッドクローを目撃した人の証言を元に、参考の絵も添えられていた。
エルウッドは戦慄した。資料に描かれているのは、禍々しい黒い化け物の姿。
手足は四本、目は二つ。口は耳まで裂けている。大きさは人間の約三倍。
手足は歪に捻じれ曲がっているが、指先には赤く鋭い爪が伸びている。見たところ、指は左右の手に五本ずつ、左右の足にも五本ずつの合計二十本。
まるでわざと捻じ曲げて描かれた、悪趣味な人間の姿のようにも見える。エルウッドは嫌悪感を抱いた。
「こんな気味の悪い魔物が王国内に現れたというのか……信じられないな」
「確かにな。しかし実際に目撃されている。被害が出ているんだ。放っておくわけにはいかない」
「ああ、そうだな。すぐ団長に報告して討伐部隊を編成しなくては」
「……で、その団長は?」
「……まだ帰っていない」
「はぁ……もういい加減、団長には困ったもんだな」
「全くだ。だが、いざとなったら俺が全ての責任を背負う。いつでも出動できるよう、準備を整えておくんだ」
「了解」
エルウッドは気を引き締めた。もしブラッドクローが出現したのなら、すぐにでも出撃できるように。
――しかし結局、その日、団長は戻らなかった。
取引先の商人に誘われるまま接待に向かい、そのまま酒を飲んで、高級酒場の女と夜の街に消えた。
しかも、その翌日も二日酔いがひどいと言って出勤して来なかった。これにはエルウッドも呆れを通して怒りを覚えた。
エルウッドは昨夜自宅に帰らず、一晩かけてブラッドクローの情報を集め、騎士団全体にも出動要請が入った旨を周知して、いつでも討伐に出られるように準備を進めていた。
しかし、肝心の騎士団長がこれでは話にならない。エルウッドに報告に来たのは、サルマン騎士団長の若い従卒だ。騎士団兵舎にいる時は団長の世話をして、自宅との連絡役も担っている。エルウッドは従卒に尋ねた。
「サルマン団長に事態の深刻さは報告してくれたのか?」
「はい、もちろんです。ですが団長は、深刻な脅威として受け取られておりません」
「何だと?」
「ブラッドクローの目撃報告があったのは、王都圏内ではありますが比較的離れた街や村です。王都民の被害は討伐に向かって失敗した冒険者ギルドの冒険者だけです。だから団長は、何がなんでも近日中に討伐しなければならないとは思っておりません。それに……」
「それに?」
「明日以降は、団長のご友人でいらっしゃる貴族の方々とパーティーを行う予定でして……。あ、この辺りの事情はエルウッド副団長もご存知ですよね? 前から休暇申請を出しておりましたからね」
「つまりサルマン団長は、この件は騎士団が動くほどの事件ではないとお考えなのか?」
「はい、その通りです」
「……」
サルマンのあまりの言い分に言葉を失ってしまう。エルウッドは理解に苦しむ。何故ここまでサルマンが騎士団長として不適格なのか理解できなかった。
ブラッドクローの出没は王都から離れている。それは確かにそうだ。だが……。
「その王都から離れた街や村で被害者が出ている。被害に遭っているのは紛れもなく王国民だ。それも農業などを生業とする無辜の民だ。その人々が助けを求めているというのに、騎士団が出動しなくてどうするんだ!」
「まあまあ、落ち着いてくださいエルウッド副団長」
「これが落ち着けるか! それに冒険者ギルドの冒険者たちも、日頃は王都で生活して経済を回している立派な市民だ。彼らだって命の危険に晒されているんだぞ」
「それはそうですが……サルマン団長は動かないと思いますよ。だって明日のパーティーには大貴族が何人もいらっしゃるんですから。放っておいたら明日にでも王都が陥落するような状況でもない限り、予定を変える事はありえませんよ」
「……なんということだ……」
エルウッドは絶句する。この従卒は、サルマンの世話をしているだけあって、サルマンの忠実なイエスマンだ。サルマンにとって都合の良い事しか言わない。
つまり、サルマンは部下たちにこう言っているのだ。「自分はこれから大切な仕事があるから、余計な事に首を突っ込むな」と。
「……分かった、それがサルマン団長のお考えなら俺の答えは一つしかない。俺は俺の判断で動かせてもらう」
「というと、団長の承認を得ないまま騎士団を動かすおつもりで? そいつはまずいですよ、副団長殿。そんな真似をしたらあなたの首が飛びますよ」
従卒はニヤニヤ笑いながら進言する。サルマンの忠実な部下である従卒もエルウッドのことを快く思っていない。だがエルウッドは冷静に切り返した。
「いいや、俺一人で行ってくる。それなら問題ないだろう」
「……はい?」
「サルマン団長に許可を求めないだけだ。何も問題はあるまい」
「い、いえ、そういう訳には……」
「サルマン団長に騎士団長としての権限がない以上、俺が独断で動いても構わないはずだ。そうだろ?」
「……し、しかし、あなたは一応副団長でして……! ブラッドクローの出没地域は行って帰るだけで数日かかりますよ! その間の仕事はどうするおつもりですか!?」
「副官のアーヴィンに任せる。今の状態なら俺がいなくても何とかなる筈だ」
従卒が焦りながら問いかけてくるが、エルウッドは既に覚悟を決めていた。
騎士団に所属する者として、王国の平和を守る為ならばいかなる犠牲も厭わないつもりだったからだ。
(フィーさん……これでいいですよね?)
氷竜殺しの英雄である彼女なら、きっとこうする筈だ。エルウッドの決断を肯定してくれるに違いない。愛する女性の顔を思い浮かべつつ、彼は決断した。
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