第39話 そうか。そうだとは思っていたよ

 王都のスラム街は、入るとまず崩れかけたボロアパートが建ち並ぶ。どれもこれも5〜6階建てで、どこか一つでも火事になれば、スラム街一帯が火の海になりそうなほど密集していた。


 さらに進むとアパートは減っていき、バラックやアバラ屋が現れる。むしろボロアパートに住めるのはいいほうなのだろう。この辺りまで来ると、どこからともなく腐臭が漂ってくる。


 そしてその先には河原があった。


 川の氾濫に備えて広い敷地になっているのだが、まるでゴミ捨て場のようだ。粗大ゴミがあちこちに散乱していた。ただし視界を遮るほどではない。さらにはバラックにすら住めないホームレスたちが、瓦礫なんかを積み重ねて寝床にしているようだ。


 そんな河原中央まで来ると、オレは立ち止まって振り返る。


 取り巻きのうち一人が姿をくらませているが、オレは気づかないフリをした。


 そして、オレの注意を逸らすかのようにオッフェンが不満を述べる。


「ったく、どんだけ歩かせる気だ」


「王都で、ひとけがない場所はあまりないんだ。仕方がないだろ」


「チッ。それでなんの用だ?」


「身代金についてだ」


「……はぁ?」


「カネは必ず用意する。クラスナにはそれだけの資産がある。だが……さすがに一週間で100億もの現金を用意するのは無理だ」


「………………」


「一週間だと、貴金属を含めても半分の50億ペルが限界だ。あとは不動産の処分などで残りを用意する手はずだが、早くても一ヵ月はかかる」


「……なに言ってんだ、テメエは」


「だからそれまで、父親の命は保証して欲しい」


 オッフェンは顔をしかめるばかりで何も言ってこない。だからオレは矢継ぎ早に話を進めた。


「もちろん命だけじゃない。心身ともに、現段階でも無事である保証が欲しい」


「ずいぶんと要求が多いな? もっとも、なんのことだか分からんが」


「100億ペルものカネを用意するんだ。受け渡してから死体を送られてきては困るし、もしそんなことをしたらクラスナが黙っていないぞ? もちろんオレもだ」


「くくく……テメエに何ができるってんだ?」


「クラスナと共に、お前らを地の果てまでも追うだろう。そして必ず仇討ちをすることになる」


「上等だよ」


 オレの挑発に、その場にいる五人が抜刀する。オレはすかさず両手を挙げた。


「ちょっと待ってくれ。今のは万が一の話だ。クラスナの父親が無事ならそれでいいし、100億ペルは必ず用意する。だから父親が無事である証拠の提示と、そしてカネを用意する時間をくれ。お願いだ」


 しばらくはにらみ合いが続いたが、そこに、欠けていた取り巻きの一人が何食わぬ顔で戻ってきた。


 そいつはオッフェンに耳打ちをして──オッフェンがニヤリと笑う。


「テメエ、もしかして馬鹿なのか?」


「なんのことだ?」


「あの女を物陰にでも潜ませているのかと思ってみれば、どこにもいないときた」


「当たり前だろう。いまこの場にクラスナを呼んだところで、父親を人質に取られている以上、何もできないんだからな」


「だからといって、テメエ一人で来たってのか?」


「危険な目に遭うのはオレ一人で十分だ」


 オレがそう答えると、オッフェンが吹き出した。


「ハハッ! テメエは底なしの馬鹿だったんだな! お高くとまった魔法大学院とやらで何を学んできたんだ!」


「……なんのことだ?」


「よく考えてみろ! テメエがあの女から離れて単独行動をしたらどうなるのかをな!」


 オッフェンが片手を上げて合図をすると、抜刀したままの連中がオレを取り囲む。


 オレは身を低く構え、周囲に視線を巡らしつつも言った。


「オレのことはこの際どうでもいい。支払期限を延ばすことと、父親の無事を保証すること、この二つを受け入れてくれとお願いしているんだが?」


「クハハッ! 分かった分かった! お前がどうしようのない馬鹿なのがよく分かった! あるいは自殺志願者か!?」


「おいオッフェン。どうなんだ? こちらの要求を受け入れてくれるのか?」


「そうかそうか……! そこまで馬鹿だと哀れみすら覚えるな! よし、分かった。テメエの要求は受けてやる!」


 その一言を聞いて──


 ──オレは薄く笑う。


 だがオッフェンは、オレの様子には気づかず話を勝手に進めていた。


「確かに100億ペルは大金だ! 支払期限の延長は認めてやろう! ただし一週間後の50億ペル、これは譲れないぞ!」


「ああ、分かっている」


「それと父親の状況だがな。暴れるので多少は痛めつけてやったが、命に別状はねえよ。あとその証拠が欲しいんだっけか?」


「そうだ」


「なら今からテメエも連れてってやる──人質の追加としてな!」


 その瞬間、オッフェンの姿が消えた、かのように見えた。


「ガハッ──!」


 気づけばオレは腹部に鈍痛を受け、数メートルは吹き飛ばされたかと思うと、砂利の上に崩れ落ちた。


 詰まった息を唾と共に吐き出して、オレはオッフェンを見上げた。


「な、なんの真似だ……!」


「お馬鹿さんは、人の言葉が分からないってか? もはや猿並みの知能だな」


「何を……言っている……!」


「ひ弱なテメエ一人を寄越よこしたところで、人質が一人増えるだけだろーが? つくづく馬鹿だな!」


 オッフェンはオレの腹部を蹴り上げて、オレは砂利の上を転げ回る。


「ハハ! ほんと、世の中馬鹿ばっかりで笑えてくるぜ!」


 さらにアゴ先を強烈に蹴り上げられたオレは、仰向けに倒れ込んだ。


「おっと、あまり強く蹴ると死んじまうか? 魔法士は馬鹿でひ弱だからな」


 取り巻き共々大笑いをする中、オレは擦れた声で言った。


「オレを……どこに連れて行く気だ……」


「北東地域に決まってんだろ」


「北東地域……?」


「テメエ、予想すらしてなかったのか? 猿にも程があるな」


「どういうことだ……」


「アルガス山脈の麓に、あの女の父親を捕らえてんだよ。今からテメエもそこに連れて行くってわけだ」


「あんな場所……早馬だって一週間はかかるだろ」


「なぁに、急ぐ旅でもねぇからな。まぁもっとも、そのなりじゃ荷馬車の中でテメエは死んじまうかもしれんが」


「転移の魔法具はないのか?」


 オレの問いかけに、オッフェンたちはまたもや盛大に笑う。


「んな魔法具があるなら、身代金なんぞ要求しねぇっつーの!」


「そうか。そうだとは思っていたよ」


「……あん?」


 そしてオレはゆっくりと立ち上がり、懐から小型通信機を出した。


 回線を開きっぱなしにしていた通信機を。


「クラスナ、聞いていたな?」


「カルジ! 無事なの!?」


「ああ、こちらは問題ない。アルガス山脈の麓だ。時間も十分にあるし、捜索できるな?」


「ぜんぜん大丈夫! すぐにお父さんを救出して、そっちに行くから待ってて!!」


「……いや、大丈夫だ」


 オレは、取り囲む連中を睥睨へいげいしながら言った。


「こんな連中、クラスナの手を煩わせるほどでもないからな」




(つづく!)

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