第5話

「わっ、わわわっ!」


 正が改めてお菓子に手を伸ばしたとき、家の裏から悲鳴のような慌てた声が聞こえてきた。


「どうしたんだろうな」


 冬矢が不思議そうに首を傾げる。

 私たちは気になって庭を回って裏に行くと、ハウスキーパーが風で言うことの聞かないベッドシーツと格闘していた。


「うっ」


 びゅう、と吹きつけた強めの風がベッドシーツを舞わせて、ハウスキーパーの顔に当たり、彼女はバランスを崩して尻餅をつく。


「だ、大丈夫ですか⁉︎」

「す、すみません……急に風が吹き始めたから洗濯物がうまく干せなくなっちゃって」


 ハウスキーパーに駆け寄ると彼女はよろめきながら立ち上がり、困り顔で落としてしまったベッドシーツを拾った。


「俺、手伝おうか?」


 見かねた冬矢が手伝いを申し出る。


「冬矢くんより大きいシーツだから無理なんじゃないかな」

「この枕カバーくらいなら俺もできる」


 そう言って譲らない冬矢にハウスキーパーは小さいものを干すのを頼み、体の大きい中島はシーツを干すのを手伝うことになった。

 やることのない私と正は席に戻ったが、正がお菓子を食べ終わると立ち上がって私の手を引いた。


「どうしたの?」


 正は私の問いには答えず、ただ手を引いて場所を移動したがっている。

 どうせ中島たちは手が離せなくて暇なのだ、正の目的がなにかはわからないがついて行ってみようと思い席を立った。


『見て これ』


 正は私を自身の部屋に連れていくと、引き出しの中から古びたオルゴールを取り出して大切そうに両手で抱えて私に見せる。


『ママがくれた ママのたからもの』

「そうなんだ。どうして私にこれを見せてくれたの?」

『これはこわれて音が出なくなっちゃた 直せないかな?』


 正は不安げな顔でこちらを覗き込んでいる。


「どうだろう……私も中島さんも機械には明るくないからなぁ。変にいじったら余計壊しちゃいそうだし、直せる知り合いも心当たりがないや。ごめんね」


 正には申し訳ないが、本当に心当たりがない。直せないのに直せるなんて言って期待させては悪いと思って素直に謝った。


「ああ、でも、お父さんに言ったら修理してくれるんじゃないかな。こういうのを直してくれる会社はあるだろうし」


 私の言葉に正は首を横に振って俯いた。


『こわしたの知られたくない』

「ああ、そうなんだ」


 なんでも正は父親と喧嘩した日に、自分の部屋に戻ったあとも衝動のまま物を投げて暴れていたらしい。そのとき、投げた物が机に当たり、中にしまっていたお気に入りの母から譲り受けたオルゴールを壊してしまったそうだ。


「壊したのを知られたら怒られると思って、言い出せないんだ?」


 私の問いに正はゆっくり首を横に振る。


『これはママのたからものだから こわれたって知ったらかなしませちゃう だからママがおうちにかえってくるまでに直したかった』

「なるほどね」


 正は自身が怒られる心配をしていたのではなく、母親の大切なものを壊してしまった罪悪感を感じているようだった。


「あれ、もしかして正くんが声が出なくなったのってこのせい?」

『わかんない』


 喧嘩をした父親との仲直りで声が戻ってこなかったのは原因がオルゴールにあるのではないかと考える。だって正が声を出せなくなった日の前日に起きたことは父親との喧嘩とオルゴールを壊したことだけなのだから。


『オルゴール直せないからママ手術しゅじゅつするまえに ちゃんとこわしちゃったの あやまらないとだめだよね』


 正の瞳は不安で揺れている。たしかにここは素直に謝って、両親に修理に出してもらうのが一番だろう。


『ママにきらわれちゃうかも』


 スケッチブックにそう書いた正の字は弱々しい。


「私が一緒に謝りに行ってあげようか?」

『ほんと?』


 あまりにも悲しそうな正を放ってはおけず、そう言った。正はぱっと顔を上げたが、すぐにまた俯いた。


『でもやっぱりこわい』

「ううん……あっ、そうだ。正くんはクマさんは好き?」


 なかなか決意が決まらず下唇を噛む正に尋ねる。正はなんのことかと首を傾げたが、頷いた。


「じゃあ、これ正くんにあげるね。私の作ったクマさんの入ったキーホルダー!」


 私は中島の家で作って鞄に付けていたレジンで作ったキーホルダーを取り外し、正に手渡す。

 正はきらきらしたものも好きなのか、ぱぁっと顔色を明るくし、キーホルダーを光にかざして透明感のある色に喜んでくれているようだった。


「これで勇気出たかな?」


 私が尋ねると正は元気よく頷いた。


『ぼく ちゃんとママにごめんなさいする それでパパに直してもらう』

「うんうん、私も一緒に謝ってあげるよ」


 正と一緒に庭に戻る。そこには手伝いを終えた冬矢と中島が座っていた。

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