騎士と魔女の出会い編

第2話 騎士団長のパワハラ

 そして悪いことは続くものだ。エルウッドが騎士団本部に戻ると、騎士団長のサルマンが近づいてきた。


「やあぁ、エルウッド君。聞いたよ、君ィ。王女殿下との婚約が白紙に戻ったそうだね」

「団長……」


 サルマン・モーリス。年齢五十五歳。小柄で禿頭で中年太りしたダルマのような男である。

 通常、騎士団長の仕事は加齢により体力が衰える四十代で引退する。しかしサルマンは有力貴族に取り入って、団長の地位に固執している。大した実績はないが、世渡りの上手さだけで今の地位を掴んだような男だ。

 騎士団長を務めた者は引退後も色んな仕事から引く手数多だが、サルマンにはそういう話が一切ない。それもまたサルマンの人望のなさの証明であり、彼が騎士団長の地位に固執し続ける理由だろう。


「あ~はっはっは、残念だねぇエルウッド君! 最年少で副団長に就任し、国民から英雄扱いされている君がねぇ。まさか竜の呪いで不能者になっていたとはねぇ!!」

「……っ、どこでその話を?」

「謁見の間には私の知り合いもいたんでね。ついさっき教えてくれたのだよ。くっくっく、残念だったなあ」


 サルマンは周囲にいる騎士や兵舎スタッフに聞こえるような大声で言った。周囲から好奇の視線が集まる。


「子作りできないから婚約破棄だなんて、前代未聞だよ? 男としてこれほど不名誉で屈辱的なことはないだろうねえ、可哀想にねえ。ま、君は若くて優秀だから他のご婦人からそのうちお声がかかるだろう。……いや、やっぱり無理かな? なんせ子供を作れないんだからねえ! 子作りできない男など、いくら優秀で若い美青年でも、女性の方からお断りか! くくくっ、はーっははははは!」


 サルマンはおかしそうにエルウッドの肩を叩く。彼は無能なのに世渡りの上手さだけで今の地位に就き、高齢になっても騎士団長の身分に固執している男である。

 そんなサルマンにとって、若く優秀で前途有望なエルウッドは妬みの対象だった。


 ましてや1年前の炎竜討伐では、サルマンが何かと理由をつけて騎士団の派遣を渋っている間に、エルウッドが炎竜を倒してしまった。

 エルウッドは英雄として持て囃され、反対にサルマンは無能の烙印を押されることになった。


 あれ以来、明らかにサルマンはエルウッドのことを嫌っている。何かと嫌な絡まれ方をすることが多くなった。だから今、サルマンは水を得た魚のごとくエルウッドを詰る。

 

 周囲からは同情の視線が集まる。しかしサルマンは曲りなりにも騎士団長。表立って抗議できる人間は少ない。……一部を除いては。


「待ってください、サルマン団長! なにかの間違いじゃないですか? 仮に事実だとしても、そんなデリケートな話題を大声で話すもんじゃないですよ!」

「アーヴィン!」


 エルウッドの親友で、副団長補佐のアーヴィン・ヘンドリックだ。短い茶髪にルビーレッドの瞳。柔和な顔立ちが若い女性に人気の美青年だ。

 アーヴィンはエルウッドが貶められているのに気づいて、止めに入ってくれた。しかし当然ながらアーヴィンもサルマンの嫉妬対象である。サルマンはジロリと嫌な目つきで睨む。


「おやおやぁ、アーヴィン君じゃないか。君のような男に庇われるとエルウッド君は余計に辛くなるんじゃないかな?」

「どういう意味です?」

「だって君は王立騎士団の中でも、ひと際女性関係が華やかな男じゃないか。その割には一人の女と長続きせず、別れた女からの苦情が騎士団にも来るんだよねえ。困ったものだねえ」

「うっ、それは……」

「そんな君に庇われたら不能者のエルウッド君がますます惨めになるじゃないか。配慮してやりたまえよ!」

「っ、ですが!!」

「いいんだアーヴィン、俺は気にしていない」

「おやおやぁ、麗しい友情だねぇ。まっ、なんでもいいさ! さっさと仕事に戻ってくれたまえよ! はっははははは!!」


 サルマンは大きな太鼓腹を揺らしながら騎士団長室に入っていった。

 その場に気まずい沈黙が流れ、エルウッドには憐れみの視線がますます注がれた。


「……さあみんな、団長の言う通りだ! 仕事に戻ろう!」


 エルウッドはわざと明るくそう言うと、アーヴィンと一緒に午後の仕事に励む。

 しかし仕事の間中、部下や同僚からは絶えず好奇の視線を向けられ続けた。

 サルマンのような上司はエルウッドを嗤い、彼が不能者であると大声で言いふらしている。

 話題が話題なだけに表立ってやめてくれとも言うのも恥ずかしく、エルウッドは針の筵のような時間を過ごした。




 そして数日も経つ頃には、エルウッドの噂は王都に駆け回ってしまった。

 今までエルウッドに羨望の眼差しを送っていた女性たちの視線が、一気に冷たくなる。


「ねえ聞いた? エルウッド様って……」

「えぇ……? 子供が成せないお体なの?」

「お可哀想に。それで婚約破棄ですって」

「結婚は子供を作る為のものですもの。平民ですら子供ができないと離婚事由になるわ」

「ましてや王族ともなれば、ねえ」


 女騎士に事務員、それから食堂の女性スタッフ。女たちは小声でヒソヒソ噂話しているが、全部エルウッドの耳に届いていた。

 そしてサルマン団長といえば――。


「だから私は邪竜など倒しに行かず、教会の動きを待てと言ったのだよ。私の方が正しかったのだよ! 邪竜を倒しても呪いをかけられたのでは意味がないからね! 今時自己犠牲なんて流行しないよ。若手は何かと独断専行することが多いが、これで少しは懲りただろう! 上の命令に逆らって行動したところで、手痛いペナルティを食らうだけだってね。あっははははははは!!」


