第10話 氷竜殺しの記憶

 今から約200年以上前の話。フィーは元々、人間の娘だった。しかし両親は、旅の途中で魔獣に襲われて死亡してしまった。フィーも魔獣に殺されそうになった時に、たまたま通りかかった大魔女に救われた。


『アンタ、人間にしては魔力回路の性能が優れているな。先祖に魔女でもいたのかもな』


 大魔女は一目見ただけでフィーの才能を見抜いた。

 後で聞いた話だが、大昔、まだ【魔女狩り】が行われる前には、魔女の中にも人間との間に子供を作る者がいたという。フィーは後者の末裔ではないかと、大魔女は見抜いた。


『ちょうどいい。そろそろ新しい弟子を探そうと思っていたところだ。アンタ、私と一緒に来るかい?』

『え……?』

『私と来れば、アンタの才能を最大限に活かしてやる。強い者に阿らなくても、虐げられずに生きていける方法を授けてやろう』


 フィーも、フィーの家族も貧しかった。貧しい故に祖国では棄民となり、新興国家のサンドラ王国に開拓者として移住する途中で魔獣に襲われた。

 殺されたのは両親だけではない。一緒に入植する予定だった人々も殺された。生き残りはフィーだけだ。こんな身の上で、まだ十歳にも満たない女の子が庇護者もなく生きていけない。直感的に自分の立場を理解した彼女は、大魔女の手を取った。


『あなたと一緒に行きます。どうか、一人でも生きていける道を教えてください』


 それから十年、フィーはひたすら大魔女の下で修行に明け暮れた。

 大魔女の弟子となったフィーはめきめきと才能を発揮し、わずか十年で魔女を襲名した。魔女になると同時に、大魔女から血を与えられた。そして【不老長寿の秘術】によりフィーは不老長寿となった。これからは年を取ることもなければ、寿命で死ぬこともない。


『やっぱり見立て通り、アンタの才能は図抜けているね。わずか十年の修行で魔女になれた人間の娘はアンタぐらいなもんだよ、フィー』

『ありがと、お師匠様』


 フィーは十七歳になっていた。元は貧しい人間の少女だったが、持前の美しさを発揮した女性に育った。大魔女である師匠を尊敬して、口調や振る舞いを模倣するようになっていた。

 師匠の大魔女は、初めて出会った時と変わらない。紫の髪に赤い瞳。妖艶な美しさを湛えた若々しい肌、端正な顔立ち。魔女は年を取らない。フィーもこれからは師匠と同じように、年齢を重ねることがなくなる。


『アンタはこれで一人前だ。これからどうする? 分かっていると思うが、一人前の魔女同士はつるまないのが原則だ。旅をするのも良い。どこかに拠を構えて暮らすのも良い。ただし人間の世界に迷惑だけはかけるなよ。人と関わるなとは言わないが、迷惑だけはかけるな』

『ええ、分かっているわ。私たち魔女は人並み外れた存在だからこそ、脅威として捉えられやすい。人間の敵と認定されれば、人間は群れを成して私たちを殺しに来るでしょう』

『そうだ。口酸っぱくして教えた甲斐があるな。人間の中には、竜殺しや神殺しをやってのける英雄も稀にだが現れる。そういうのに目をつけられると厄介だ。そうでなくても人間は集団になると強い。せいぜい排斥されないように“良き魔女”となることだ。それが長生きの秘訣さ』

『胆に銘じておくわ』


 魔女は自由を愛し、束縛を嫌い、社会的な規範に背き、自らに課したルールに従って行動する。何も縛るものがないからこそ、己自身の信念だけが自分を律する。故に人間のように群れることがない。

 魔女たちはそれぞれの個を尊重する。尊重するが故に、師弟関係でもない限りは年数回ある魔女集会以外で関わり合うことが少ない。

 一人前になった魔女の最初の課題。それは、これからの身の振り方である。


『で、これからどうする?』

『そうね。サンドラ王国に行こうと思っているの』

『サンドラ? ああ、アンタの家族が移住する筈だった新興国か』

『あの国は新興国だから、まだ魔女もそんなにいないみたいだし、穴場だと思うの。それにもし運命がズレていたら、私たち家族が暮らしていたかもしれない国だもの』

『なるほど、いい目の付け所だな。いいんじゃないか、落ち着いたら連絡しな。引越し祝いぐらい持って駆けつけてやるさ』

『ええ、楽しみにしているわね』


 こうしてフィーは師匠の大魔女の元を去り、サンドラ王国に向かった。

 だが、当時のサンドラ王国には氷竜がいた。既に魔王クラスに進化していた氷竜は、魔獣を生み出しては人間や人里を襲い、多大な被害を出していた。

 そして魔獣に食われた人々の魔力や魂は、氷竜の元に送られて、氷竜はさらに力を増すというサイクルが出来上がっていた。

 フィーは自分の家族や仲間を殺した魔獣もまた、氷竜に生み出された存在だったと知った。

 あの時の魔獣は師匠が一撃で倒してくれた。その師匠の下で修行に励んだ今なら、本当の意味で家族の仇を討てるかもしれない。


『お父さんやお母さん、みんなの魂は氷竜に囚われている。でも氷竜を倒せば解放されるわ。それに王国の人々も困っているみたい。これから私が暮らす土地だもの、倒すしかないわね』


