ティラノサウルス対ゴールデンゴルゴーン2

 暴君竜の口には凶悪にして頑丈な歯がずらりと並んでいる。加えてその噛み合わせの力——咬合力こうごうりょくは数トンにも及ぶ。これは地球上のあらゆる生物を超越する圧倒な破壊力だ。


 人間も、槍を使えば標的に数トンの打撃力を加えることができる。だがそれは攻撃命中インパクトの一瞬しか維持できない力だ。槍は刺さって止まる。それ以上は体重分の貫通力しか生まない。


 だがティラノサウルスが相手を噛み砕くということは、それの威力を数十倍にして、敵が死ぬまで延々と行えるのに等しい。人類が全体重をかけた槍のひと突き——それ以上の威力を持つ歯が、巨大なあごには数十本並んでいるのだから。


 ゴールデンゴルゴーンの上半身は、左腕を残してティラノサウルスの口中にあった。鋭い歯が敵の肩から腹部にしっかりと食い込んでいる。身をよじって暴れ回っているが、しかしネックの強烈な顎の筋力は獲物を離さない。


 ゴルゴーンは残った左手でネックの顎を殴り飛ばす。だが体勢が崩れているので、いつか見せた驚異的な威力は発揮できていない。

 パンチというのは大地という支えがあって初めて打撃技たり得るのだ。足腰の入っていないパンチは『手打ち』と呼ばれ、見た目ほど威力は無い。


 ヘビの尻尾の先端が大きく弧を描き、上空から肉食恐竜に襲いかかる。だがネックは蛇女の下半身の中ほどを踏みつけ、その勢いを殺す。ティラノサウルスの後頭部を打ち付けた必殺の鞭打べんだは、そのおかげでそれほどの威力にならなかったようだ。


 だがもんどり打って両者は倒れた。上半身が口の中にあって狙いが付けられなくとも、攻撃の勢いが削がれようとも、最強種は伊達ではないのか。


 それからはただ乱闘だった。

 ヘビの尻尾が手当たり次第ティラノサウルスの巨体を打つ。恐竜は負けじと口にくわえた獲物を大きく持ち上げ、砂地に叩きつける。ドバンという炸裂音と共に湿った砂が撒き散らされた。


 ゴルゴーンは左手で何度も何度も恐竜の顎を殴り、ネックはお返しとばかりに敵の長い下半身を10トンの体重で踏みつける。


 こうなってはもはや人間の付け入る隙は無い。援護攻撃をしようにも恐竜あいぼうに当たってしまう恐れがある。下手に網などを投げて、それにティラノサウルスが足を取られて転んでしまってはまさに本末転倒だ。


 梨丸は戦いの行方を見守りながらリリにも注意を促す。

「次の武器を用意しといて。弓か槍どっちか」

「……うん」

 少女は巨獣と怪物の戦いに見入っていた。


 無理もない。地上にいては絶対に見られない、超生物同士の殺し合いだ。しかもその行方ゆくえに家族の命がかかっている。祈りを込めて見守るしかないだろう。


 やがてヘビの下半身がシュルシュルと恐竜の首に巻き付き、締め上げる。

 だがティラノサウルスも敵の上半身を引き千切らんと歯を食いしばり、大きく顔を上げる。


 ミチミチという肉の断裂だんれつする不気味な音が魔界に木魂こだまして——。


 怪物たちは両者とも攻撃の手を緩めた。

 ヘビの尻尾による拘束が緩み、恐竜は咀嚼そしゃくすることなく獲物を吐き出した。


RRRWWWWWルルルウウウウウ…………」

 弱々しい声を上げながら、ティラノサウルスが横倒れになってしまう。


 ——マズい……!

 梨丸は全身が縮み上がるほど恐怖した。ネックの口が飽きっぱなしだったのだ。度重たびかさなる敵の打撃によって、骨にヒビでも入っているのだろうか。最強の武器であるみつきが使えなければ戦力は大幅に低下する。


 残る攻撃手段は尻尾や踏みつけだが、重傷を負った恐竜がそのまま戦いを続けてくれる可能性は低い。厩舎の企業秘密だという調教で、あらゆる猛獣は人間の指示を聞いてくれるようにはなった。だが本能的な恐怖をねじ曲げてまでは戦ってくれないのだ。


 もしゴールデンゴルゴーンが普通に立ち上がってきたら、このままティラノサウルスは殺されてしまうだろう。その次は自分たちだ。


 今のところ、敵は仰向けに倒れていた。美しい身体にはくっきりと歯形が付き、そのふくよかな胸は激しく上下している。やはり相手は魔法など使えないただの生物だ。全力で戦えば息も切れる。負傷すれば血も出る。


 だが、まだ生きている。


 梨丸は歯を食いしばった。

「ヤバいな……」

 この一瞬で人生が決まる。生き延びるか、殺されて終わりか。その決断は非常に重い。いくつもの可能性が脳裏に展開される。


 ——あのサコッシュの肩紐を切り取って逃げるべきか?

 その中にはエルフの万能細胞が入っている可能性が高い。だが鞄を手に取って逃げるということは、敵の攻撃圏内に入るということだ。サメの歯の槍はどちらかというと刺突武器であり、細かいものを切り裂くのには適していない。ならば使うのはナイフだが、それは相手の手もこちらに届くということだ。一撃でももらえば終わる。


 鞄の中身を悠長にまさぐっても同じ結果が待っているだろう。接近できる前に尻尾攻撃で殺される可能性も高い。


 ——それともネックがこのままとどめを刺してくれるのを待つべきか?

 だが、様子を見る限りそうなる可能性は低そうだ。


 ——ならこのまま逃げるか?

