第4話 現実
俺は、井上と彼の取り巻きである中岡、佐竹とともに屋上まで来ていた。
日直の仕事を終えて帰ろうとしていたときに、井上から「話したいことがある」と言われたのが事の経緯だ。
屋上に来て早々井上が衝撃の一言を放つと、たちまち場が静まり返った。
俺を呼んだ事、四人でいるこの状況、未だに笑顔を貼り付けている目の前の男など、現実の処理に全く頭が追いついていない。
「そんなおかしい?」
「いや、告白すると思ってなかったというか……」
本当にそう思っていた。
何せ俺を頼ってくるくらいだから林檎に告白するなんて真っ当なことをするとは思えなかったのだ。
「ははは、そっちか。ということは、付き合えなかったことには全く驚いてないのか」
「そ、それは……」
しまった。
昨日の林檎との話し合いで、林檎が井上に興味を持っていないことは知っていた。ゆえに付き合うことはないという前提の心持ちでいたのだ。
「その顔はやっぱり知ってたんだ。卯月くんも酷いことするなぁ、結果は知ってたのに知らないふりするなんて」
仮面の口元が異様に曲がり奇妙なほど口角が上がっている。
でも酷いことをしたのは確かかもしれない。結果ではないとはいえ知っていたふりを俺はしたのだ。そのことに後から気付けば、俺だって何クソかと思うだろう。
「ごめん……でも、俺が聞いたのは映画の話だけで恋愛の話とかはしてないし、気持ちもやっぱり本人の前じゃないと伝わらないのもあるというか」
林檎は良い印象を持っていないかもしれないが、やはり誤解というのもある。第三者が噂を流すより当人同士で話す方が一番いい。
それに恋は盲目とも言える。性格が良いとは言えないけれど、それでも他人の手を借りてでも恋を実らせようという気持ちはわかってしまう。
しかし目の前の男は怒りを顕在させていく。
「んなことあるわけないだろ。須藤さんが言ってたよ。あの子に変なことはするなって。酷いよなぁほんと、俺なんも悪いことしてないよ? ただ君と親しい首藤さんに映画の誘いをしただけなのに、俺が悪いみたいになって」
その通りかもしれない。でも。
「悪いってわけじゃ……」
「ほんと舐めてるよな」
顔を寄せてきた井上は、今まで蓄積されてきたものがはち切れたようにまなじりを決した。
「この際言うけどさ。なんでお前そんな須藤さんに可愛がられてんの?」
仮面を完全に捨てた言葉には節々に傷付ける棘が付いているようだった。
「……幼馴染だから」
「ははは、それだけであんなになるわけないだろ。お前の家って金持ちだったりする? それか親が仲良いとか、そういや噂になってたぞ。卯月くんが須藤さんの弱み握ってるんじゃないかとか」
「そんなわけ!」
そんなのあるはずがない。
しかし、俺たちの関係は俺たちにしか分かり得ないことだった。誰かに説明しようとしてできるものではないのだ。そのもどかしさが堪らなく悔しい。
「おー怖い怖い。まあ何でもいいけどさ。お前と須藤さんが仲良いと迷惑なんだわ。いや俺じゃないよ。皆がね」
「迷惑……」
「そりゃそうでしょ。皆首藤さんと話したいのにお前にばっかり取られて、初めは皆構ってくれたのな。お前が喋れないってわかったらすぐに離れていっちゃって」
宮原さんの言っていたことを思い出す。迷惑をかけるな、と。
そうか、やっぱり皆俺のことを迷惑がっているんだな。
井上の言っていることにそんなに間違いはなかった。林檎が愛されキャラだと言うのはわかるし、入学したての頃は林檎込みで俺に構ってくれて、話しかけてくれて、でも段々俺のことはみんな見なくなっていった。
もしかしたら初めから井上みたく林檎に気に入られたくて俺に構っていたのかもしれない。
だとしたら俺は本当に見る目がないというか、自意識過剰というか。
いや、違うな。
そもそも俺がまともだったら、林檎の隣に相応しい人間であったなら、こんなことにはなっていないわけで。
全部俺の招いた結果だ。
他人のせいにして、逃げて、人の目を気にして、本気で努力したこともないくせに口だけは回って、何度も、何度も言い訳をして、そして大切な人にいつまでも心配させ続けて……。
だから、こうなったのも運命で必然なのかもしれない。
あぁ。本当に俺って──。
「ほんと可哀想だよ」
だめなんだなぁ。
「首藤さん」
その瞬間、感情の波が現実のものとなって流れ落ちた。
「……おい、井上流石に言い過ぎだぞ」
「泣いちゃってんじゃん。井上、アウト」
(止まれ止まれ止まれ止まれっ!)
こんなやつらに涙なんて見せたくない。見せちゃいけない。
しかし、必死に手で堰き止めても全く収まる気配がない。
どうして俺はこんなに弱くて情けない生き物なんだろう。
そう自分に問うたびに抑えなければならないものが際限なく溢れ出る。
「っ! お前らも見守ってただろッ! でも、首藤さんに俺が悪人だって言ったお前が悪いんだからな! それに……俺とか、お前みたいなやつは首藤さんみたいな人間とは住んでる世界がちげえんだよ…………クソッ!」
井上は捨て台詞のようなものを吐き捨てるとすぐに視界から消えていった。またその後を追いかけるようにもう二人も屋上から姿を消した。
彼らが消えた途端、不思議と自分を傷付ける心の声は弱くなっていった。
ほんと、どうしようもないな。
これほどまでに卯月朔という自分に呆れたことはないくらいだ。
足の力も入らないのか、膝がストンと地面に落ちる。地に手をつくとボロボロの身体に空気を入れるように何度も深呼吸した。
涙は枯れたが、先ほどの出来事で未だに心は折れてしまっている。
こういうときはいつも林檎が……と何故か何も無い宙に手を向けるが当然掴んでくれる者は何もない。
その事実を受け入れ、俺はその場に座り込み下を向いた。
もう、林檎には頼れない。
井上の言っていたようにそもそも首藤林檎とは住む世界が違っていたのだ。
わかっている。でも昔と変わらずに接してくれて、優しくしてくれて……そんなの無視なんかできるはずがないだろ。
彼女のことが、本当に好きなんだから。
弱い自分が嫌いだ。周りを見て怯える自分が嫌いだ。そんな風に考える自分が嫌いだ。嫌いなところばかりに目がいく自分がほんとに……。
変えようと頑張ってきたつもりだけど、井上や宮原さんを見て、今の現状でも大丈夫だなんて、もう言えない。
だから諦めよう。
それに、もう、なんか色々と疲れてしまった。
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