そして新たなる冒険へ

 梨丸はゴールデンゴルゴーンから得られた情報を同業者と共有した。だがそれはあくまで、言葉によって得られた魔界の仕組みや掟に関するものだけである。戦闘で得られた攻略法などは語らなかった。


 企業秘密をライバルに漏らさないのは当然である。他の同業者も秘密のひとつやふたつは握っているだろう。それはお互い様であり、非難されるべきことではない。


 そしてなにより、万能細胞を譲ってくれたゴルゴーンに対する敬意があるからだ。


 ◆ ◆ ◆


 2040年4月中旬のある日、リリが梨丸の部屋を訪れてきた。


 鳴沢町は元々『村』だっただけあり、家といえば戸建てだった。だが最近では魔界関連の従事者向けにマンションも建っている。梨丸の部屋もそんなマンションの一室にあった。


 2DKの一室は魔界用品の物置替わりに使っているので、残るひと部屋に生活臭が集中している。ベッドにローテーブルにテレビ。ソファなどという上品なものは置いてない。地味目な私服はハンガーラックにかかる分で全てである。魔界仕様の作業着で過ごすことが多いからだ。カラーボックスにはゲームが少々と、あとは魔界関係の資料が並ぶ。


 リリは同じマンションの別の部屋に引っ越してきていた。同棲はさすがに親から許可が下りなかったらしい。適度な距離感というのも大事なのだろうと少年も納得する。


 今まではお互いプライベートな話をする余裕もあまりなかった。そんなことをする暇は、全てゴールデンゴルゴーン攻略のために使っていたからだ。


 梨丸はローテーブルにカフェモカ入りのマグカップをふたつ置いてから座る。そしていい機会だと気になっていたことを訊いてみた。

「そういえばリリってこの春から大学じゃなかったっけ。通わないでいいの?」

 少年は大学に行ったことがないので詳しい事情はわからなかった。


 少女は魔界生物の画集をテーブルの上に置き、少年の隣に行儀よく座ってから口を開く。

「しばらくは大学を休学してやりたいことをやっていいって、親に許可もらったの。魔界のフィールドワークに専念しようかなって思ったから」


「へえ、そういうのっていいんだ……入学が遅れると就活とかで不利になるんじゃないの? よくわかんないけど」

 リリがカフェモカをひと口飲む——その何気ない仕草で地味な室内が華やいで見える。改めて真横から至近距離で見てみると、顔面の造形の良さが際立つ。それだけで幸せを感じてしまう己のコストパフォーマンスの良さに、梨丸は内心苦笑した。


「なんかね、フランスだと大学の入学を遅らせるのとか、社会人になったあとで大学に入るとか普通なんだって。日本だと大学が就職斡旋所みたいになってるけど、向こうだと純粋に学びたい人が入る場所だ……ってお父さんが言ってた」


「そういう考えもあるんだ。そういえばリリのお父さんってどんな人なの?」

 リリはうっすら白い息を吐くと、湯気の立つマグカップを置いた。記憶を検索するかのように、不確かな視線が天井と壁の間を行ったり来たり。言いにくいことなのだろうか。そして曖昧あいまいで可愛らしい笑みを少年に向けてきた。

「あれ? 言ってなかったっけ?」


「うん。何か聞く暇がなかったっていうか精神的余裕がなかったっていうか……」

 少女は何やら気まずそうに目線をあちこちに向けていた。だが意を決したようにえへへと笑いながら膝に両手を置く。

「ワタシのお父さんね、地質学者なの。魔界専門の」


「魔界専門……?」

 魔界の生物系専門の学者ならそれなりにいる。生物素材は地上に持ち出せるため、研究もやりやすいからだ。しかし石や土は外部に持ち出せない。そのため研究するなら魔界に自ら乗り込む必要がある。そのようなリスクを冒してでも魔界の神秘を追求しようというのは、よほどの変わり者だ。