 相棒のティラノサウルスを見捨てて。何の成果も得られないまま。


 それはやりたくなかった。

 今は千載せんざい一遇いちぐうのチャンスだ。ゴールデンゴルゴーンは言っていた。『姉たちが戻ってこないうちに、早く立ち去るといいわ』と。おそらくは上位個体である姉には逆らえないとも。


 今この機会を逃せばゴルゴーンは人間に対する認識を改め、用心深くなる可能性がある。この『下っ端』だという末っ子個体がエルフの万能細胞を管理することがなくなり、より強い姉たちが縄張りを警戒するようになるかもしれない。


 地球の最強生物ティラノサウルスをぶつけてもこれなのだ。それ以上の強敵が出てきた場合、勝ち目は限りなく薄くなる。


 ならば、多少のリスクを冒してでも、今ここで万能細胞を手に入れておかねば。

 少年の心臓が激しく鼓動する。口から荒い息を吐いた。


 リリはうろたえていた。

「梨丸……どうする? どうするの!?」


 少女が焦るのも無理はないだろう。ティラノサウルスが敵を倒してくれなければエルフの万能細胞は手に入らず、妹は助からず、自分たちはここで死ぬのだから。


 しかし人間には恐竜ほどの打撃力は出せない。槍やナイフで接近戦を挑み、敵の内臓をズタズタに引き裂ければ勝算はある。だが相手は人間ではない。素手でドラゴンを叩きのめすような魔界最強種なのだ。


 これが人間相手なら、もみくちゃになりながらも何とかとどめは刺せるだろう。だがモンスターはこちらを一撃で殺傷するほどの能力を秘めているのだ。なので魔界探索士は臆病者ほど生き残る。


 自らの手でモンスターを仕留めようとする勇者思考の人間は、みな死んでいった。

 だが、いざというときに勇気を振りしぼらねば、勝利が掴めないのもまた確か。


 ゴールデンゴルゴーンはこちらのことを見てすらいない。敵はあくまでティラノサウルスだけであり、人間などいつでも殺せる弱小生物という扱いなのだろう。


 なので万能細胞を譲ってくれというお願いも通じなかった。あくまで魔界最強種が上位存在で、人類はそのを受ける下位存在でしかないのだ。


 まずは相手を交渉の場に引きずり出さなくてはならない。相手が自分の命と万能細胞をトレードしようと思うほど、こちらが脅威の存在だと見せつけてやるのだ。

 弱者は交渉の場にすら立てない。ここで覚悟を見せなければこの先はない。魔界の主役は恐竜とモンスターで、人間など脇役でしかない。だが。


「おおおお!」

 梨丸は槍を構えて突進した。長い棒の先端にメガロドンの歯を装着した原始的な武器。海の王者の歯がモンスターにも通用するのは実践済みだ。人間など戦力外と認識している魔界最強の知的生物だからこそ、この突撃は予想外だったのだろう。


 ゴールデンゴルゴーンがこちらを見た。その目は不審に彩られている。弱小な人間がなぜ武器を手に突撃してくるのだろうか、と。蛇女は長い尻尾を振り上げた。だが倒れた状態からそれを稼働させるには少しの時間がかかる。


 槍は直進する武器で、鞭は弧を描く武器だからだ。


 梨丸は砂を蹴り上げて跳躍した。そして槍に全体重をかけて、ギザギザ歯の穂先をゴルゴーンの左胸部——その傷口に押し込んだ。恐竜あいぼうが皮膚を裂き、肉をえぐったその傷穴に。


AAAAAAAHHHアアアアアアアアアア!!』

 魔界最強種は絶叫した。


 同時にヘビの尾が襲いかかってくる。梨丸はすぐに槍から手を離し、ヘッドスライディングの要領で後方に飛び込んだ。一撃即死の鞭打は少年の足をかすめてから砂地を叩き、砂を派手に巻き上げながら大地を揺らした。


 武器を持って逃げることに執着していたら、派手に飛び散っていたのは砂ではなく少年の肉体だっただろう。


「ぬああああ! 死ぬうううう!」

 少年はすぐに起き上がり、敵を警戒しながらひたすら逃げた。アスファルトの道路に比べて、砂地のなんと走りにくいことか。


 そして槍を突き刺したときの手応えを思い出す。それは明らかに何かを潰した感触だった。ゴルゴーンの内臓配置が人類と同じなのかはわからないが、心臓や肺に相当する器官を破壊できたのだろうか。


 あれだけ苦しんでいたのだ。頑丈なのは骨格や筋肉や皮膚であり、内臓は急所なのだろう。

 ゴルゴーンは突き刺さった槍を引き抜くと、そのまま湖に向けて放り投げた。


 これでもうリーチのある武器はリリの持つ槍1本だけだ。

 弓では正確に傷口を射貫くのは無理だ。少年も少女もそこまでの達人ではない。矢がまだ数本残ってはいたが、牽制けんせい用にしか使えないだろう。


 残るはサメの歯のナイフだが、たとえ手負いとはいえ魔界最強種に接近戦を挑むのは死を意味する。少年はたった今その恐怖を味わったばかりだ。

 先ほどの突撃は、少なくとも素手での反撃を受けないという安心感があってこそ。槍のリーチの長さに助けられたからできた蛮勇の一撃。あのときに脚でも掴まれていたらすでに死んでいただろう。


 素手でドラゴンを殴り飛ばす相手にナイフで挑めるほど、梨丸は命知らずではない。


 ゴールデンゴルゴーンの下半身は不規則にのたうち、上半身は痙攣けいれんしていた。

 ティラノサウルスは口が半開きのまま横倒れになり、大きく呼吸をしている。

 どちらも立ち上がる様子はない。


 あとはもう願うだけだ。どうかこれで勝負が終わってくれと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る