魔界の生態系1

「ってなコトがこの前あったんだけど」

 魔界探索士のともえ梨丸なしまるは語り終えると、ハムチーズクレープを頬張った。


 魔界最強種の1体・竜宮城の乙姫の縄張りに乗り込んで、未帰還者となってしまった探索士。その顛末は業界内でのホットコンテンツだ。


 対面に座る新人探索士のリリ・F=花野井はなのいはレタスサンドを手に持ったまま、艶のある唇をあんぐりと開けていた。意欲に燃える新人として、場数を踏んでいるはずの先輩があからさまな罠に引っかかったのに呆れているのだろう。

「……なんでそんな怪しい誘いについて行っちゃうの? その人もベテランの探索士なんだよね?」


 4月中旬のある朝、ふたりは山梨県やまなしけん鳴沢町なるさわまちの喫茶店で朝食をっていた。自炊が苦手な梨丸の朝食は近所の喫茶店でモーニングというのが定番である。最近同じマンションに越してきたリリもその習慣にならっているというわけだ。


 魔界突入前に縁起の悪いことを話してしまったかと、梨丸は少しだけ後悔した。だが先輩の失敗例が積み重なればこそ、自分たち後輩が安全を確保できるのだと思い直す。


 梨丸は18歳。まだこの魔界探索業界では新人だ。特に秀でた頭脳もルックスも持ち合わせていないが、慎重さと臆病さを武器に今まで生き残ってきた。踏んできた場数も決して少なくない。

 効率を重視する少年は仕事に洒落っ気を持ち込まない。なので作業着は実用一辺倒で、ポケットが多く生地も頑丈。デザインは二の次だ。


 対してリリは同じ18歳でありながら頭脳明晰、容姿端麗。父親であるフランス人学者の血を色濃く受け継ぎ、さらさらの長い金髪と大きなライトグリーンの瞳が人目を引く。ノーメイクのままでもルックスはアイドル級だ。魔界探索用の小洒落たワンピースを着こなしている。


 そんなきらびやかな彼女と同棲同然の生活を送っているなど、今でも梨丸は信じられない。そんなことを思いながらリリに見蕩れてしまったあと、話を続ける。


「まあベテランって言っても20代前半だけど。でもやっぱ獲物を目の前にしちまうと、普段冷静な人でも判断力が狂うんだよ。特にこないだ俺たちが【魔界の秘宝】を手に入れたばっかだからそれに触発されてさ」

「ああ……後輩に負けてられるかー、って?」


「そうそう」

「やっぱり男子ってそう思っちゃうものなの? 年下の梨丸がお宝を手に入れたから、自分たちはもっと凄いことをやってやろうって」


「うーん。まあ男のサガとは言えるね」

「なんか責任感じちゃうなあ……」

 リリはサンドイッチを手にしたままうつむいてしまった。長いまつげが目元に影を落とす。そもそもがリリの依頼によって梨丸は魔界最強種の1体に戦いを挑み、そして生還したのだ。自分が原因の一端でもあると少女も気に病んでいるのだろう。


 魔界とは、富士山の地下大深度に存在する謎の空間である。そこにはゲームや漫画でしか見ないような想像上の幻想生物モンスターが生息しているのだ。世界でここにしかいない生き物なので、その素材は非常な高値で売れる。


 だが、モンスターは決してザコ敵ではない。乱獲らんかくしてボロ儲けするなど不可能だ。


 なぜなら、魔界には『生物、もしくは生物素材以外が出入りできない』という不思議な制約があるからだ。なので兵器は持ち込めない。


 日本刀を手にした一般人ではイノシシやオオカミにすら勝てるかどうか怪しい。しかも魔界のモンスターは地上の野生動物などとはケタ違いの怪物揃いである。近代兵器も現代医療も無い魔界では、人間など弱小生物なのだ。


 そして今回、魔界探索士のヒロこと勝山かつやま義弘よしひろが魔界に存在する河口湖内の『の島』に乗り込み、帰ってこなかった。魔界最強種の縄張りに取り残されてしまったら、生存は絶望的だ。


