第6話
トーマスと中島の家に戻り、残った饅頭を食べているとしばらくして中島が帰ってきた。
「おかえりなさい! わたし、いつ帰れる?」
少しテンションの低い中島を、トーマスは嬉しそうに出迎えた。表情の暗い中島だったが、トーマスの顔を見るとにこりと笑った。
「もう大丈夫です。普通に帰れるようになりましたよ」
「ほんと⁉︎」
中島の言葉にトーマスは嬉しそうに笑う。
「帰れる、よかった。なんで帰れなくなったかわかんないけど、本当によかった」
トーマスは嬉しそうに、出していたカメラを鞄にしまう。中島の帰りを待つ間に饅頭を食べながら二人で写真を見ていたのだ。
「本当に心当たりがありませんか?」
「えっ?」
中島に問いかけられたトーマスがきょとんと首を傾げる。
「トーマスさんは日本が好きなんですよね。だから祠は拝むものだと知っていた。そしてあの祠を見たとき、つい祈ってしまった」
中島が淡々と話を続ける。
「あなたは帰りたくない、そう願った」
目を見開いたトーマスが否定しようと口を開けた。しかしすぐに口を閉じて俯いた。
「……マシロの言う通り。帰りたくない、思った」
再び口を開いたトーマスは静かに語り出す。
「わたしは社長してる。でも、最近経営がうまくいってなくて、このままじゃあ潰れちゃうかも。それが妻にバレるのが怖かった」
トーマスはスウェーデンで小さいながらも会社を経営していたが、会社の経営が傾いてきたのを妻にバレるのを恐れて、帰りたくないと祠に願ってしまったらしい。バレたら、愛想を尽かされてしまうと思ったから。
「わたし、自分勝手。妻はいい人。いつもわたしを助けてくれる。けどわたしは妻にいつも迷惑かけてる。もし会社なくなったら、捨てられるかもしれない。それがいやでした」
「……困ったな。なんて励ませばいいかわからないや」
細々と言葉を続けたトーマスに、中島は頭をかいた。結婚もしておらず、会社を経営しているわけではない中島にはトーマスを励ます言葉が出てこなかったようだ。
「私も……かっこいいことなんて言えませんけどね。けど、トーマスさんの奥さんは会社が傾いたからといってトーマスさんを捨てたりはしないと思うんです」
私も中島と同じで結婚はしていない。それどころか彼氏もいないし、いたこともない。
会社の経営もしていないし、バイトだってしたことがない。けれど、それでも。
「えっ、でもわたしいつも迷惑かけてる」
「トーマスさんは奥さんのことを愛しているのでしょう。その気持ちも伝わっていると思うんです。だから奥さんもトーマスさんと一緒にいるんだと思いますよ……もしかしたら会社が傾いていることもすでに気付いているかもしれませんね」
困惑するトーマスに話を続ける。
たとえ私がトーマスと同じ立場や権力を持っていなくても、それでもトーマスと奥さんは愛し合っていることはわかる。だからきっとそこまで心配しなくても大丈夫なんだよと伝えたかった。
「そんな……いや、そうなのかな」
「日本に来るとき、奥さんはどんな表情でどんな言葉をかけたのでしょうか。思い出してみてください」
私の言葉にトーマスは目を閉じた。そしてゆっくりと口を開く。
「笑顔で、いってらっしゃいって。羽を休めてきてねって。お土産、楽しみにしてるからって言ってた。わたしの好きな、優しい笑顔だった」
開かれたトーマスの瞳から涙が溢れる。
正直なところトーマスの妻に会ったことはないので、彼女が本当に夫の会社の経営が傾いていることに気付いているかはわからないが、この様子だと本当に気付いていたのかもしれない。とっくに気付いていて、それでも黙ってトーマスを支えていた。彼を、心から愛していたから。
「ごめんなさい。わたし、また自分勝手だった。妻と、ちゃんと話しないと」
「それがいいと思います」
トーマスは裾で涙を拭うと鞄を持ち上げた。目線はしっかり前を向いて、もう二度と迷うことはなさそうだ。
「ありがとう、マシロ、ミオ! わたし、妻と子供のところに帰るよ。今度は家族みんなで遊びにくるね。あと、お饅頭とてもおいしかった!」
「ええ、お気をつけて」
「さようなら!」
元気よく一歩を踏み出すトーマスを玄関先で見送る。
駅まで送ろうかという話も出たが、一人で帰れるとトーマスは胸を張って言ったのでここでお別れだ。
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