第8章 聖夜のチャペル


「浩介、チャペルに行ってみない」


「いいね。恥ずかしいけど、初めてや」


 これまで教会など行ったことがない。ましてチャペルなど見たこともなかった。正直言って、少しだけ照れくさい。けれど、結菜の眼差しが光って見えてくる。女性の経験は少ないが、涙には敏感なのだ。


「卒業生なら聖夜に結婚式まで出来るの」


「嘘やろう。大学でウエディングなんて」


「嘘じゃないって……。覗いてみようよ」


 本当に挙式などやっているのだろうか。


 何処までも好奇心旺盛で、怖いもの知らずの結菜だ。ところが、彼女の不思議な魅力にはまり、素敵な女性に思えてしまう。


「でも、今夜はイブだぜ。やってるのか」


「星降る夜だから、良いのじゃない」


 礼拝堂の扉をそっと開けてゆく。ランタンの灯が揺らめいて見える。パイプオルガンの重厚な音色と一緒に聖歌隊・ゴスペルの歌声が聞こえて、ブルーのステンドグラスからは煌びやかな光が差し込んでくる。


 厳粛な雰囲気漂う空間に新婦が装うオフホワイトのドレスが浮かび上がり、友人たちからカシャッカシャッとカメラのフラッシュを浴びてゆく。

 皆に祝福され、カリヨンの鐘の旋律が鳴り響く中、バージンロードを新郎新婦が手をつないで歩いてくるのが分かった。


「ふたりとも幸せそう。恋人たちのクリスマス、羨ましいなあ……。」


 結菜のささやきが木漏れ日の如く伝わってくる。視線の先には美しいドレスがあり、うっとりと見惚れているようだ。



 Silent night, holy night

 All is calm, all is bright

 Round yon virgin mother and child.

 …………


 結婚式が終わると、雰囲気がガラッと変わり、聞いたことのある「きよしこの夜」のメロディーが届いてきた。優しく届く歌声に、身も心もすごく癒されてくる。

 ミッション系の大学に入学して、結菜ともう一度この景色を見たくなる。ちょっとだけ、感傷的な気分に浸っていたのかもしれない。そんな気持ちを彼女はものの見事に和らげてくれる。


 

「次は魔界の中枢を案内してあげるね」


「なんだぁ、それ」


「黙って付いて来て。すごく怖いんだから」


 なんだか、リードするのはいつも彼女らしく思えてくる。でも、心地よく感じてしまうのは何故だろうか……。


「えっ、……?」


 時刻は八時となる。結菜と一緒にいられるのもあと一時間しか許されない。時間よ止まってくれと思いながら、鈴懸の径を歩いて明かりが灯る建物を目指してゆく。


 レンガ壁の施設は、立明大学の全てを知りえる歴史展示場にもなっているという。入口まで来ると立ち止まり、突然に彼女はツタの絡まる壁を指さし口を開いてくる。


「その葉に触れてみて。合格祈願だから」


 結菜の言うことが分からなくなる。でも、真剣な表情に頷き、言われた通りに小さなハート型の葉に触ってゆく。

 この建物の一角だけは冬を迎えても夏ツタが枯れることなく赤い葉が残り、春にはアオハルの葉っぱになるという。彼女の言葉を信じて、ツルが天にも伸びる想いで何度も優しくタッチしてしまう。

 結菜は優しく見守ってくれる。魔界に来てから、あと二ヶ月で受験が迫ることを忘れていた。



「浩介、江戸川乱歩って知ってる?」


「おっ、怪人二十面相や。子供の頃読んだ」


「すごい。今でもここに棲んでいるの」


 結菜といると驚くことばかり起こる。


 何か問いたげな眼差しをしたまま、建物の二階に案内してもらう。

階段を上がると、目の前の景色に驚いてしまう。なんと乱歩の書斎、居間、蔵書などが当時のまま残されていた。キャンパス脇の邸宅に亡くなるまで住んでいたらしい。


 まさか、自分の目指す大学内に日本を代表する推理小説家の終の棲家があるとは思わなかった。けど、驚くのはまだ早かったのに気づく。


「来春、私と同じ文学部受験しない? それと、いつまで東京にいるの?」


 初めて結菜の媚びるような甘い言葉が届いてくる。どうしたのだろうか……。女性の揺れ動く気持ちは分からない。


「明後日までだけど」


「なら、明日、受験に合格する秘訣を教えてあげる。その後は……。」


 やはり、彼女の真意をくみとることは無理だ。でも、潤んだ瞳はとても素敵に思えてくる。もし触れたら壊れそうな儚さを感じて、思わずため息をつき、黙ったまま頷くしかなかった。

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