 名前くらいなら知っている人間が『未帰還者』になってしまった。梨丸としても何とかしてやりたいという気持ちは湧いてくる。

 少年は魔界の帝王を倒すため、魔界最強種が持つという魔界の秘宝を集めているのだ。竜宮城の乙姫は謎多き最強種だが遅かれ早かれぶつかる相手である。


 梨丸は決断し、気合いを込めてうなずいた。

「だから俺としちゃ、次に狙うのはこの乙姫にしようかと思うんだけど」

 リリは美しい弱り顔で訊いてくる。

「罪悪感から? でもそれって良くないんじゃないの? 敵の情報もほとんどない中で……慎重なあなたらしくないよ」


「いやいや、もちろん今日このまま突っ込むとかはあり得ないよ。しっかり偵察して、情報収集して、行けると思ったら行くだけで」

「それならいいけど……」

 リリはサクサクとレタスサンドを半分ほど食べてから、半眼になり声のトーンも落としてくる。


「——やっぱ梨丸も和服の可愛い女の子に『おいでませ』とかやられたら、ふらふらついていっちゃうの?」

 少女の顔には、男子に対する軽い失望が浮かんでいた。


「いや……そりゃないよ。だって相手の外見年齢は小中学生でしょ? 助けてあげようとは思うかもしれないけど、誘惑とかはナイよ」

「ふーん。そーですか。でも大人の探索士の人は引き寄せられちゃいましたね。魔界では日本の法律が適用されないからここぞとばかりにエッチなことでもしようと思ったんですかね女であるワタシには理解できませんけど」


「待った待った、考えすぎだよリリ……」

「考えすぎなんですかねー。駅の階段とかでも男の人は結構な割合でスカートの中を覗こうとしてくるっていうのは実体験なんですけど。慣れてない中学生の子とか結構危なっかしいし。逮捕されたら人生終わるのによくやるなーって思いながらよく通報してたけど、男子って魔界でも変わらないんですねー」


 ヒロと同じスケベ根性の持ち主だと思われてはたまらない。梨丸は半笑いを浮かべながら、ぬるくなったコンソメスープを飲む。


 リリほどの美人なら男からの視線に晒されることも多かっただろう。丸出しの欲望というものに良い感情など持っているはずもない。

 魔界というリスキーな空間で、リスクよりも性欲を取るようなのが魔界探索士の先輩であるという事実——少女としての感想はただひと言『キモい』なのだろう。それは死者をとむらうよりも強い感情だということが不機嫌顔からうかがえる。


 リリには話さなかったことだが、ヒロの書いた手紙には前段階があった。だがその内容はあまりにも欲望に正直で、とても世間へ公表できるものではない。なので梨丸は事前にヒロの友人ショウこと大石おおいししょうと話し合った結果、非公開とすることに合意した。


 実際ヒロは鵜の島に渡ったあと、竜宮城の乙姫にセクハラ以上のことをしたと書かれていた。日本でやれば確実に捕まるようなことも、魔界でなら法律を気にせず好きにできる——という内容が手紙の1通目である。


 竜宮城の乙姫は非常に可愛いらしいのだが、モンスターだ。魔界のモンスターには人権も動物愛護法も関係ない。なにをしても罪には問われないというのは探索士の常識である。


 そしてヒロは“竜宮城”で楽しいひとときを過ごしたあと、何らかの危険を察知した。もはやそこから出られないと悟ったのだろう。そのときに書かれたのが手紙の公表されている部分だ。


 梨丸はお冷やを飲み干してから息をつく。

「たしかにヒロっていう男はどうしようもないけどさ。でも竜宮城の乙姫に関する生きた情報をこうして届けてくれたんだよ。それには感謝すべきじゃないかな」


「なんだか素直に感謝できないなあ……」

 そう言いつつも、リリは苦笑していた。フランス系とはいえ、死者を悪くは言わないという日本人敵価値観は身についているのだろう。


 梨丸は安心し、テーブルにノートを広げる。

「湖の支配者には海の王者をぶつける。今日はそのための下調べに行こうと思う。うちのメガロドンも魔界の水を恋しがってるみたいだし」

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