メガロドン対ウォーターエレメンタル2

 西湖沿いの道路から見て、水面はすぐ下にある。人間がそのまま滑り落ちても怪我はしない高さだ。巨体を誇るメガロドンは律儀にガードレールを乗り越えて、そのままダイブする。派手な水しぶきを立てると水中に姿を消した。


 水色のガラス状装甲板に守られたウォーターエレメンタルは、水中のメガロドンに向けてウォーターカッターを噴出した。だがさすがに命中しなかったようだ。西湖は意外と水深がある。圧縮された水に水を打ち込んでもサメへ届くまでに減衰してしまう。


 魔界のモンスターの攻撃方法は魔法ではなく、ただの物理現象なのだから。


 敵は湖の沖合い数メートル上空に浮遊している。常識的に考えて魚からは攻撃を受けない位置だ。なのでメガロドンを見失った相手は、そのまま攻撃目標を道路上の人間に変更する可能性がある。油断はできない。


 梨丸が荷車の上から顔だけを出して様子をうかがっていたら、リリも同じように敵の観察に加わってきてしまった。未知への存在に興奮してか、その整った顔はピンク色に上気している。

「ワタシもこれくらい見てもいいよね?」


「いや、まあ……敵の攻撃をける自信があるんならいいけど……」

「あのビームみたいなやつでしょ? あれってそこまで速くなかったよね?」


「原理はただの水鉄砲だからね。しっかり見てれば攻撃を見てから頭を引っ込めるくらいはできる」

「梨丸さっき敵のことをクラゲって言ってたけど……それ本当?」


「信じらんないけどマジだよ。あいつの下の方をよく見て。なんか変なのが水面まで伸びてない?」

 水色の湖面を背景にした水色のウォーターエレメンタル。その姿は大変に視認しにくく、高さや距離なども測りづらい。人間がなんとか抱きかかえられる程度の大きさの、ガラスのようなブロックの集合体。それが空中に浮いているようにしか見えないだろう。


 だがよく観察してみれば、中心部には軟体質の本体が見え隠れしている。肉体部分も半透明なのだ。そしてその本体から水中にまで、やはり半透明の触手が数本伸びている。


 少女は感心したように口をぽかんと開ける。

「本当だ……よく見たらたしかにクラゲみたい。あのガラスみたいなのって何なの?」


「たぶん貝殻みたいなもんなんじゃないかな。あれも生体素材だから地上に持ち出せるよ?」

 少年は湖側だけでなく、背後の山側にも注意をしながら答える。魔界のモンスターはいつどこから襲いかかってくるかわからないからだ。

「あの触手で水を吸い上げて……本体から下に噴射して浮いてるんだ。似たようなアトラクション見たことある。それを生き物がやっちゃうんだから、よく考えてるなあ……」


「ね。あんな生き物地上じゃ見たことないよ」

「でも……あの距離からこっちを切り裂くくらいの攻撃って、そんなのあり得るの? たしかにウォーターカッターって鉄骨とかを切断できるくらい鋭いけど、少しでも距離が空いたら水が散っちゃうし……」


「たぶん水に何らかの粘液ねんえきを混ぜてるんじゃないかって話。そうすりゃ100メートルくらいは水圧を維持できるとか。そん中にガラス片も入ってるみたいだから、切れ味が鋭いんだろうね」

「うわ、本当にウォーターカッターの仕組みそのまんまなんだ……」


「厄介なんだよねえ……相手は湖の上だからこっちからは手出しできないし。だから捕獲例もあんまりない」

「恐竜でも無理?」


「厳しいね。そもそも泳げなきゃ攻撃が届かないし、泳げても頭とか撃ち抜かれるだけだし。空を飛んでいっても、翼を撃ち抜かれて墜落してそのまま湖のモンスターの餌食。俺らの弓矢なんてあのガラスに弾かれて終わり。うちのメガロドンみたいに素早く泳げないとどうしようもないんだよ」

「え? あの子って泳ぐの速いの?」


 メガロドンのリムネはここまで、地上数十センチをふるふると浮遊しながら進んできた。その速度は人間の早歩きと大して変わらない。そして潜水してからも派手な突撃をすることもなく潜んだままだ。加えて鈍重そうな巨体。リリが疑問に思うのも無理はないだろう。


