第2話 現在位置
それから井上と二人でトイレへ行くことに……とはならないようで、教室の反対に位置する化学室の前に来ていた。
トイレというのは口実だったらしい。まあ男同士で、かつ俺となるとただ連れションが目的ではないというのは明白だ。
「で、どうだった?」
井上は壁にもたれかかると、単刀直入に訊いてきた。
「どうって……」
「首藤さんに言ってくれた?」
ニヤニヤした顔つきを変えることなく腕を組む井上。
隙のない姿勢から、そのこと以外にはまるで興味を持ち合わせていないといった様子だ。
昨日林檎と話し合って、「井上は俺を良いように扱っているだけ」という認識をより強固にしたが、ここまで露骨に見せてくるとは思っていなかった。
それほどまでに俺が従順に見えているのか、または俺はもう用済みでしかないということだろうか。
やっぱり昨日話せてよかった。
もし昨日の林檎とのやり取りがなければ俺は弱いままの俺でしかなかったと思う。たぶん井上は俺を舐めている。でもそれは俺自身が招いたことでもある。下手に出ることで主人には逆らわない、噛み付かない子犬であることを暗に示したのだ。
それでは対等な関係とは言えないだろう。
「いや……言ってない、よ」
「え?」
「その、俺が言うよりさ。井上くんが、言った方がいいかなと思って。ほら、俺が言うとなんというか……その、気持ちまでは伝えられない、し、誤解されるところもあるかなって……」
鼓動が乱れているのを感じつつもなんとか思いを口にした。
目立たないように、角が立たないようにと生きてきた人間にとってはこれが限界だ。相手を傷付けても修復できると思えるメンタリティならば林檎以外の人間関係を既に構築できている。
「あ、でも映画好きってことは伝えたよ! だから変に思われては──」
「使えな」
精一杯の抵抗はあっさりと断ち切られた。
取り繕っている俺とは真逆の、明確な蔑視。
相対する男は冷淡な顔と声色を隠すことなく表に出している。
「あぁごめん、何でも。わかった、それじゃあ」
そして、何事も無かったように元の仮面を貼り付けると、井上はそのまま背を向けて歩き出した。
「え……ちょっ! い、井上く…………ん」
俺に一切反応を示さないで、井上は視界から姿を消した。
すると、先ほどまで感じていた緊張の強さが一転したように嫌な冷気が身体中を支配する。
俺と井上は仮初の友達関係だったはず。
そんなこと最初からわかっていたし、いつ疎遠になってもおかしくはなかったのに。
それなのに何で今、どうしようもない気持ち悪さに取り憑かれてしまっているのか。
どうにかしようと必死に頭を働かせていると、一つの考えが頭を過る。
──仮初の関係でもよかった……?
そう思えば、不思議と黒い靄が薄れていく気がした。
誰でもいいから近くにいてほしかった。ただそれだけなのかもしれない。
林檎以外の誰かが。
林檎に相応しい人間になるより、林檎の隣にいても変な目で見られないことの方が勝っていたのだ。
だから隣に誰かがいれば俺は認められているのだと誤魔化すことができる。
誰よりも可愛くて綺麗で優しくて大切な存在がいるのに、俺の目はその後ろにしか向いていない。
それでも彼女を失いたくなくて、俺は愚かにも手を取ってしまう。
「……はは」
井上が背にしていた壁にもたれかかり、心の内で自身を嘲笑った。
俺は底辺になるべくしてなったんだなと。
***
「それじゃあまずは二人組作ってください」
友達がいない人間にとって最も嫌なイベントと言えばこれが挙がるだろう。
担当教員にとっては仕事を進める上での流れ作業なのだろうが、孤独な人間からすれば地獄そのものだ。
まず仲良い者同士がくっつき、余った者はコミュ力が高そうな人や友達の友達と、そうして最後に残るのがぼっち。
何も誰かに迷惑をかけたいのではない。「自分とペアを組む人は可哀想」という心優しき配慮から成り行きでそうなっているだけ。もしも自分から強引にペアを組めば二人ないしはその子の友達までも不幸に陥るが、俺が残れば一人しか不幸にならない。
「まだペアを組んでいない人〜」で見つかったときに皆から注目されて死ぬという、ただそれだけの犠牲で世界を平和にできる最高のイベントというわけだ。