 リリは話しにくそうに話を続ける。

「お父さんって、何ていうか……地質オタクでね」


「地質オタク」

 それは初めて聞く言葉だった。石を見てなにが面白いのかは全く理解できない。ひと口にオタクといっても色々あるものだと、少年は世間の広さを思い知る。変人や物好きという言葉を使っては少女との関係が悪化する恐れがあったので、それは飲み込んだ。


 リリは居たたまれないのか、綺麗なライトグリーンの目を伏せていた。微妙に上半身をくねらせるその仕草は妙に色っぽい。

「だからワタシもお父さんに影響されて魔界に興味を持つようになって……でもワタシの知識欲を満たすために梨丸に近づいたって思われたらなんかで……話す機会がなくて」


「いや、全然いいじゃん。利用するとかされるとかそんなの考えなくていいよ」

 妙なことを気にするものだと、梨丸は小さく笑ってしまう。魔界への好奇心なら梨丸も人並み以上に持っている。リリがその仲間だと思えば嬉しくもなるものだ。

「——あー、だから最初魔界に入ったとき、石ころにこだわってたんだ」


「だって家にお父さんの取ってきた石ばっかり置いてあるから……ワタシも魔界の地図は全部頭に入ってるんだよ? 生物系は苦手だけど」

 頬をうっすらと赤くしながら、少女は弁明する。


「そういえばリリのお父さん、なんて名前なの? あとで紹介してよ。俺も挨拶くらいはしておかないと」

 たしかに梨丸は、エルフの万能細胞という『人生を売っても買えない』ほどの高額品を譲渡した。だからといって、それでリリという少女の人生を好きにしていいわけではない。


 彼女はそのような献身的覚悟を決めているようだが、少年としては人間をモノ扱いするのは不可能だ。

 しかし、非常に近しい仲になったのもまた確か。なので人として、男として、相手の両親に挨拶のひとつくらいはしておかねばならないだろう。


 リリは安心したように微笑すると、画集のページをパラパラとめくる。

「大らかだなあ……あなたは。これ、お父さんの名前」


 それはとある漫画家が描いた、魔界のモンスターイラストをまとめた画集だ。そのビジュアルが業界のスタンダードという扱いなので、発行から数年経つにもかかわらずよく売れているらしい。


 少女は画集の奥付を開いた。著者や出版社名が書いてあるページだ。可憐な指が示すそこには、こう書いてあった。


【取材協力:ジャン=ルイ・フランクール博士】


 梨丸はその名前とリリの顔を見比べた。

「ええ?! すげーな、この画集に名前が載るとかビッグネームじゃん! でもなんで名字が違うの?」

「世間に名前を出すような学者だと、結婚しても表記上の名前を変えないことがあるんだって。その方が読者にわかりやすいからって。ペンネームみたいな感じなのかな」


「なるほど」

 リリはペンを手に取り、メモ帳にアルファベットを書く。


Lilianeリリアンヌ Francœurフランクール-Hananoiハナノイ.】


 うつむいたことで金髪が垂れた。それをかき上げる仕草が、さりげなくも可憐だ。

「それに【はなのい】って名字はフランス語だと発音しにくいの。何か【アナノワ】みたいになるから通じにくいし、Francœurっていうのも日本語だと発音しにくいし……だからワタシも日本向けではリリ・エフ花野井はなのいで、フランス向けではリリ・フランクールって名乗ることにしてるの」


「ああ、国際結婚だとその辺大変なんだ」

 リリは何だか恥ずかしそうにしながら、本のページを戻してしまう。

「はい、おしゃべりはここまで。今日は今後の予定を立てるために集まったんでしょう?」


「いやまあ、そうだけど」

「前回の戦いでわかったけど、見た目が華奢きゃしゃだからって弱いとは限らないもんね。可愛い見た目に騙されないようにしないと」

 美少女との雑談は何時間でもしていたくなるものだが、梨丸もプロの魔界探索士だ。思考を切り替えて紙面に向かう。


 そこは魔界最強種全8体が集合しているページだ。魔界でこれらを目撃したらすぐ逃げるように——という警告ポスターは有名である。探索士としてその姿を記憶していなければ、すなわち死あるのみ。