「まあたしかに今まではのんびりだったからね。基本的に水棲モンスターって地上に出ると動きが鈍るんだよ」

「あはは……今さらこんなことを言うのもなんだけど、そもそも魚が浮いてるのっておかしいよね……」

 リリは何ともいえない苦笑いを浮かべている。


「リムネも魔界の遺伝子を受け継いでるからね。なんか魔界生まれの魚って、お腹から超細かい毛が生えてるみたいなんだよね。びっしりと」

「毛」

 毛が生えているとどうなるのか——という疑問に固まる少女。


「で、無数の細かい毛で身体を支えてるから浮いてるように見えるんだって」

「え……つまりあの子って浮いてるんじゃなくて、今まで歩いてたの?」


「そういうこと」

「信じられない……肺呼吸とエラ呼吸のハイブリッドだけでもすごいのに、歩く魚……」


 後輩女子が魔界の神秘に感心している。

 梨丸も先輩として嬉しくなってしまう。


「すごいのは魔界生物の生態だけじゃないよ。あっち見て。出てきた」

 梨丸は指で位置を示した。向かって左の湖面にサメの背ビレが浮いてきた。ウォーターエレメンタルの位置からは数百メートルも離れているだろうか。

「あれメガロドン?」


「そう。そろそろ狩りの時間かな」

 少年の予告通り、巨大なサメが動きを見せた。ウォーターエレメンタルに向けて突進を始めたのだ。水面下には巨大な流線型の影が見える。


 まるで水上バイクのような勢いだ。だが機械とは違い派手な音など出さず、重厚な三角の背ビレが静かに水面をかき分ける。海のハンターは水の精霊との距離をあっというまに詰めていった。


 厩舎きゅうしゃでの計測によれば、その遊泳速度はおよそ時速100キロ。


 有効射程に入ったからか、ウォーターエレメンタルがウォーターカッターを噴射する。だがメガロドンはスイッっとカーブして攻撃を回避した。

 生物ゆえに連射はできないのだろう。敵が次弾を発射したときには、すでに手遅れだった。


 ザザアッっと水を巻き上げ、メガロドンが水面から大きく跳躍ちょうやくしたのだ。水面数メートルに浮いている敵を捕食できるほど高く。

 大型トラックよりも大きく、重く、シャープなサメの肉体が、陽光にきらめきながら凶暴な口を開ける。そのグレーと白の流線型ボディは機能美に満ちあふれていて、実に綺麗だった。


 リリは荷車の荷物を両手で握り、揺さぶった。驚愕に目が輝いている。

「ドルフィンジャンプ! あんな高さまで!」


 興奮により発汗したのか、少女の甘い香りが少年の鼻孔びこうをくすぐる。

「サメも結構飛べるんだよね。イルカの方が有名だけど」


 ウォーターカッターがむなしく水面を切り裂くのと、メガロドンがガラス質の装甲板ごと敵を噛み砕くのがほぼ同時だった。


 ◆ ◆ ◆


 メガロドンは口を半開きにしたまま、のそのそと道路上まで戻ってきた。


「よし! よくやったリムネ!」

 梨丸はいたわりの気持ちを込めて古代鮫あいぼうの鮫肌を撫でてやる。メガロドンはその名の由来であるリムネから無事帰還したが、仕留めたばかりの獲物は口の中に残ったままだ。

「——ああ、さすがにこれは食えないな。ちょっと待ってろよ」


 少年の声に反応して、サメは大きく口を開ける。


 リリがおどおどしながら、その口中に残されているものを観察する。

「さすがにサメでもガラスは食べたくないんだね」


「みたいだね。サメって頻繁ひんぱんに歯が生え替わるから、自分の歯を飲み込んじゃうことも多いみたいなんだよ。で、そうなると胃の中がズタズタになっちゃうから、堅いものは飲み込もうとしないみたい」

「ふーん、そうなんだ」


 梨丸はメガロドンの口の中に上半身をつっこみ、ガラス質の破片を回収しては革袋に入れる。

「これも結構高値で売れるんだよね。お、クラゲの本体部分もあった。こりゃ貴重だ」


 少年は臨時ボーナス気分でウォーターエレメンタルの触手やカサの切れ端部分を回収した。


 だがリリは梨丸の背中を引っ張ってくる。その美貌は引きつった笑みを浮かべていた。

「ね……ねえ、サメの口の中に入っちゃって大丈夫なの? 食べられちゃうんじゃない?」


「別に平気だよ。厩舎の人もよくこうやってるし」

 ノコギリのような歯が並ぶその奥は、ふたり揃って入れる程度のスペースがある。バスは数十人の乗客を乗せて走るが、メガロドンは大型バスよりも大きいのだ。


「ええ〜……本当に大丈夫なの? 工場とかでも、機械の整備をしてたら安全装置をつけ忘れててプレス機が降りてちゃって、作業員が……っていうニュースもたまに見るし……」


「心配性だなあ。こいつなんて俺の妹みたいなもんなんだから。ちょっとあーんさせて歯をみがいてやるようなもんだよ」

「ん……んー? そんな感じなの?」

 リリは困惑していた。おそらく彼女はペットを飼ったことがないのだろう。人間と動物の間にも情は通じ合うのだ。こればかりは経験してみなければわからない。


 少年はメガロドンの口から怪我をしそうなものをあらかた摘出してやった。続いて脇腹の切り傷をチェックするが、すでに傷は塞がりかけている。派手な戦闘を控えれば、調査だけならこのまま続行できるだろう。

 少年は荷車を押し、魔界の探索行を再開した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る