第7話 白銀の幼馴染

 久坂百寧くさかもね

 俺と林檎、そして百寧と快人かいとの四人は小学校からの幼馴染だ。林檎とは幼稚園からだったが百寧と快人は小学校で仲良くなって以来ことある事に遊んでいた。

 でも、本当に驚いた。


「本当にも……久坂なのか?」

「まだ信じてくれないんだ。悲しいな」

「いや信じてる……けど」


 笑った時に細く伸びる空色の瞳に、笑いを抑える時に口の端が膨らむ所など確かに俺の知る百寧の特徴をしている。

 ただあまりにも違っていることがあった。昔の百寧はもっと──。


「昔の私は真面目で女の子らしくなかった」

「……」

「嘘ついた時に一瞬目逸らしてすぐ見る癖変わらないね」


 あの……普通にやりづらいです……。頭が回りすぎるところは未だに健在らしい。


「眼鏡かけて髪型もかなり短かったし、そりゃ気づかなくてもおかしくはない、というか……それと……お、女の子らしくないとは一言も言ってないし」

「ふーん?」

「……気づかなかった俺が悪いです」


 全てがもちろん事実ではないのだけど、圧に耐えかね認める以外なかった。

 百寧は降伏する俺を見て満足そうにしている。

 覚えてる云々じゃなくて、ただ弄ばれてるような気がしてきた。

 まあ悪いのは俺なんですけど。


 隣では飲み物を口にしてにこやかな表情を浮かべている。

 そんな彼女を見ていると何か引っ掛かりを感じた。


「どうして、声とかかけてくれなかったんだ?」


 五年近く会っていない旧友との再会、その上クラスまでも一緒。

 入学して五月の半ばだというのに今まで何一つ接触機会がなかったのだ。

 俺の疑問に、百寧は影が差したように真剣な顔つきをした。


「私も、あなたたちも変わったでしょ。数年で色々と。地元を離れていない深見くんとだって全然話してないじゃない」


 思わず口元に力が入る。

 変わった──そうあれから色々と変わってしまった。


 深見快人ふかみかいと。快人とは幼馴染で現に今、同じクラスメイトである。

 百寧が親の転勤で引っ越して以降も俺たちは三人で仲良く遊んでいた。

 ただそれも長くはなく、いつしか快人とは自然と距離を置くようになっていった。俺ではなく、快人の方から離れていったのだ。

 何か大きな理由があったわけではないと思う。

 単純に会う頻度が減っていき、向こうに新しい人間関係ができたというだけ。

 そう。思えればいいんだけど。

 見限られたのだと結論づける方が納得してしまう。

 いつまでも情けない俺をいつも家族のように慰めてくれる林檎──そんな所を毎回目にしていれば俺が快人の立場でもあまり良く映らないだろう。

 中学は別で、高校で再会することになったが、現状どう接すればいいのかがわからなかった。

 何せ深見快人は、俺とは根本的に違う向こう側の人間なのだから。


「でも、卯月くんと首藤さんは今でも仲良しなのね」


 重苦しい空気を払うように百寧は声色を変える。


「……仲良し、じゃないよ」


 ある程度怪我が癒え、百寧と再会したというので浮かれていたんだろうか。

 今の今まで現実を忘れていた。いや見ないように蓋をしていた。

 井上がいようがいなかろうが林檎と共にいて周囲の状況が良くなることはない。

 だからもう仲良くしていないと言わなくてはならない。

 俺と林檎とでは対等にはなれない、と。


「素直になればいいのに」

「……素直だよ」

「嘘ついてるのバレバレ」


 百寧は目を逸らす俺を真っ直ぐ見続ける。まるで心の深い所を抉ってくるように。


「……しょうがないだろ……俺と林檎じゃ釣り合わないんだから」

「井上くんと同じこと言ってる」


 なぜここであいつの名前を出してくるのだろうか?

