ティラノサウルス対ゴールデンゴルゴーン3

 重傷を負った野生動物が死ぬまで戦いを挑んでくるケースは滅多にない。例外は、群れや家族を守るときだ。そうではない通常の戦いの場合は、怪我をしたら大人しく身を引く。現代技術で強力な調教が施されているとはいっても、そのような獣の本能までをも押さえ込めるわけではない。


 なのでティラノサウルスはこれ以上戦わないだろう。そして魔界最強種もそうであってくれと、梨丸は天に祈った。


 そんな中で最大の懸念けねんは、敵が自分自身にエルフの万能細胞を使ってしまわないか、ということだ。

 あらゆる怪我や病気をやすという魔界の秘宝。ここまで追い込んでおきながらそんなことになれば、もはやチェックメイトだ。


 ——これがゲームなら、せっかく追い詰めたボス敵に完全回復されて全滅……なんてことは笑い話になるけどさ。

 だがこれはゲームではない。現実の世界で、幻想生物と地球生物が殺し合っているのだ。


 梨丸は苦笑しながらリリに手を差し出した

「槍貸して。リリはいつでも逃げられるようにしといて」

「……なにをするの?」

 少女は槍を手渡しながら聞き返してくる。不穏な空気を感じ取ったのか、少年のことを案じているようだ。


「相手が回復する前にどうにかする。もしなんかあったら鞄だけでも投げるから、それを受け取ったらすぐ逃げて」

 厳しい叱咤しったをライトグリーンの綺麗な目に込めて、リリは梨丸の腕を引いてきた。

「ダメ、それならワタシがやる。家族のために命をけるのは——」


「それこそダメだよ。ここは野生の世界。相手にナメられたら終わり。こっちがいつでも相手にとどめを刺せるって覚悟を見せないと、要求すら通せない。武器の扱いは俺の方が慣れてる」

「でも……!」


「大丈夫、死ぬつもりはないよ。だって俺は臆病で慎重だからね」

 梨丸はそう言ってほほえむと、槍を手に敵の元へゆっくり歩み寄る。


 一般的な狩猟の世界でも『手負いの獣ほど要心してかかれ』というのは常識だ。野生動物は生命力が高い。内臓が飛び出たまま暴れ回り、人間を殺傷することもある。


 しかも相手はこちらを素手でたやすく葬り去れる魔界最強種だ。絶対に油断はできない。敵の痙攣けいれんはすでに治まっている。いつ起き上がって襲いかかってくるか、外見からは判断しようがない。


「ゴールデンゴルゴーンさん! 提案があります!」

 梨丸は敵の間合いの外から声をかけた。

「——俺はともえ梨丸と言います。こちらのリリさんから依頼を受けて、エルフの万能細胞を取りに来ました。その目的は先ほどお話ししたように、妹さんの命を助けるため!」


 ゴルゴーンが頭を起こした。サコッシュを片手で押さえながら透明感のある声を発してくる。

『だからこれを、殺してでも奪い取ると?』


「いいえ! 本当は話し合いで譲ってもらえればいいと思っていました。ですがあなたはそれが大事な預かりものだという」

『そう、これはこの世に奇跡を実現するもの。数が少ない貴重品です。その使い道は姉たちが決める』


「それを聞いた今、こちらが勝っても全部を奪い取ろうなんて思いません。ただ、彼女の妹さんを助けられるだけの分量があればいいんです」

 交渉は弱気になったら負けだ。たとえ不利な状況であっても、切り札を隠し持っていると思わせなければ相手より優位に立てない。

『姉に叱られるくらいなら、ここであなた方全員を始末した方が気楽というものだわ』


「それなら、こちらも命がかかっている以上必死で抵抗してみせます! こちらにはまだ槍も、弓も、毒もある。ティラノサウルスだってまだまだ戦える。さっきの手応えから見るに、あなたの内臓はひとつかふたつ損傷しているはず。あまり派手な動きはできないと推測しますが、いかがでしょう!」


