ティラノサウルス対ゴールデンゴルゴーン1

 魔界は試合場ではなく殺し合いの場だ。観客の気分を盛り上げるリングパフォーマンスも、ドラマティックな前口上まえこうじょうも無い。魔界探索士に率いられた恐竜の戦いは、ただゴーサインが出た瞬間に始まる。


 梨丸はティラノサウルスのほほを強めに叩き、その勢いでゴールデンゴルゴーンを指さした。

「行け! ネック!」

 命令と同時に、獰猛どうもうな足跡を砂地に刻み、巨獣が突撃した。

「——あとリリはこっち。離れないと危ないし邪魔になる」


 少年は少女を手招きした。恐竜に『行け』と命じてすぐリリに『戻れ』と指示をしたら、ネックが混乱してしまう。なので命令語は単純に、人間への指示はやや回りくどい言葉遣いにする必要があるのだ。


 ティラノサウルスの脚は人間の身長よりも長い。そんな巨大生物にとって敵までのおよそ20メートルなど近接戦の距離だ。

 暴君竜の疾走形態は頭と尻尾が地面と水平になる。その全高はおよそ4メートルにも及ぶ。人間ではその頭部に攻撃を加えることすら難しいだろう。


 だが敵は人の上半身にヘビの下半身を持つ異形の怪物。攻撃のリーチは恐竜に負けていない。最大の武器であるヘビの尻尾がふわりと高く持ち上がり、それが一気に振り下ろされる。ドラゴンをも叩き潰した超重ちょうじゅう鞭打べんだだ。


 ネックはその軌道を目で追い、ただちに攻撃方法を修正する。その巨体からは想像も付かないほど素早いサイドステップで、下降してくる敵の尻尾の先端を回避した。


 空振ったゴルゴーンの尻尾は砂地を存分に打ち、爆発的に砂を巻き上げる。

 それとほぼ同時に、ティラノサウルスは頭を振り、腰をひねり、極太の尻尾に遠心力を乗せて叩きつけた。


 ビチィ! という生もののぶつかり合う音は、梨丸の耳を一時的に麻痺まひさせるほど鋭かった。


 ゴルゴーンは以前、ユニコーンの突撃を食い止めた。ヘビの下半身という接地面積の広さがグリップ力を生むのだろう。

 だが全身のバネをかせた10トンの尻尾テイル攻撃アタックは、魔界最強種を大いに後退させた。


 ゴルゴーンは両腕でのガードが間に合っていた。ヘビの下半身がザザザザと砂地の表面を削り、後ずさっていく。まるで見えない大型車両がき殺そうとしてくるのを、必至に押しとどめているかのようだ。


「よし!」

 梨丸は叫んだ。


 やはりゴルゴーンの異様なまでの膂力りょりょくは骨格限定だったらしい。関節を固定してドラゴンの踏みつけに耐え、関節を固定して放つアッパーカット。上下に作用する力は、己を大地に固定してしまえば最大限の威力を発揮する。


 だが真横からのふき飛ばしは、大地の支えという助けが得られない。ユニコーンの突進を受け止められても、ティラノサウルスからの強打を喰らっては無事でいられない。それは純然たる体重差だろう。


 やはり相手は生物だ。魔界最強種とはいっても、物理法則に支配された生物なのだ。肉体部分が損傷するのは確認済み。ティラノサウルスの鋭い歯なら、その胴体部分を食い破れる可能性もある。


 梨丸は今までにないほど高揚していた。魔界最強種と直接対話して手に入れた、今までにない情報の数々。これは絶対に持ち帰らねばならない。


 エルフの万能細胞は誰かからの預かりものであるということ。

 それは自分自身にも使えないほど貴重であること。

 無償の愛には理解を示すこと。


 これらは他の最強種に挑むときにも必ず役に立つだろう。探索士仲間と共有できれば対策も進み、より魔界での生存率も上がるはずだ。

 おそらくは、かつて最強種たちと直接対話した他の探索士も、似たような情報は入手できたのだろう。そこから生きて帰ることができなかっただけで。


 梨丸は何としても生還しなければならない。

 リリの妹を救うため。

 そして魔界富士の山頂に登り、親の遺品や遺骨を探すため。そのためには他の魔界最強種も倒せるくらいに強くならねばならない。


 こんなところで負けてはいられないのだ。


 戦いの様子を見てみれば、両者はにらみ合ったまま足を止めていた。

GRRRRRRグルルルルルル……」

 恐竜はうなり、怪物女は嘆息する。

『ドラゴンの坊やよりは、用心深いわね……』


 ティラノサウルスとゴールデンゴルゴーンは、先ほどと同じように約20メートルの距離をおいてお互いの出方をうかがっていた。


 基本的に生物は無謀な突撃をしない。必ず相手を観察し、最も生き残れる確率の高い手段を探り、いけると思ったら初めて攻撃に移る。


 野生動物同士がこのような膠着こうちゃく状態におちいった場合は、そのまま戦いが終わることもある。お互いに決定打を持たないと理解し合うと、無益な争いだと判断し、平和的撤退を選ぶのだ。


