魔界の生態系2

 喫茶店のテーブルで、ひとつのノートを向かい合ったふたりで共有するのは難しい。リリは己の空になったバスケットやカップを梨丸の方に寄せてきた。そうしてテーブルスペースを確保してから隣の席をポンポンと叩く。

「じゃあ、まずは情報を整理したいから梨丸こっち来て」


「ああ、うん」

 しかし少年は店内をそろりと見回し、躊躇ちゅうちょしてしまう。リリとは頻繁に自室内でやりとりをしているが、人目のあるところで美人の隣に座るというのは緊張してしまうのだ。しかし時間が無限にあるわけではない。魔界の移動手段は徒歩一択なので、遠出をするなら早めに出発しなければならない。


 少年は観念して、少女の隣の席に移る。この喫茶店は昭和レトロな内装だが、テーブルの広さは現代基準だ。なのでふたりが並んで座ると肩が触れ合うほどには狭い。女子のいい匂いが漂ってくる中、梨丸はテーブル上のノートと端末に集中する。


「それじゃあまず最初に、この乙姫とは別に最強種がいたんだよね」

「なんか描いてあったよね……ああこれだ」


 少女は鞄から魔界のモンスターイラストの画集を出し、パラパラとめくる。魔界最強種全8体が揃ったページではなく、それよりも後ろにある補足ページだ。そこにはかつての最強種【フェリアスフェンリル】が描かれている。


 かなり巨大なオオカミだ。比較用に置かれた身長180センチの人物像よりも全高がある。大型犬という範疇はんちゅうをかなり逸脱していた。梨丸は実物を見たことはないのだが、もし対面したら生き残れる自信がない。


 すなわち、出会ってしまったら絶対に逃げられない敏捷びんしょうなハンター。


 フェンリルは全身の毛が鋭く逆立っていた。そして動物であるにもかかわらず、首飾りのようなものを身につけている。そのネックレスに付いているのは宝石などではなく動物の牙だ。

 梨丸の持っている初版ではこれが最強種勢揃いのページに載っていたのを懐かしく思う。


「そうそうこいつ。フェリアスフェンリル」

「フェリアス……ってことは鉄?」


「そう。体毛が鉄みたいに硬いっていうかたぶんまんま鉄。サンプルを触った限りではね」

「そんなことってあるの……? 生き物でしょ?」

 リリはその輝かしい金髪を指でよじっていた。もちろんその髪質は非常に滑らかだ。


「あるんじゃないかな……貝殻が鉄になるってやつも聞いたことがある。極端に鉄分を摂ってて、それが毛に集中してんじゃないかな。こいつが厄介なんだよね。たぶんうちのティラノがかぶりつこうとしても口の中に毛が刺さるから嫌がるだろうし」

「そうだよね、食べたときにチクッとするのは嫌だもんね」


「しかも超素早いらしいし、牙が特にヤバいんだよ」

「乙姫ちゃんがその牙を折って、ネックレスに加工したってこと?」


「いや、たぶん違う。これみて。乙姫とフェンリルが首から下げてるのはたぶん同じ物だよ。魔界にも生態系があるから、もっと昔の個体の牙なんじゃないかな。それを宝物みたいに代々のフェンリルが受け継いでたと」

 梨丸は画集を乙姫の個別ページに戻す。小中学生とおぼしき少女——手紙によればイロコという名前の少女が首から下げているのは、確かにフェリアスフェンリルと同じもののように見える。違いは紐の長さくらいだろうか。

「生態系かあ……そうだよね、モンスターっていっても一応傷つけば血を流す生き物だからね」


「うん。で、北欧神話に出てくるフェンリルってのは、主神のオーディンを丸呑みするくらい強い。魔界のこいつもそれくらい強かったから【フェンリル】ってモンスター名が付けられたんだろうけど」

「この牙が凄いんだっけ?」


「そうなんだよ。なんていうか一撃必殺武器だね、これは」

「一撃必殺……」

 リリは微妙な微笑を浮かべてしまう。マンガやゲームでしか聞かないような言葉が急に出てきてしまったからだろう。だが魔界探索を長くやっていればそれは信じるしかないのだ。証拠も魔界に残っている。