 毒があるというのはハッタリだ。そもそも人類と同じ毒が通用するのかは確証がない。扱いも危険なので持って来なかったのだ。


 ゴールデンゴルゴーンは軽く息を吐き、どこか遠い目をしながら空を眺めた。

『私はかつて、似たようなことを言う人間に万能細胞を与えたことがあります』


「与えた……?」

 相手の雰囲気が変わったので、梨丸は慎重に言葉を選ぶ。

 それは仲間を犠牲にして手に入れたという渋谷の社長のことではないだろう。するとそれ以前、おそらく厚労省が確保している分のことか。


『その者は、家族を助けるために魔界を探索していると言っていたわ。人間の技術では手の施しようがないらしい、自動車事故という現象からの回復を願って』


「事故……」

 魔界は明らかに地上の地形をそのままコピーしたような空間だが、自動車までは再現されていない。地下空間に住まうモンスターは車を知らないので、自動車事故を想像できないのだろう。


 ゴルゴーンは片手を開いた。

『話を聞いた私は哀れみを感じて、万能細胞を与えてしまったわ。そのときの分量は、だいたい手のひら大かしら』


「そんなに……!」

 現在知られているエルフの万能細胞で最も大きい物は、小指の爪サイズだ。その1センチ四方に満たない切れ端が、時価5000億円相当である。

 全ての医療を超越するマジカルアイテム——それが手のひら大の分量となると、どれほどの値が付くのか梨丸には想像も付かない。


『ですが……やがて多くの人間たちが、万能細胞を求めて我らの元に押しかけてくるようになったわ。命を救うためではなく、純然たる金銭目的で』


「それ以前は、万能細胞については知られてなかったんでしょうか?」

『今まではずっと静かに過ごしてきたわ。魔界を訪れる人間たちも学術目的ばかりだったから、見逃してきたというのに……私はその理由を知りたくて、探索士を殺す前に話を聞いたのです。そして判明しました。私が万能細胞を与えた相手は、余った分を他人に譲り、財産を得たと』


「……それが厚労省の確保してる分か」

 だがそれの入手経路や分量は非公開だ。あくまで予想でしかない。


 思い出話を終えると、ゴルゴーンは少年に厳しい目を向けてきた。

『私は姉に叱られ……それ以来、万能細胞の管理をより厳格にしました。これを狙って人間が来るなら、ためらわずに殺すと決めたのもそのころね』


「魔界探索士たちが欲深いってのは否定しません。ですが信じてほしい。俺も彼女も、命を助けるために命を張ってここまで来たんです。決してカネのためなんかじゃありません。カネのために命を捨てるなんて馬鹿げてます」

『どうかしら……人間はすぐに嘘をつく。嘘をついて私の鞄に手を入れ、万能細胞を盗んだ男もいる』


「それは……」

 幼なじみの女性に万能細胞を投げて寄越した探索士のことだ。

『この魔界は、欲深い人間を追放することで生まれた、我らの楽園。それを踏みにじる者は死をあがなうことになるでしょう』


 あまりにも多くの新情報が出てくる。梨丸は頭の処理が追いつかず、言葉が少なくなってしまう。だが相手はもはやこちらを敵として見ていないような感じがした。気を抜かず交渉を続けるべきだ。


「でも俺は、別に魔界を踏みにじろうと思って探索士をやってるんじゃありません。父がドラゴンに食われて富士山の山頂まで連れていかれてしまったので、せめて遺品でも取り返したいと思っているんです」

『まあ……』


「知っているでしょうか。その相手は俺たち人間が【魔界最強種】と呼んでいるうちの1体、ドラゴンの憤激王です」

『なるほど……あの白竜はくりゅうが……』

 最強種同士で顔見知りなのだろうか。共通の知り合いを発見したかのように、ゴルゴーンの金色の目は柔らかみを帯びた。


「ですから、俺は魔界のモンスターを無駄に殺して回ろうなんて考えてません。あくまで目的は魔界富士を踏破するため。魔界の帝王とまともにやり合うため」

『ただの人間がなんと無謀な』


「これは、魔界最強種に親を奪われた人間の反撃です。狙いは魔界の頂点ただ1体。人知を超えた魔界の秘宝がなければ、人間がドラゴンに勝つなんて不可能です。ですので俺が狙うのは魔界最強種だけ。度を超えた反撃はしません。他のモンスターを手にかけるのは、こちらが襲われた場合だけだと誓えます」


