アガペー——魔界に響く姉妹の愛2
ゴールデンゴルゴーンと遭遇したときは最初に説得をしてみたいと、梨丸は事前に提案を受けていた。
それは出発前日、リリのホテルの部屋でお互いに荷物のチェックをしていたときだ。少女はバックパックの中身をベッドの上に並べながら質問してきた。
「そういえば、ゴールデンゴルゴーンって何体かいるんだよね?」
「うん。正確な数はわからないけど」
梨丸は鞄の中身を床に並べながら耳を貸す。
「それって全部女子なの?」
「聞いた話だと男子は確認されてないみたいだね」
「やっぱり神話のゴルゴーンみたく、三姉妹なのかな?」
「そういう可能性はあるよね。もっと多いかもしれないけど」
「そうするとだよ?」
リリは荷物整理をやめて、ベッドの縁に腰を下ろした。そうなると、潰れてわずかに広がった太ももと、細やかなふくらはぎの対比が際立つ。
「——相手もワタシの話を聞いてくれるんじゃないかな? モンスターにも姉妹愛があればだけど」
「話って……妹さんのためにエルフの万能細胞が譲ってくれって?」
梨丸も適当な椅子を引っ張ってきて少女の前に座る。
「そう。だって人間にも興味を持ってて、おいでおいでってするんでしょ? それって話を聞きたいからじゃないかな?」
「んー、でもほぼ全員そのあとで殺されてるんだよ? 危険すぎる。魔界のモンスターは何らかの理由があって人間を敵視してるんだから」
梨丸がそう言うと、リリは少しうつむいてしまった。しかしその顔はヤケクソになって人生を投げ捨てる人間のものではない。もっと前向きな、死中に活を見出そうとしている力強い表情だ。
「危険なのは理解してる。でも……もし話を聞いてくれたら、戦わないでも万能細胞が手に入るでしょ?」
「話を聞いてもらえなかったら君が死ぬよ?」
「勝てなかったら死ぬのは同じ。だったら最初は話し合いの可能性に賭けた方がいいと思ったの。うまく行けば無傷で目標達成。もしワタシが死ぬか重症を負っても、そのあとで梨丸が敵を倒してくれればそれでいい」
「魔界最強種の前に立つっていうのはとんでもないリスクだよ? あの細い腕でもドラゴンをぶっ飛ばせるんだから、君なんか一撃でバラバラだよ」
「でも、全体的に見ればこっちの方がリスク低いでしょ?」
「可能性としちゃそうだけどさ……」
梨丸はボトルの水を一気に飲み干して、考えた。
動物には感情がある。泣き、笑い、驚き、はしゃぎ、不注意で失敗もする。それは犬も猫も恐竜も同じだ。
言葉を話す魔界最強種なら、その心理は人類と同等かそれ以上だとみて間違いないだろう。意思の疎通をした上で生還できたという例もある。
しかしそれはあまりにも低い確率だ。言葉を話すとはいえ、魔界最強種も凶悪なモンスターであることに変わりはない。対話を試みたほぼ全員が、その圧倒的なパワーの前に為す術なく散っていった。餓えたライオンと檻の中で一晩過ごす方が、まだ安全といえるだろう。
ゴールデンゴルゴーンは魔界最初の分岐点を縄張りとしているだけあり、最強種の中で遭遇例は最も多い。ある程度は会話も可能で、姉妹個体がいるのも確定情報だ。こちらから攻撃を仕掛けなければ生存確率もそれなりにある。
交渉を試してみたいなら、リリがひとりで魔界に降り立てばいいだけだ。梨丸に『最強種を倒してくれ』などと依頼する必要はない。
だが、手札が交渉オンリーでは決裂した時点でリリは死ぬ。妹のリアは助からない。それがわかっているから彼女も梨丸に依頼しに来たのだろう。話し合いが駄目なら暴力で解決するしかないと。少女は無謀でも自殺志願者でもなく、可能な限り選択肢を増やそうとしているのだ。
リリはベッドの上に背中から倒れ込んだ。大の字になって天井を見上げている。ワンピースの柔らかい生地が、スタイルの良さを浮かび上がらせていた。
「妹を見捨てて生き延びるのはとても罪深いことだと思うの、ワタシは」
「……それもお父さんの影響?」
梨丸の知り合いにクリスチャンはいないので、その考えが宗教的なものなのかはわからない。
「どうなのかな……別に
「そういえば前もそんなことを言ってたね」
「そうだっけ」
少女はふふふと微笑した。
「——たぶんそこまで家族とべったりってわけじゃないんだけどね。両親が同じような状況になっても、たぶんワタシはここまでのことはしないはず」
「でも別にリリは親が嫌いってわけじゃなさそうだよね?」
「うん。ド田舎暮らしだったけど、それなりに幸せな生活を与えてもらった。ただお父さんもお母さんも結構好き勝手する方で、それぞれ親の反対を押し切って結婚して、今の生活に落ち着いたみたいだし」
「ああ、フランスから日本だもんね」
「うん、ワタシはフランス時代の記憶ってほとんど無いんだけど。何か凄い反対されてたみたいだよ? せめて住むなら東京にしてくれって」
「国際結婚ってそんなことも考えなきゃいけないのか……」
「だってフランスから羽田に降り立っても、そこから電車を乗り継いで何時間もかかるし。今時珍しいディーゼルエンジンのローカル鉄道だし、本数も少ないし」
「ここでまた田舎自慢?」
梨丸は笑ってしまった。遠足前とは違い、今している準備の先に待ち構えているのは死出の旅だ。とても笑ってなどいられない。だが、だからこそ危険な未来を笑い飛ばしてやろうという意地が湧いてくる。
上半身を起こしたリリは不敵にほほえんでいた。
「したいのは田舎自慢じゃなくて家族自慢。そうやってやりたいことをやってきた両親だから、もしものことがあっても人生に悔いはないはず」
「わりとドライだね」
にっこり笑うと、すぐに少女の表情が
「でも妹は違う。あの
「そういえば、リリの趣味って何なの?」
今まで共に行動してきて、彼女のことを何も知らないのだと梨丸は気付いた。随分長い時を過ごしてきたように感じるが、実際はひと月足らずの関係でしかないのだ。
少女は恥ずかしそうに自嘲した。
「えー? ただのガリ勉だよ。田舎だとできることも少ないから」
「そうなんだ」
「まあ、でも? ワタシだってそこそこ遊んできましたけど。友達だけでテーマパーク行ったり、東京に遊びに行ったり」
それは梨丸の予想とおおむね合致していた。美人ではあるが化粧っ気は少なく、どこか素朴な感じのする少女。少年と同程度の田舎に住んでいるなら、同じように東京の娯楽や文化に触れる機会が少なかっただろう。
ふと、リリは寂しげに笑った。そこには飾り気のない本心が表れていた。
「——でも妹は違う。リアはまだ遠出とか許してもらえないし、いつも田舎は退屈だってぶーぶー言って……だから姉として妹の人生を繋いであげたい。妹が助かる可能性があるのに、それはリスクが高いからって逃げてワタシだけ生き延びても、たぶんその先の人生はずっと味気ないものになる。ワタシはそんな風に後悔したくない」
姉が妹に向ける
ゴルゴーンの前にひとりで立つというのは限りなく危険な賭けだが、梨丸はリリの意見を尊重した。
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