第6話

「モモ!」


 家に上がると扉の音に気づいた星良がリビングから顔を出し、モモの姿に気がつくと表情を明るくして駆け寄ってきた。


「あら、見つかったのね。よかったわ」

「モモ⁉︎」


 中島からモモを受け取り嬉しそうに抱きしめる星良とそれを見て喜んでいる高橋。そしてその後ろで唄は心底驚いた表情を見せた。


「ありがとう、おじさん! もう、モモ。どこに行ってたの、心配したでしょ!」

「おじっ、うん。無事見つけられてよかったよ」


 中島は二度目のおじさん呼びが堪えたらしい。頭を押さえてショックを受けていた。


「ど、どこにいたんですか、モモは」


 唄は緊張した面持ちで中島に問いかけた。


「この家から五百メートル先にある神社ですよ。あなたも知っているでしょう?」


 中島の言葉に唄は微かに肩を震わせた。気まずそうに視線を逸らす。


「星良ちゃん。モモちゃんをお風呂に入れてあげたらどうかな。少し汚れちゃってるからね」

「本当だ! もう、お転婆さんね」


 中島は星良に目線を合わせてそう提案した。星良は頷くとモモを抱えて風呂場へ入っていった。


「さて、では詳しい話をしましょうか」


 星良とモモを見送り中島が唄に視線を戻す。状況がわからっていない様子の高橋も含めてリビングに移動した。

 最初とは違い、高橋と唄に向かい合うように私と中島もダイニングテーブルの椅子に座る。


「単刀直入に言います。今回のモモちゃん失踪事件は唄さんが仕組んだものですね」


 中島は真っ直ぐに唄を見据え言葉を放つ。


「あら、どうして? 彼女が飼い猫を逃してなんの得があるの?」


 先程の私と同じく高橋が首を傾げる。そうだ、そんなことして唄になにかいいことでもあるのだろうか。


「唄さん、あなたはモモちゃんが羨ましかったのではないのでしょうか」


 唄は下を向いた。


「どうして? 私はこんなに大変な思いをしているのに」


 淡々と続く中島の言葉に唄の肩が微かに震える。


「どうしてモモは気楽そうに生きているの」


 俯いた唄が下唇を噛むのが見えた。


「唄さん、あなたは精神的に参っていたんじゃないですか? 飼い猫に嫉妬してしまうくらいに」

「唄さん……」


 黙って話を聞いていた高橋が唄の名を呼ぶ。唄はなにも言葉を返さない。


「それで魔がさしてしまったんでしょう。星良ちゃんの目を盗みモモちゃんを外へと逃した」

「で、でも」


 それまでずっと黙秘を貫いていた唄が口を開いた。


「でも、ですよ。私は星良がモモがいなくなったと言ったから、星良の部屋に行ったんです。モモがいなくなってから私は星良と一緒に部屋の中を探していたんですよ? いつ私が星良の目盗んでモモを外に連れ出したって言うんですか」

「部屋を見ていたときにおもちゃ箱から猫の毛を見つけました。おそらくモモちゃんは星良ちゃんが探しているとき、そこで寝ていたのでしょう」


 唄の問いに中島が答える。


「モモちゃんはあの時点では消えたわけではなかったんです。唄さんは星良ちゃんと探しているときに暗いおもちゃ箱の中で眠っていたモモちゃんを見つけたはずです。あなたがそのときに素直に星良ちゃんにモモちゃんの居場所を教えたらこんな大事にはならなかったんですよ」


 再び口を閉ざした唄をおいて中島は話を続ける。


「あなたは本当はおもちゃ箱にモモちゃんがいることに気づきながらも、星良ちゃんにここにはいないと嘘をついた。そして別の場所を探しているふりをしてモモちゃんの首輪を外して外に逃したんですね。首輪を外したのはもし誰かに発見されても飼い猫だと気付かれないと思ったからではないでしょうか」


 中島の言うとおりだ。現に神主はモモが飼い猫であると気がついていなかった。もし神主がモモが飼い猫だと気がついていたら保護して飼い主を探していたに違いない。唄にとってわざと逃したのにモモに帰ってこられたら困るのだろう。


「……あの子が、羨ましかった」


 長い沈黙のあと、唄はゆっくりと口を開いた。


「あの子は生きているだけでかわいがられて、ご飯も与えられて、星良と遊んでいたの」


 俯いたままの唄から涙が溢れる。


「星良は今年小学校に入学したんです。家のローンまだまだ残っているし、子供が大きくなるぶん必要になる費用も増える。夫は少しでも多く稼げるように仕事を頑張ってくれています。でもそのぶん家族の時間は減ってしまった」


 高橋がそっと唄にハンカチを渡す。唄はそれを受け取ると涙を拭った。


「私は、寂しかったの」


 隣に座る高橋の表情も悲しそうだ。息子の嫁がつらい状況にあるのに気がつけなくて悔やんでいるのだろう。


「それで、そんな思いを抱えながら暮らしていたら、モモのことを忌々しく感じ始めたの」

「モモちゃんに嫉妬してしまったんですか」

「ええ、だって私はこんな惨めな思いをしているのにモモは幸せそうなんだもの。どうして私がこんな気持ちにならないといけないの? モモがいなければ生活費だって押さえられるのに!」


 唄の熱が上がる。興奮しているようで急に立ち上がり机を叩いた。


「なにもしないくせに餌代に病院代、美容院まで行くのよ⁉︎ 私は貯金のために控えているのに! 星良もよ、口を開けばモモ、モモ、モモ! あの子の話しかしない! 昔はあんなにママ、ママって私のあとをいつもついてきていたのにモモが家にきてからはあの子にしか構いやしない! 耐えられなかったのよ!」


 瞳に憎しみを込めて唄は甲高い声で叫ぶ。


「ああ、そうよ、私はどうせだめな母親よ! 人でなしとでも罵ればいいわ!」

「唄さんも罪悪感を感じていたのでしょう? いくら夫の母の提案でも適当なことを言って僕たちを帰してしまえばよかった。なのにそれをせずに、真相は話さなくとも僕たちに聞いたことにはちゃんと答えてくれましたよね。本当は心の中で悪いことをしたなって、後悔していたんじゃないですか?」


 大人しく唄の自白を聞いていた中島が諭すように優しく声をかける。肩で息をしながら叫び続けていた唄が困惑した。


「そ、それは……」

「唄さん、あなたはだめな母親なんかじゃないわよ。星良ちゃんが毎日を楽しく暮らせるのも、息子が仕事を張り切れるのもあなたがいつも支えてくれているから。そんなに働き者のあなたがだめな母親だと言うなら私だってだめだめよ。あなたの悲しみや苦しみに気づいてあげられなかった。義理とはいえ、家族なのに」

「お、お義母さん……ごめん、なさい。一時の感情に任せて私はなんてことをしたんでしょう」


 高橋に背中をさすられ唄は力なく椅子に座り込んだ。ハンカチを握りしめ、高橋に抱きしめられながら再度泣き始めた。

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