第2話 メガロドン対竜宮城の乙姫——魔界の全てを貫くもの

竜宮城に行ってみれば

 竜宮城の乙姫おとひめが島の船着き場にぽつんとたたずむ——その姿は神秘的で、吸い寄せられそうな魅力があった。


 乙姫の年齢はおそらく小学生から中学生の間。長い黒髪が背中の半ばほどまで伸び、肌は驚くほど白い。太陽光の届かぬ魔界に住んでいるのなら、その白さも納得といえよう。


 少女はキラキラときらめく浴衣を着ていた。魔界のモンスターの中にはクリスタルをまとう個体もいる。乙姫の衣服もそれと同じなのかは、距離があって判然はんぜんとしない。


 富士山の地下大深度に存在し、富士山周辺と同じ地形を持つ謎の空間——魔界。

 河口湖かわぐちこを北から見れば、昼の光りが湖を照らし、その背景には雄大な富士山がそびえ立つ。そんな湖の中には、緑によってこんもりと覆われた小島がある。富士五湖の中にある唯一の島『の島』だ。


 湖に浮かぶ小さな島。その船着き場に浴衣姿の少女が独り寂しげに立つ。その情景はどこか非現実的で、謎の感動を男たちに与えた。

 魔界最強種の中でも謎が多い1体・竜宮城の乙姫は実在したのだと。


 魔界探索士のショウとヒロは幼げな最強種にずっと目を奪われていた。引き連れたトリケラトプスはのんびり湖の水を飲んでいる。周囲に水棲すいせいモンスターの気配はない。


 しばらくすると、乙姫は小さな手を小さく左右に振って、こう言ってきた。

「竜宮城においでませ。そちらに亀を寄越よこします」

 鵜の島の船着き場から男たちのいる河口湖の北岸までは、せいぜい2〜300メートルしかない。透き通るように綺麗な声は、充分に届いた。


 やがて乙姫の言葉通り、1匹の大きな亀が水面に浮かび上がり、男たちの元へと近づいてくる。その亀は魔界の凶悪なモンスターとは違い、人間に接近しても襲いかかってくることはなかった。のそのそと砂地に上がり、ゆっくりと方向転換する。その仕草は『乗れ』と言っているかのようだった。


 探索士のひとり、ヒロは下ろしていたバックパックを背負うと友人に告げる。

「俺ちょっと行ってみるわ」


「はあ? 馬鹿お前、死にに行くのか? ありゃ竜宮城の乙姫だ。魔界最強種の」

 もうひとりの探索士、ショウは当然のように反対した。しかしヒロは強気な表情で足下の亀を指さす。

る気があるんならもっとヤバいモンスターをけしかけてくるだろ。見ろよ、この亀なんて全く襲いかかってこねえ。それどころか俺らにケツまで向ける始末だ。敵対心ゼロだろ」


 のんびり水を飲んでいるトリケラトプスも、たしかにその亀を敵とは認識していないようだった。しかしショウとしては嫌な予感しかしない。

「竜宮城に行った奴らは、結局誰も帰ってこなかった。自殺行為だ。今日はもう帰るぞ」


「まあ待てって。よく見てみろよ」

 ヒロは友人の言葉に耳を貸さず、対岸にいる乙姫を指さした。神秘的な少女は首首飾りを下げている。ネックレスというにはあまりにも無骨な物体——それはある動物の牙だ。

「——あれって【フェンリルの牙】じゃね? つまりあのお嬢ちゃんをうまいこと説得できれば、俺らも魔界の秘宝を売って大金手にして人生クリアってわけだ。ナッシーだってうまいことやって秘宝を手に入れたみてえだしよぉ……俺にもようやくチャンスが巡ってきたんだよ」