 だが梨丸は違う。次なる魔界最強種を倒しにいくのだ。

 ゴールデンゴルゴーンとは引き分けで終わったが、今はエルフの万能細胞がある。これを使えばどんな怪我でも一瞬で治るという。顎の骨を砕かれたティラノサウルスも、すぐに戦列復帰できるというわけだ。


 リリと出会う前の自分なら、魔界最強種に勝てるなどとは夢にも思わなかっただろう。

 しかし少年は経験を積んだ。幸運に助けられたとはいえ、少なくとも相打ちまにではもっていけたのだ。そして万能細胞を入手した。


 これはゲームで例えるなら、回数限定の完全回復魔法を手にしたに等しい。


 貧弱な人間が恐竜の力を借りて、それでようやく狩れる魔界のモンスター。その頂点である最強種を倒すなら、人知を超越したマジカルアイテムに頼るしかない。


 他の最強種が持つという魔界の秘宝も手に入れれば、戦闘はもっと楽になるだろう。そしていずれは魔界の帝王・ドラゴンの憤激王に手が届くようになるはずだ。


 ——次は負けねえ。

 梨丸はそう覚悟を決めた。


 イラストはサイズ順に並んでいる。見るだけなら個性的で美しい魔界最強種たちを、少年は1体1体目で追った。個体それぞれには短い説明書きも添えられている。


 ◆ ◆ ◆


 和服を着た乙女は小学生程度にしか見えない。着物はラメ入りのように輝いている。

【湖内の島へ人間を招き入れるという、謎多き魔性の童女——竜宮城の乙姫おとひめ


 両腕をまっすぐ前に伸ばす、中華の道士服を着た男。その身体は半透明だ。

【目の前に居るようで居ない、市街地を埋め尽くす幻惑の首領——蜃気楼しんきろうキョンシー】


 女性の身体に鳥の手足をもつ怪物。その最上位個体は全身にクリスタルをまとっている。

五重塔ごじゅうとう内のご神体を守護するという、光輝の天女——ハイアリンハルピュイア】


 クリーム色の体毛に覆われた、毛玉のごとき雪男。その手には羊皮紙の巻物スクロールを持つ。

【出会った人間に問答を仕掛け、不正解者はそく撲殺ぼくさつという山岳の賢者——禅問答ぜんもんどうイエティ】


 上半身がエルフの女性で、下半身が長いヘビ。半透明のローブが非常にセクシーだ。

【万能にして無限の回復能力を持つ、美貌の女王——ゴールデンゴルゴーン】


 八本脚の先端全てが鍵の形をしている異形の巨大烏賊いか。触手で宝箱を抱え込んでいる。

【魔界の湖に居ながら世界の全てをる、宝箱の番人——クラウストルムクラーケン】


 十二単じゅうにひとえを着こなす古風な女性。問題は、彼女がUFOに腰かけた巨人だということ。

【妖怪たちの平和な里に君臨する、優しくも恐ろしい闇夜の女帝——妖怪総大将カグヤ】


 堂々たる体躯たいくの白き竜。喉元のどもとに1枚だけ黒い逆鱗げきりんを持つその姿は、見間違えようがない。

【体が警告色へと変わったときに全てを粉砕する、魔界の帝王——ドラゴンの憤激王レイジロード


 ◆ ◆ ◆


「さて、次の獲物はどいつにするかな」

 簡単に勝てそうな敵もいれば、どう考えても勝てそうにない怪物もいる。誰もが見た目からは想像もつかない能力を秘めているのだろう。

 まだ見ぬ冒険に、梨丸は思わず顔がにやけてしまった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 第1話 ティラノサウルス対ゴールデンゴルゴーン——人生を売っても買えないもの【完】

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