 だがここは無法の世界ではあっても野生の世界ではない。恐竜には人間が付いているのだ。このような状況を打破するために、魔界探索士は武器を持っている。


 強力無比な恐竜が敵の注意を引きつけているからこそできる、弱小生物の小細工だ。敵がこちらを狙ってくればそれでいい。ティラノサウルスが攻撃をする隙が生まれるのだから。


 梨丸はすぐに準備をする。それを見てリリは訊いてきた。

「ねえ、ワタシもやった方がいい?」


「頼む。にかわの矢を使う。合図で同時に打つ」

「わかった」

 このひと月で、リリは武器の扱いを訓練してきた。短い言葉でも意思の疎通は充分だ。


 本来は、木々とロープを利用して敵の動きをある程度封じる予定だった。

 だがゴルゴーンと出会ってしまったのは、よりにもよって周囲になにもない水際の砂地。ロープを自分の身体に固定して敵の動きを封じようとすれば、こちらの身体が引きちぎられてしまうだろう。


 梨丸は膠入りの革袋を裏返して、矢の先端に装着する。液垂えきだれしないほどドロドロの内容物が袋にべったりとこびりついている。命中したときに、粘度ねんどの高いゼラチン質が相手の自由を奪う補助武器だ。顔面に命中して視界を奪うのが最上だが、手足や胴体に当たっても問題ない。


 綺麗好きなゴールデンゴルゴーン相手なら、純粋な嫌がらせにもなるだろう。


 ティラノサウルスに当たらないよう、敵をサイドから狙う。

 敵がこちらを殺しに来れば、ティラノサウルスが敵に背後から襲いかかれるという絶好の立ち位置だ。なのでゴルゴーンはこちらに注意を向けつつも、恐竜と対峙せざるを得ない。


 矢を放つ合図は声以外で行う。敵に気取られない方法でなくてはならない。

 梨丸は無言のまま、視線を動かさない程度に軽くうなずく。


 1回、2回、そして3回目のうなずきと同時に少女は矢を放った。梨丸はまだ矢を保持したままだ。


 ゴルゴーンは横目で矢を見ていた。粘着質の物を先端に付けるというこちらの会話も聞こえていただろう。敵はのけぞって飛び道具を回避した。


 それが梨丸の狙い目だった。モンスターの反射神経はおそらく他の動物とそう変わらない。飛んでくる矢を素手で叩き落とすなど、よほど集中していなければできないはずだ。恐竜の出方をうかがっていなければいけない都合上、矢への対処は片手間になる。ならば回避行動は、ティラノサウルスを見たまま上半身でのスウェーになるだろう。


 その回避方向がどちらかを見た瞬間、矢をった。

 少年の射出した膠矢ゼラチンアローは相手の側頭部に命中、髪の毛に付着した。


『おのれ……!』

 ゴールデンゴルゴーンはすぐに手でその接着剤をぬぐおうとする。


 梨丸はガッツポーズと共に雄叫びを上げた。

「行けネック! ドラゴンをぶっ飛ばす怪力でも、そのネバネバはぶっ壊しようがねえ!」


GOAAAAAHHゴオアアアアアアア!」

 瞬発力あるティラノサウルスの脚力が砂を巻き上げ、20メートルの間合いを一瞬で詰めていく。


 ゴルゴーンの右手は強力な粘着物質によって毛髪と絡み合っていた。おそらくは髪の毛を引きちぎれば右手もフリーにできたはずだ。しかし身だしなみに気を遣う美女としてそれはのだろう。どんな生物にも好みというものがあるのだ。


 それゆえ怪物は、左手だけでガードするか無理矢理右手も使うか、一瞬だけ躊躇ちゅうちょした。長い尻尾を加速させるには時間が足りない。


 狩りの主役は恐竜。人間の直接攻撃でモンスターを倒そうとするのはただの無謀。魔界探索士の攻撃はただこの一瞬の隙を作るためにある。


 歯と骨がぶつかり合う。甲高くも重々しい衝撃音が水辺にとどろき——。

 地上の王者ティラノサウルスの大口が、魔界最強種の上半身に食らいついた。

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