第1話 変わりないお昼休みの日常
「ねえ」
前方で誰かを呼ぶ声がする。
俺の席は窓際の前から三番目なので、方向的には俺の後ろの二席もしくはその隣の二席に向けてだろう。
「ねえってば」
「……」
後ろからの反応は無い。声の主はボリュームを上げるが依然として状況に変化はない。
おかしい。
後ろの人たちはお昼になれば皆どこかへ行ってしまうタイプの人しかいないし、今日もそれを確認した。今も背後に気配は感じていない。
ワンチャン俺だったりする?
でもこれで間違いだった場合「え。いやすみません、あなたじゃないです」と言われ取り返しのつかないことになる。周囲に知り合いがいなければ恥をかくだけで済むが、ここはその場限りの場所ではなく教室だ。只でさえ浮いているのにここで変に目立ち更に誰からも笑われなかった場合、完全に「触れちゃいけない人」というイメージが定着してしまう。
それだけは絶対に避けなければならない。というわけで突っ伏せ続行で──。
「起きないといたずらしちゃうよ?」
「っ゛!?」
予想だにしていなかった囁きASMRボイスが聞こえ反射的に顔を上げる。
すぐさまポケットのスマホを取り出し確認するが音量は0のままだった。
「はぁ、あっぶね……」
「何が危ないの?」
声の方に振り向くと、よく知る人物が疑うような眼で俺を見ていた。
「いや別に危なくはなかった。……というか……なんでいるの?」
幼馴染──
「なんでって……一緒にお弁当食べるからに決まってるじゃん!」
「ちょっ」
教室の入口付近にまで届きそうな声で感情を爆発させる。
案の定お昼ご飯を食べていたクラスメイトたちは奇異な視線を向けてきた。
「さっくんが変な事言うからだよ。いっつも一緒に食べてるのに」
「それは……林檎が友達とご飯食べに行ったから」
「行ってないです。……お花摘みに行ってただけだから」
恥ずかしそうに小声で話す林檎。女子にとってはあまり触れたくないワードなのだろうか。別に聞いてもいないし答えなくてもいいんだけど。
「そんなことより早く食べよっ。次体育だし」
そう言うと前の席の机を俺の所にくっつけ、当然のようにお弁当を食べ始めた。
俺たちはほぼ毎日お昼を共にしていた。何も知らない人からすれば至って普通の「友達同士のやり取り」に見えるのかもしれない。
でも俺と林檎の世界はまるで違うのだ。
成績はトップクラス、運動神経はそこそこだが中の上以上はあるだろう、そして入学して一ヶ月しか経っていないのにもかかわらず、既に学年一と学校全体で噂されるくらいの美少女、それが首藤林檎という女の子だった。
幼馴染の俺からしてみればそんなものは彼女の一部にすぎない。林檎の本当に凄いところはコミュニケーション能力の高さだ。高校に入学してからはや一ヶ月、クラスメイトはおろか他クラス、先輩、教師陣にまで声を掛けられることも多く老若男女問わず愛されている、いわば敵を作らない存在なのだ。
そしてこの俺はというと無個性で平凡な顔立ち、おまけに人見知りで友達は一人としていない。
林檎と対極に位置している俺がなぜ一緒に居られるのか。
それは単に、ずっと一緒にいたから。ただそれだけである。
産まれてから今に至るまで家族と同じくらいの時間を共有したから。つまり彼女からすればきっと家族同然なのだと思う。
だからこそ困っているんだけど。
「えいっ」
「ぁ、ちょ」
「よそ見してるからだよー、ふふっ」
口元を抑えて上品な笑みを見せる林檎。彼女の箸には俺の弁当に入ってあった卵焼きが掴まれていた。躊躇なく口に入れると片頬を手で抑えながら「おいひい」と満足そうにもごもごする。やっていることは俺から弁当を奪っただけなのに、全てが絵に見えてしまうのが悔しい。
カーテンの隙間から差し込まれた一筋の光もまた演出するように彼女を照らし出し、首ほどまであるピンクブロンドの髪が神々しく輝いていた。
「もしかして食べたかった?」
「いや別に──」
何ともないと口にしようとすると勢いよく彼女の手が伸びてきた。
「……ごめんね。取っちゃって。……これ、そのお返し」
箸で掴まれていたのは新たな卵焼きだった。
恥じらうように林檎は俺から顔を背ける。俺の口の前数センチ近くにある卵焼きはプルプルと震えていた。
え。食べろと?
「実は今日作ってみたの。でもさっくんのお母さんの卵焼きすごく美味しいから、その、比べられたくなくて……ごめん」
林檎は罪を告白する。
なるほど。確かに母親の味を先に食べてしまったら比較してしまうかもしれない。
うちの母親は調理師の資格も持っていることから料理の腕は確かだった。だからといって俺自身に客観的な味の良し悪しがわかるわけではないし、卵焼きだけでそんな違いもなさそうなのだが……。
「いい、かな?」
林檎は俯きがちに上目遣いをする。俺はほのかに体が温かくなるのを感じて目を逸らした。
いくら幼馴染といえど、この破壊力に慣れることはできない。
それから林檎は一度決めたことはなかなか折れないタイプだ。俺がすぐ断れる人間なら、お昼ご飯を一ヶ月も一緒に食べてはいない。
ゆえにここで取るべき手段はひとつ──。
「……ん。おいしい」
何とも味気ない感想だが、目の前の女の子は花を咲かせたような顔をした。それもまあ俺が滅多に褒めたりしないからなんだけど。特にここでは。具体的な感想は後で伝えておこう。
ふと周囲を窺うと、数人が鋭い視線を送っていた。
そりゃ、そうだよな……。
教室内であーんをしている男女がいればそれは気になる。その上俺と林檎の組み合わせなら尚更。彼らがどういう感想を抱いているのかはわからないけれど、おそらくポジティブなものではないだろう。
高校生活が始まった辺りはもっと違っていた。
最初は林檎伝いで集まってきたクラスメイトたちと輪になって食事をしていた。しかし俺は話題にはついていけず、せっかく話を振られても空気をよくない方向にする受け答えばかりで、気がつけば誰も寄り付かなくなっていた。
小中のときは共通の知り合いも多く、まだ自我が芽生えていなかったせいか周りにどう見られていたのかなど気にすることはなかったが、ようやく今になって気付く。
「俺は林檎無しじゃまともに生きられない」のだと。
「それじゃ、もう行くね。さっくんも早く食べないとお腹たぷんたぷんで動けなくなるぞ〜」
「いやそんな量ないし、というかそんな動かんし」
「えーそこはびゅんびゅんって動きまくってすごく速いさっくんを見せながら、最後には……うーん、いっぱい出しちゃえ☆」
誰得案件なんだそれは。ってかその後始末をするのは間違いなくあなたしかいなさそうですが……。
「その方が、みんなも笑ってくれるかもよ?」
「はいはい」
「じゃ、またあとでっ」
そう言って小走りでクラスの端にいる友達の方に向かっていく。
「みんなも笑ってくれる」か。
適当なことを言ってるつもりでも林檎は俺のことを中心に考えてくれている。どうすれば今のクラスに馴染めるのか、俺が楽しめられるのか。
それこそ今二人でお昼を過ごしているのも卯月朔という人間の認知を広めるためでもあるのだろう。
「……頑張らないと、な」
「──相変わらず仲良さそうだね」
明らかにこちらに向けられた声にすぐ振り返る。
「一緒にトイレでもいかない?」
手を向けて柔和な笑みを見せたのは林檎以外の唯一の話し相手──井上だった。
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