仏界入り易し、魔界入り難し1

 妹リアの検査入院も終わった4月中旬、リリ・F=花野井はなのいは実家である千葉と山梨を往復する生活を送っていた。


 田舎に住む少女とその家族が穏やかな日常を取り戻していた、ある日。

 リリは渋谷の【魔界エクストリーム株式会社】を訪れていた。


 渋谷駅から徒歩数分にあるそこは、近年急成長した魔界関連企業だ。魔界でれたモンスター素材の解体・加工・流通・販売などから、恐竜や猛獣のための厩舎や牧場の経営までを手がけている。

 かつてゴールデンゴルゴーンに幼なじみを皆殺しにされ、それと引き換えにエルフの万能細胞を手に入れた元女探索士の会社としても有名だ。


 新進企業らしい派手なデザインの本社ビル入り口をくぐり、受付に名前を告げて、社長室に通してもらう。


 かつて『これはあんたの人生を丸ごと売っても買えないような貴重品だ』と追い出された社長室を、今度は晴れ晴れとした気分で訪れることになるとは。当時の打ちひしがれていたリリでは想像もできなかった。


 社長はにこやかに出迎えてくれた。

「おやまあ、前とは違ってずいぶんいい顔になったじゃないか」


「お久しぶりです、そのせつはお世話になりました」

 リリはひとつお辞儀をしてから、促されるまま豪奢ごうしゃな応接セットに座る。


 以前来たときは室内に目を配る余裕などなかったが、気付いてみれば随分派手なインテリアだった。壁際には鹿や山羊やぎの頭骨が飾られている。日本刀を展示するようにして、黄金に輝く角も壁に掛かっていた。ユニコーンのものだろう。


 社長用デスクの両サイドには、まるで守護神や仁王像のごとくモンスターの剥製が立っていた。


 1体は、ヒトの女性の手足が鳥になっている怪物——ハルピュイアだ。目立った傷もなく大きく翼を広げた美しい立ち姿だった。恐竜が獲物を無傷で仕留めるのは無理なので、おそらくは破損箇所を修復しているのだろう。


 もう1体はあまりも巨大な男性の頭部だった。頭だけで高さが1メートル以上はある。妖怪【釣瓶つるべおとし】の剥製だ。


 目立たない位置にはボディガードが2名立っていた。以前来たときも居たのだろう。もしあのときリリが社長から万能細胞を無理矢理奪おうとしても、それは絶対に成功しなかったというわけだ。そんなことをしなくてよかったとリリは安堵した。


 客人が自慢のコレクションを存分に堪能するのを待っていたのか、社長は話し始める。

「で、巴くん、やったんだって? ゴールデンゴルゴーン」


「あの……それは」

 リリは言いよどんだ。

 新人魔界探索士・巴梨丸がゴールデンゴルゴーンを追い詰め、エルフの万能細胞を入手したというのは公式に発表されていない。だが同業者の間では噂になっているようだ。


 女社長は快活に笑う。

「ま、この業界狭いからね。たとえ外部には出なくても、情報っていうのは業界内に回ってくるものさ」


「はあ……」

 しかし少女としてはそれを直接口にするわけにはいかない。

 そんなことは察しているとばかりに社長は話を続ける。

「アタシとしちゃ気になってたんだよ。前回あんなことを言って追い返した手前ね。でもあの少年が見事依頼クエスト達成コンプリートしたようでなによりだよ」


「ええと……あのときはお世話になりました。梨丸を紹介してもらえなかったら、たぶん妹は助からなかったと思います」

 リリは頭を下げた。業界に詳しくない人間が手当たり次第探索士に依頼しても、きっとろくなことにはならなかっただろう。その点では彼女に感謝していた。


「まあアンタみたいに綺麗なお嬢さんをさ、ろくでなし共の群れに放つのは気が引けたからね。『手付金てつけきん代わりだ』とかいって散々非道ひどい目にったあげく、チンピラ探索士には逃げらる——なんてことがニュースになったら後味が悪い」


 頭を上げつつ、リリはいてみた。

「梨丸のお父さんのことについては……業界内では有名なんですか?」

「そうだね。可哀想なことだからあまり口にはしないけど」

 たしかに、肉親がモンスターに食われたなどとはあまり話題にしてほしくないだろう。それでも少女は知りたかった。


「彼はお父さんの遺品や遺骨を回収するために頑張ってました。おまけに凄い無欲で。たぶん妹の治療に使った万能細胞だけでも何千億円分かになるんですけど……彼は大して見返りを受け取ろうとしないんです」


「そりゃそうさ。魔界富士のてっぺんに登る手段なんて、まさに『人生を売っても買えないもの』だからね。魔界探索で得た素材やカネは、全部その目的を達成するため。アイツにとってカネなんてその程度の意味しか持たない。『家族のため』っていう言葉は、アンタなら理解できるんじゃないかい?」


「ええ……凄く重い言葉です」

「ならそっとしといてやりな」

 そう言うと女社長は思い出したように含み笑いをする。


「——それにしても……アンタみたいな美人さんを前に、アイツがなにも要求しない? あの年ごろの少年なんてサルみたいなもんだろうに……てっきりどぎつい要求でもされたんじゃないかとお姉さんは心配していたんだけどねえ?」


 あからさまなセクハラ発言にも、リリは反論しようという気にはならなかった。相手は間接的な恩人なのだ。だからといって全てをけに打ち明けるほどの間柄でもない。なので少女は有耶無耶うやむやにした。

「いえ……それは……まあ、男子ですのでそういう面もあるかと」


 リリは【人生を売っても買えないもの】を譲ってもらった。人生そのものを彼に捧げても足りないくらいだ。しかしそのような契約は2040年現在の日本では違法であり、無効である。

 梨丸は最初から本音を語っていたのだ。いつか病院の駐車場で聞いた言葉——。


【だからリリも俺に命を懸けさせるのを『心苦しい』とか『申し訳ない』とか思わないでいいよ。ゴールデンゴルゴーンなんて俺にとってただの通過点なんだからさ】


 この言葉は正真正銘の本音だったのだ。ストイックで、慎重で、目的に向けて一直線。決して無謀ではないが、しかし時には勇気をふるう。個人の信念で、個人的な欲望や恐怖心を乗り越えた少年。


 上から目線の依頼は受けないが、同じ魔界に降り立った者へは敬意を払う——誠実な人。


 リリにとって尊敬できないはずがない。

 梨丸という少年に対して、単なる尊敬以上の感情が湧いてくるのは止めようがない。

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