「いやマジで。ゲームみたいだけどホントにそうなんだよ。骨でも岩でも貫通するヤバい牙。実際かぶりついて穴が空いた大木とか岩とか魔界に残ってるし。モノを砕くんじゃなくてり抜くみたいな妙な攻撃痕こうげきあと。防ぎようがない。逃げるしかない。でも敵は足が超速ちょうはやくて逃げらんない。食いつこうとしても毛が刺さるから恐竜ですら嫌がる……っていう本当にやりにくい相手だったんだよ」


「それを……このちっちゃい乙姫ちゃんが倒したの?」

 リリは半信半疑の目を画集のページに落としていた。推定身長140センチ程度の少女などフェンリルならひとのみみだろう。


「それねえ……手紙にもあったとおりこの女の子は『イロコ』って名前で、乙姫は別にいるらしいけど……そっちの本体が激強げきつよなんだろうね」

「その乙姫ほんものの目撃情報はないの?」


「今のところないね。ていうかこのイロコちゃんが乙姫だって今までずっと思われてたくらいだから。それくらい情報がない。戦ってる姿すら誰も見たことがない。マジで謎の最強種なんだよ。だから今回のヒロからの手紙は、初めての生きた情報」

「そうなんだ。動機がエッチだからってあんまりキツく言うのも悪いかな」


 そう言うとリリは優しくほほえんだ。

 その美しい横顔はいつ見ても飽きない。梨丸としても同業者の名誉回復ができたようで嬉しくなる。


「うん、まあお手柔らかに頼むよ……それでさ、魔界最強種が秘宝を丸ごと譲り渡すのってあり得ないと思わない? この間のことを考えるとさ」

「……そうだよね。すごく大事な預かりものって言ってたよね」

 ふたりは、それを魔界最強種の1体・ゴールデンゴルゴーンから直接聞いているのだ。


「だから竜宮城の乙姫もフェンリルとやり合ってぶっ倒して、縄張りをブン取って……それで秘宝の【フェンリルの牙】を奪ったんじゃないかな。それをこのイロコちゃんに持たせてあると」

「こんな大きいオオカミを倒せるって……本体はどんなモンスターなんだろうね」


「それこそ超巨大な恐竜か、海に住むドラゴンか、大蛸おおだことかクラーケンタイプか……でも全然目撃情報がないんだよね」

「そんな正体不明の相手をこっそり探るのって……」


「無理だろうね」

 不安を帯びたライトグリーンの目が、少年をしっとりと見る。梨丸は慎重に慎重を重ねるからこそ、今まで生き延びてきた。そして魔界最強種には人間と同等かそれ以上の知性がある。こちらの姿が敵にバレてしまえば要心され、対策を立てられてしまう。


 なので少年は敵を探るときは常に隠密行動を心がけてきた。そのときに連れて行く恐竜あいぼうも、中型犬サイズのヴェロキラプトルだ。

 だが今回の敵は湖の孤島に住む。魔界には無人機も望遠鏡も持ち込めない。しかも島は木々に覆われていて外部から内情を探るのは不可能だ。


「——だから今回はこっちも堂々と姿を晒して、現地調査するしかない。相手にもこっちの行動がバレるけど、謎の敵にぶっつけ本番で突撃するのは死にに行くようなものだからね」

「大丈夫かなあ……」


「大丈夫だよ。最初は河口湖の対岸から『鵜の島』を探ってみるだけ。この湖にゃ色々モンスターが潜んでるから、その中の1体が本物の乙姫って可能性もある。水棲モンスターは地上に出るとかなり行動速度が下がるって特徴があるから、たとえ乙姫に見つかってもちゃんと逃げ切れるよ」

「さすが。そこまで見越してたんだね」


 リリが梨丸の肩をパシッと叩いてくる。心地よいスキンシップだ。この金髪美少女が隣にいれば、他の女子に魅了される心配はない。謎の少女イロコに催眠術でも使われない限り、ヒロのように“竜宮城”へ招待されてしまうこともないだろう。


 梨丸は魔界の地図に今回の探索ルートを書き込んむ。富士五湖のひとつ・本栖湖の北西トンネル部分から出発して、河口湖の北岸までを徒歩で駆け抜けるのだ。モンスターを要心しながらなので、片道5〜6時間は見ておいた方がいい。


 調査に時間をくってしまっても、さいわい河口湖近辺は乙姫の縄張り。他のモンスターが近寄ってこないのだ。水辺に近寄りすぎなければキャンプもできる。

「俺は臆病で慎重が売りだからね。全部の魔界最強種を倒すまで死ねないよ。じゃあそろそろ魔界探索に出発だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る