現に今、それが開催されているのだが。
「さっくんみっけ!」
今回は少し違うかもしれない。
「一緒にしよーっ」
前方にいたはずの林檎が、いつの間にか隣まで来ていて俺の左腕を掴む。
周囲の男子はともかく、前で林檎を囲んでいた女子たちも戸惑うようにこちらを見ていた。
「いやさすがに男女ペアは……」
「先生に聞いたらいいよって言ってくれたよ〜」
用意周到すぎる……というか先生、いいのかそれで。
最前でパイプ椅子に座っている華奢な体型の眼鏡体育教師は気だるそうにテーブルに肘をついていた。一瞬見ただけでも生徒に、というか授業にあまり関心がないようだ。
まあわからなくはないけども……。
というのも今回の授業は元々担当だった教師が突如体調不良かなんかで早退することになって急遽教員と授業の内容が変更になったのだ。
通常であれば選択競技の違いで俺と林檎は別なのだが今回は合同となった。
「いいよね? それに男女ペアは私たち以外もいるっぽいし」
林檎の視線の先には確かに男女ペアのグループが二つほどあった。
まあ見るからにリア充オーラしか感じない男女なんだけど。
「……わかった……やりましょうか」
「うんっ! それにさっくんの高速瞬間移動を見届けないと面白くないからね、フフフ……」
どこに面白要素があるのかわからないが、林檎の謎めいた猫みたいな顔は見れてよかったかもしれない。美少女は変顔でも美少女だから困る。
「だからそんな動かないって」
実際今日の体育は卓球なのであまり動く必要はなかった。
それから授業が始まり、10分ほど軽く打ち合うとダブルスに移った。
「手加減なしかよ……」
「したつもりだけど……んー、さっくんが弱すぎるんだと思う」
その通りなんだけど、唯一勝てそうな卓球で歯が立たないのはさすがに萎える。
そう肩を落としていると、林檎の友達らしき二人が駆け寄ってきた。
「林檎〜やろー」
やって来たのは宮原さんと佐伯さんだ。
赤茶の髪をした少し小柄な
二人+林檎が混ざったことにより、いつもは汗臭い場所が、都会のお洒落なお店が並んでるフロアに様変わりしていた。
この人たちとこれからダブルスをやるのか……。
そう思うと急に微熱を感じた時のような感覚に陥る。
そんな状態だったのが災いし、不覚にも宮原さんと焦点が合ってしまった。
しかし彼女はすぐに俺から目を離す。
なんだ……?
目が合った瞬間睨まれたような気がしたが、宮原さんは何ともないといった様子で林檎と話し始めた。
気のせい、か。
それからすぐにダブルスの試合が始まった。
俺&林檎のペアと宮原&佐伯ペアでの試合──だったはずがいつの間にか林檎VS宮原&佐伯に変わっていた。
なぜこうなったのか、それは三人とも実力がずば抜けていたからである。
いや単に俺が弱すぎるだけなのかもしれないが、毎度俺の所でポイントを落としてしまうことで林檎のカバー範囲が増えていき、「寧ろ俺がいない方が良い勝負になるのでは」と思い一度林檎に任せてみたのだ。すると思いの外白熱した試合になり、徐々に周りも注目し始めるようになり、林檎も負けず嫌いの性格で試合にのめり込んで……とまあ色々あり俺が空気になっていったというわけだ。
この機会に林檎の友達と交流できれば、と淡い期待を抱いていたけれど仲良い女子三人に入っていけるような何かしらは持ち合わせていない。
「まあだいたいこんなもんだよな」
30分近くサボってしまったのはある意味幸運だなと思いつつ、俺は卓球台など諸々の片付けをしていた。無気力先生に誰も触れてない奥の台の片付けを頼まれたのでやっぱり四人として看做されていなかったらしい。まあ一人には慣れてるからこっちの方がいいのかもしれない、などと考えていると誰かが近寄ってきた。
「呼べばいいのに」
「あぁごめん楽しそうだったからつい──」
完全に林檎だと思ってその姿を見ると、身体が石のように固まった。
声をかけてきたのは、一度も会話したことのない女子──
「ちょっと話があるんだけど」
宮原さんは鋭い眼差しでそう言った。
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