 得意げに太鼓腹を揺らしながら、気に入らない若手の騎士たちに圧力をかけている。エルウッドの精神は限界ギリギリまで追い詰められていた。


「……なんで俺がこんな目に遭わなければならないんだ」


 副団長執務室でエルウッドは怒りに任せて、書類の山を執務室の机に叩きつけた。


「エルウッド……荒れてんな~」


 そこへアーヴィンがやって来た。室内にはエルウッドとアーヴィンの二人だけになる。

 騎士を志した頃からずっと一緒に励んできたアーヴィンは、エルウッドにとって心を許せる親友だ。辛い気持ちを吐き出した。


「なあアーヴィン、教えてくれ。なぜここまで言われなければならないんだ? 俺が何をしたというんだ? 教えてくれ、アーヴィン!」

「お、落ち着けよエルウッド。お前は悪くないよ。悪いのは国王陛下とサルマン団長と、あと邪竜だ」

「そう言ってくれるのはありがたいが……この状況は納得できない。アーヴィン、俺はどうすれば良いと思う?」

「そう悲観的になっても良いことないぞ。ほら、これやるから」


 そう言ってアーヴィンが取り出したのはチョコレートだ。最近流行っているカカオ豆から作られる高級品である。


「甘い物を食べると気分が落ち着くぞ」

「ありがとう……」


 エルウッドは素直に受け取ると、包み紙を開いて口に入れる。甘さが身体に染み渡る。

 こんな恥を背負わされた以上、いっそ誰も知らない時にでも行って菓子職人になるのも悪くない……そんな考えが頭を過ぎる。


「よしよし、落ち着いたな。……実はな、この数日間で色々情報を調べてみたんだよ。そうしたらさ……」


 アーヴィンはエルウッドに耳打ちする。


「呪いを解く方法があるらしいぜ」

「本当か!?」

「おう。なんと王国最北にある【北の森】に住む魔女が、呪いの解呪に強いらしいんだ」

「それは本当か、本当なんだな!?︎」

「お、おう、試してみる価値はあるんじゃないか? なんせ魔女だからな。そこらの医者よりは信用できるだろ」

「よし、行くぞ! アーヴィン、俺は有給を消化する。後の仕事は任せた!」

「おう、行ってこい!!」


 アーヴィンは爽やかな笑顔で親指を立てる。エルウッドは急いで執務室を飛び出した。


「頼むぞ……魔女さんとやら。邪竜より厄介な存在であってくれるなよ」


 アーヴィンは祈るように呟いた。そしてエルウッドは王都の門を出ると、馬に乗って北の森へと走らせた。



***



「ここが魔女の住処があるという森か……」


 王都から馬を駆ること約半日。エルウッドはたった一人で王国最北の森の入口に立っていた。

 目の前には鬱蒼とした森が広がっている。一歩足を踏み入れると、湿った土の地面からは黒い木々が生い茂り、太陽の光を遮っている。毒々しい色のキノコや花が群生していて、いかにも何かが出そうな雰囲気である。

 エルウッドは腰から剣を抜いて森の中へと足を踏み入れる。しばらく進むとモンスターの気配が濃密になるのが分かった。


『立チ去レ……立チ去レ……立チ去レ……』

『森ニ立チ入ル事ハ……許サナイ……』


 木々の間から姿を現したのは巨大なゴーレムとキマイラだ。

 どちらも体高10メートルはあるだろう。ゴーレムの方は全身が固い岩の鎧に覆われている。

 キマイラは獅子の頭、山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持ち、鋭い牙を剥き出しにした口からは魔法炎を吐いている。


 どちらも強力で、討伐ランク上位相当の魔物である。普通なら一人で立ち向かうようなモンスターではない。

 だがエルウッドは1年前には、討伐ランク・【国家脅威レベル】で体高50メートルを超す邪竜を倒した実績がある。この程度の敵は障害ではない。

 何よりこのモンスターたちを退治して魔女の家にたどり着かない限り、一生呪いは解けない。


「これが試練だというのなら――乗り越えてみせる!」


 エルウッドは鞘から剣を抜いて構える。

キマイラはけたたましい鳴き声をあげた。そして口を大きく開くと、火球による攻撃を繰り出した。

 エルウッドは【竜殺し】スキルの一つ、『縮地・神速』で移動速度を上げると、攻撃を難なく回避する。

 さらに続けて『カウンター』を発動させる。キマイラの懐に飛び込んだエルウッドは、隙だらけとなった敵の急所に奥義を叩き込んだ。


「奥義・一の秘剣――【天雷】!!」


 【天雷】は雷を帯びた必殺の魔法剣だ。稲妻を帯びた強烈な斬撃が、キマイラに回避する暇も与えず直撃する。

キマイラは真っ二つに両断されて動きを止めた。


「まだだ! 二の秘剣――【落星】!!」


 【落星】は威力を追求した強力な必殺技だ。食らった相手はほぼ確実に沈むことからこの名前をつけられた。

キマイラに続き、ゴーレムの固い岩の装甲を一撃で砕く。こちらも一撃で轟沈し沈黙した。


「ふん、こんなものか……」


 エルウッドは剣を振り払う。これまで周囲でエルウッドを襲うタイミングを狙っていたモンスターたちは、一斉に奥へと引っ込んだ。

 勝てないと分かっている相手に挑まないのは、生物として正しい。

 エルウッドも逃げるモンスターを追う気はない。この森に来た本来の目的を思い出し、再奥地へ向けて一気に駆け出した。

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