 そう思い、フィーは氷竜に戦いを挑んだ。激しい戦いになったが――結果を言うと、フィーは勝利した。

 だが氷竜は死の間際、自らの命を代償に呪いをかけた。それが【魔力回路破壊の呪い】である。呪いを受けたフィーは、魔力の自然回復が不可能となってしまった。

 話を聞いて駆けつけた師匠がフィーを診たが、大魔女を持ってしても解呪が不可能とされるほど複雑で強い呪いだった。


『……すまない。私の力じゃこの呪いを解くことはできない。このままでは魔女としてのフィーは死んだも同然だ。だが――』

『何か方法があるの?』

『アンタがこれからも魔女として生きたいのなら、方法は一つ。マナスポットに居を構えて、ずっとそこで暮らすんだ。大地に貯まった魔力を吸収し続ければ、少しずつではあるが魔力が蓄積されていく。魔力がゼロにならなければ、アンタの魔力回路は辛うじて生き続ける』

『それしかないの?』

『他にも、たとえば魔法薬で人工魔力を摂取することはできる。しかし根本的な解決にはならない。アンタの魔力回路は、もうほとんど死にかけの状態だ。もしも魔力がゼロになるとまずい。その瞬間に魔力回路が完全に停止してしまう。そうなれば魔女の秘儀である不老長寿の術が解け、魔女としてのフィーは死んでしまう』

『その瞬間に、今までの時間が一気に押し寄せてきてしまうの?』

『いいや、人間だった頃と同じ短命に戻るだけだ。魔法が解けた瞬間から再び年を取り始め、いずれ寿命を迎える』

『そう……分かったわ。無謀にも氷竜に挑んだのは私だもの。結果は受け入れるわ。自分の行動に責任を持つ。誰にも縛られないからこそ、自分自身を厳しく律する。それが魔女のルールでしょう?』


 フィーは気丈に笑った。彼女は七歳の頃までしか人間の中で生きていない。それよりも魔女としての生き方や価値観が染み付いていた。

 これからも魔女として生きていきたい。そう思ったフィーは、サンドラ王国の北の外れにある森の奥に家を構えた。そこは師匠が探し出してくれたマナスポットで、サンドラ王国の中では一番の場所だった。他の魔女も狙っていたが、師匠が強引にフィーの為に勝ち取ってきた。




 それから200年、フィーは基本的に森の奥で暮らしてきた。

 たまに魔女集会に出て、他の魔女とも交流しているが、弟子を取ったことはない。一度弟子にしたら一人前にするまで解放されないから面倒だった。それに魔力回路が破壊された自分が、立派な弟子を育てられるとも思えなかった。


 師匠の見立て通り、十年も引きこもっていると少しずつ魔力が蓄積されてきた。調子が良い時はたまに人里に出て、調合した薬を売ったりもする。困っている人がいれば助けることもあった。しかし基本的には森の中で、調合したり魔法の研究をしたりするのがフィーの暮らしだ。


 いつしかフィーは、ある目標を掲げるようになった。

 あの師匠を超える大魔女になりたい。

 そして師匠超えとは、大魔女にもできなかった自分自身の呪いを解く事だ。その為にフィーは200年に渡り、研究を続けてきた。


 そうして引きこもり生活を続けて200年。フィーはエルウッド・アスターという騎士の男と出会った。エルウッドはフィーと同じく邪竜族――炎竜を倒した男だった。

 邪竜を倒し、竜が死の直前にかけた呪いに苦しめられている男。そして代償を支払ったにも関わらず、バカにされ、苦労を背負い込んでいる男。


 エルウッドの姿に自分の影が重なる。

 フィーには邪竜殺しの立場が分かる。邪竜殺しの気持ちが分かる。

 だからフィーは、久しぶりに森を離れて王都へ行って、エルウッドの力になってあげようと思った。そうする事で自分も少しは救われる気がする。

 少なくとも200年間研究し続けた竜の呪いの解呪方法は、エルウッド相手には有効だった。自分自身にはまだ効果がないが――それもエルウッドを研究するうちに、糸口が掴めるかもしれない。


 いずれにせよ、解呪の研究は行き詰っていた。このまま森で研究を続けていても、劇的な進展はなさそうである。なら、この辺りで変化を求めてみるのも悪くない。

 フィーは期待と不安で胸を膨らませながら、王都へ急いだ。

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