第10話

 ルネの魔法が少しだけ強くなった次の日の朝、ルネは鏡の前で自分と見つめあっていた。睨みあうという表現のほうが正しいかもしれない、ルネの表情は硬く眉間にしわも寄っている。


「やっぱり切り揃えるのがいいわよね。でも、自分で切ったことなんてないし、そもそも私短い髪なんて似合うのかしら」


 なんだか自信が無くなってきて、俯いてしまう。思い出すのは昨日のこと。自分が繰り出した魔法が風となって木々をざわめかせた。小さな変化だが、ルネにとってはとんでもない衝撃と大きな一歩を踏み出した出来事だ。

 今になって夢だったのかもなんて思ってしまうほどに、何年も積み重ねてきた「自信が持てない」という現実は覆せない。


(それに、やっぱり怖い。私、この力をうまく使えるのかしら。もしかしたらいつか暴走して、何もかもを駄目にしてしまうんじゃ…)


 ルネはその場にしゃがみ込む。視界は自分の影で暗くなった床しか見えない。視野が狭くなっていくのを、どこか遠くにいる自分が感じて、警鐘を鳴らす。このままではまた以前のように自己否定のループに陥ってしまう。

 でも、止められない。不安が背後から大鎌を持ってこちらに向かってきている。もうすぐで、追い付かれる。


(やっぱり、私、駄目なんだわ…)


「ルネ?」


 唐突に呼ばれて、上体を跳ね起こした。そこで、自分が初めてしゃがみ込んで泣いていることに気付く。涙が、顔を上げた拍子に頬を伝って流れた。


「どうした。何かあったか」


 ミカエルが驚いたように双眸を開き、ルネの背中に優しく手を当てる。温かい。生き物の体温は、いやこれはミカエルだからかもしれないが、触れているだけで気を落ち着かせる効果があるように、ルネには思えた。



「ごめんなさいミカエル様」

「謝るな。どうした、嫌な夢でも見たか?」

 

 ルネは違うとかぶりを振る。


「では言いようのない不安にでも襲われたか」


(なんで、分かるの)


 ルネはこくんと頷きを返す。また両目から涙がこぼれた。

 するとミカエルは緩く猫の手を曲げて、あごの下にあてて、しばし考え込むように息を吐いた。そして少し彼が口を開くのを待っていると、ミカエルが顔を上げて聞いた。


「ルネ、抱きしめても?」


 それは、予想外の質問で、でもルネが今最も求めている行為だった。

 ルネは迷わず頷く。ゆっくりとミカエルが近づいてくる気配がした。


「ルネ。怖いな。苦しいな。昨日の出来事だけでは君の不安を取り除くことなんてできない。それは君の心も体も傷付き、疲弊している証だ。今は無理して頑張る必要なんてない。君のペースでいいんだ。すべて君の好きにしていい。私もついている。何かあれば私を頼れ。初めはそれすらも難しいかもしれないが、いつか、君が私に背を預けてくれるまで、私は君の隣にいよう。約束だ」


 ミカエルは優しくルネをその体の中に包み込んで、低く響く声でそう伝えてきた。

 ルネはミカエルが言葉を紡ぐたびに泣いていた。それは春を迎えて一気に溶け出す雪解け水のように、流れて流れて止まらない。

 ルネのこれは性分になっている。簡単には改善しないだろうとミカエルも理解し始めていた。

 それでもどうか世界に、何より自分に絶望しないでほしい。これはミカエルの勝手な願いだった。

 涙するルネを抱きしめながら、ミカエルは彼女の過去に思いを馳せ目を閉じた。

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