 フェンリルとは北欧神話に登場する、神なる獣である。その戦闘力は主神オーディンを丸呑みにするほどだ。もちろん魔界と神話のフェンリルは全く関連性がない。


 欲に目がくらむのは、魔界探索士として良くない徴候である。ショウは友人の肩をわしづかみにして向き直らせた。

「馬鹿、目ぇ覚ませ! 可愛い見た目に騙されてんじゃねえ! 相手はフェンリルをぶっ倒して縄張りをブン取ったやつだ! 殺されるぞ!」


 だがその説得も、長年連れ添った友人には通じなかったようだ。ヒロはショウの腕を払いのける。

「だから殺す気があんならとっくにやってんだろ。案外あのガキはただの人間で、地上に帰りたがってるって可能性もあんじゃねーの?」


「それならあのガキが亀に乗ってこっちに来るはずだろ」

 正論は、時に人をいら立たせる。

「うるせえ、俺は行くぞ! 止めんじゃねえ!」


「マジかよヒロ……」

 腐れ縁を長年続けていれば声の調子だけでわかる。ヒロは本気なのだと。人知を超えたマジカルアイテム【魔界の秘宝】は莫大な価値がある。ほんの欠片かけらでも入手できればその売値は1000億円単位だ。


 ヒロは大きな亀にまたがる。すぐに亀は砂地を歩き、湖に身を乗り出す。水の中からモンスターが襲い掛かって来やしないかとショウはヒヤヒヤしながら見ていたが、そのようなことはなかった。この魔界河口湖は乙姫の縄張りなのだから、そこに住まうモンスターたちも主人の意向に従っているのだろうか。


 やがてヒロは対岸の鵜の島に上陸すると、謎の少女・乙姫に手を引かれ、木々生い茂る島の奥地へと消えていった。


 ◆ ◆ ◆


 島には木々が林立しているので、中の様子は全くうかがえない。建物があるかどうかすらも不明だ。

 しかたなくショウは座りながら周囲を警戒しつつ、手持ちの菓子パンを食べ、トリケラトプスを撫で、時間を潰した。


 なので、その瞬間は目撃していない。


 ヒロが島に渡ってから1時間ほどしたころ——湿った砂地に、カサッとなにかが落ちてきたのだ。


 紙飛行機だった。ショウはそれを手に取る。モンスターが折り紙遊びをするとは思えないので、それは島に行ったヒロが飛ばしたものなのだろう。風に乗ってうまいこと200メートルほどを飛んできたのか。


 その紙飛行機にはなにか文字が記されているようだった。だが折られたままでは読めないので、ショウはその紙を広げていく。そこにはこう書いてあった。


【にげろ

 りゅうぐうじょうからは 出られない おれはここまで

 あの子はイロコ 乙姫は別にいる

 すぐにげろ ぜったいここにくるな

 たんまつのパスワードは■■■■■■

 地上にもどったら おれのデータ全部消しといて】


 にげろ、という文字列を見た瞬間、ショウの全身から冷や汗が噴き出る。

 ヒロはこれをどこから飛ばしたのか。島の船着き場には誰もいない。すぐに立ち上がって周囲を見渡しても、人影はない。モンスターすらいない。ただ隣にトリケラトプスが寝そべっているだけだ。


 ショウは大きく息を吸ってから叫んだ。

「ヒロ! どこだ! 返事をしてくれ!」


 だが島からは何の反応も返ってこない。

 代わりに、湖の中から長い首が立ち上ってくる。それは巨大な恐竜——首長竜だった。頭と首からざあざあと水を落としながら、水棲巨獣がゆっくりと陸地へ迫ってくる。水の中に引きずり込まれては、怪力を誇るトリケラトプスでもひとたまりもない。ショウは泣く泣く決断した。


 手紙にあるとおり竜宮城からは出られないのなら、もうヒロは死んだも同然だ。せめて友人として、地上に保管してある彼の端末から秘蔵データを削除してやらねばならない。


 ショウは河口湖の北岸から逃げ出した。湿った砂地をザクザクと駆け、その後ろをトリケラトプスがドスンドスンと付いていく。ろくな準備もせずに魔界最強種へ挑もうなど、あまりにも無謀だったのだ。

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