『……』

 ゴールデンゴルゴーンは黙ってしまった。梨丸の真意を測っているのか。動物は人間とは異なる感覚器を持つ。目の動きや汗の臭いから、こちらの考えていることを探り当ててもおかしくない。


「今回は引き分けとして、必要分だけを受け取ったら帰ります。どうか信じてもらえないでしょうか。彼女の妹さんのために、エルフの万能細胞を譲ってください。これ以上の戦いは望んでいません!」

 射程距離外にいるとはいっても、敵を前にして頭は下げられない。なので梨丸は誠意を込めて声を張った。


 その気持ちが通じたのか、ゴルゴーンはゆっくり起き上がると、ため息をつきながら微笑を浮かべる。その強靱きょうじんな両腕はだらりと垂れ下がり、攻撃の意思は見られない。

『本当に……珍しいわねあなた……私のようなエルフとゴルゴーンの融合種など、地上には存在しないのでしょう? 私を見つけた人間たちは皆、高く売れそうだと目の色を変えていたわ』


「融合種!?」

 梨丸が初めて聞く情報だった。そもそも純然たるエルフやゴルゴーンという生物種はまだ発見されていない。この広い魔界富士の未調査区域に、まだ見ぬ生物たちが生息しているのだろうか。少年は興奮に目を見開いた。


『いいでしょう。持っていきなさい。あらゆる怪我や病気を癒やす、魔界の奇跡を』

 ゴールデンゴルゴーンは小さな鞄を開き、中身を取り出した。


 それはまるで移植用の人工皮膚ひふのようだった。薄く、半透明で、ピンク色のそれが幾層いくそうにも折り畳まれ、サコッシュに収納してあったのだ。教科書1冊ほどの分量はある。時価総額はもはや天文学的数値だろう。


「スゲえ! そんな大量に……!」

 ゴルゴーンは、指先で万能細胞をちぎり取る。貴重品というわりには計量をしているようにも見えない。

 もちろんそんなことを口にして気分を害してはまずいので、梨丸はただ無言で見守っていた。


 目の前の魔界最強種は決して友好的な雰囲気ではなかった。しかしこちらを殺しに来るような敵意も感じられない。ただ同じ生物として、家族のためにという心が通じたのだろう。


『これだけあればいいでしょう。所有権はあなたに設定しておきます。誰もこれを奪えない。憐れな娘に使うか、将来の目的のために取っておくか……好きにしなさい』


「所有権?」

 デジタルコンテンツならいざ知らず、ただの切れ端になにが設定できるというのだろうか。だが相手の気が変わってしまう恐れがあるので、梨丸は下手な質問を控えた。

『受け取ったら早く帰りなさい。姉たちが戻ってこないうちに。姉たちは私ほど人間に理解がない』


 梨丸は、いつ殺されるかわからないという緊張感の中——砂地をザクザクと踏みしめ、相手の目の前まで歩いていく。こうして人間をおびき寄せ、近づいてきたところを殺すという可能性も否定できない。だが、近づかなければ受け取れない。


 妹を想うリリの献身がなければ、この結果はなかった。

 強敵に挑むティラノサウルスの闘争心がなければ、この結果はなかった。

 最後に梨丸が捨て身の突進をしなければ、この結果はなかった。


 その全てがかみ合ったことに加え、相手の年長個体がいなかったという幸運も味方をしてくれたのだろう。その上での引き分け。


 梨丸は、エルフの万能細胞を手に入れた。

 それは指先でまめる程度の軽いひと切れ。だが何よりも重い、人の命を救うためのものだ。


「ありがとうございます……」

『同じことが二度あるとは思わないことね、坊や。もうここには来ない方がいいわ』

 ゴルゴーンの爪は真珠のようなつやがあり、長くて綺麗だと——少年はこのとき初めて気付いた。

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