 俺は抑えられぬ感情に突き動かされたまま立ち上がった。


「じゃあ……じゃあどうしろって言うんだよ。このまま周りに嫌われながらでも二人で仲良くしろって? ただでさえ必死に頑張ってクラスのまとめ役になってる林檎の足を引っ張ってまで、評判を下げてまで二人でいろと……? 無理だよ。井上だけじゃない。宮原さんにだって今日直接言われたし、クラスメイトからも既にそういう目で見られてる。だから、皆のために、俺と林檎のためにも離れた方がいい……離れないとどうにもならないんだよ…………」


 殴りつけてまで否定したはずの男と言っていることはまるで変わらない。俺はただ自分を、井上を否定したくて暴力に訴えたのに、結局俺の臆病な性格は何も変わっちゃいなかった。


「なら変わればいい」


 百寧は尚も俺に顔を向けて言う。


「……勿論変わろうとしたさ。話し方もトークも見た目もネットで色々調べて変えたり話しかけたりもした。そして、隣に残るのはいつも林檎だけ。どこまでいっても俺は俺のままなんだよ」

「私が手伝ってあげる」

「だからそんな簡単に変われるほど甘くは…………え?」


 下らない自己否定をして、情けない自分を正当化する俺が嫌いだ。

 五年ぶりの再会を台無しにするなんてほんとどうしようもない。

 ところが、目の前の幼馴染は違った。


「君の幼馴染が、本命の幼馴染と一緒にいられるようにしてあげる」


 一つも他意は無いと思えるほど優しい顔をしていた。


「なんでそんなこと……」

「大切な幼馴染だから」


 ゆっくりと立ち上がった百寧はそのまま自然な手つきで怪我をした俺の右手を包み込んだ。


「私は気にしないけれど、確かに首藤さんと卯月くんが二人でいるときは教室の空気が凍ってる」


 躊躇ない言葉に俺の心は同様に凍てついた。

 どことなく非日常的な光景が瞬く間に現実に引き戻された感じで余計に混乱する。

 でもそのおかげなのか、さっきまで燻っていた醜い心が嘘のように消えていた。


「余計なことに巻き込まれたくないし、二人も邪魔者には入ってほしくないだろうから君には何も言わなかった。でもそんなに思い詰めてたら、助けたくなるよ」


 ──余計なことに巻き込まれたくない。

 たぶんそれは半分方便な気がする。

 百寧の手は温かく、安心させるように傷のない手首を優しくさすってくれる。

 この温かさは知っていた。


「それに……」


 そう言うと、突然顎に指が触れた。

 なすがまま俯いていた俺の顔が持ち上がる。


「君は私を助けてくれたヒーローだしね」


 とてもじゃないが自分に向けられる言葉じゃない。

 そんな否定すらできないほど、三吉百寧という少女に引き込まれた。

 時の流れがわからないままぼんやりとしていると、気づけば百寧は俺から離れていた。


「というわけで、これからよろしくね」


 昔は常にクールで真面目という印象しかなかったというのに別人のようだ。

 でも、そんな彼女だからこそ今こうして俺と向き合えているのかもしれない。


「本当に……いいの? 俺は何も……してあげられることなんて」

「そんなのいらない、って言ってもたぶんあなたは気にするだろうから、何か一つ私のお願いでも聞いてもらおうかしら?」

「え」

「なんで露骨に嫌そうなのよ……まあいいけど、最近退屈だから遊び相手になってほしいって言ったらどう?」

「そういうことなら……」

「じゃあ、改めてよろしくね。朔くん」

「よろしく……も、百寧ちゃん」


 俺の左手は差し出された彼女の手を取った。

 百寧は冗談交じりに、勇気づけるために俺をヒーローと言ったんだろうけど、それは違う。

 この瞬間のヒーローは間違いなく君なのだから。


「その呼び方気持ち悪いからやめて」

「え」


 たぶんそうだと思いたい。

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