アガペー——魔界に響く姉妹の愛1

 今までの度重なる調査で、ゴールデンゴルゴーンの行動範囲はだいたい把握できている。


 普段は本栖湖もとすこ東側の市街地にいることが多かった。お気に入りの建物を日々転々としているようで居場所は一定しない。

 次に多く目撃されるのが湖の東側砂地での水浴びだ。あれだけの美貌を誇るだけあり、身だしなみに気を遣う綺麗好きなのだろう。

 本栖湖の北側道路——通称【本栖もとすみち】から富士山を見学しているらしき姿もたびたび目撃されている。


 全ての探索士は魔界最強種を避けるために本栖湖南側ルートを通るのが普通だが、今回は標的がその最強種なのだ。梨丸たちは北側ルートを進んだ。


 アスファルトの道路に恐竜の重い音が響く。道の左手は山になっていて、角度高く護岸整備されている。ズシン、ズシンというその振動で、急角度な山体が崩れてこないだろうかと心配になるほどだ。


 右手に見える本栖湖では、今日も元気にサメが泳いでいるようだった。湖面を遊泳する背ビレを見ていたら、梨丸はふと思ってしまう。


「魔界のサメのフカヒレっておいしいのかな?」

「え……こんなときになに?」

 リリはあきれ顔になる。だが緊張しているよりはずっといい表情だ。


 足を止めないまま少年は続ける。もちろん周囲を警戒するのも忘れない。

「いや別に。でもさ、お通夜顔で歩いてても良いコトないよ。帰ったらなに食おうかとか考えてる方がリラックスできる」


 少女も少しだけ笑顔を取り戻したようだ。

「そもそも魔界のサメって釣れるの? こっちが逆に食べられちゃわない?」


「どうなんだろ……そもそもサメって釣るもんなの?」

「重さが何百キロもあるなら無理なんじゃないかな……梨丸は魔界のモンスターって食べたことないの?」

 普段から狩ってるのに、とリリの小さな顔は問いかけてきた。


「あれさあ……末端価格が無駄に高いんだよね」

「末端価格って、言い方……」

 少女はふふふと笑った。


「いや実際プレミア価格で売れるのは助かるんだけどさ。お試しでマンティコアの肉を食べたことあるけど……」

「マンティコア?」

 一般人ではあまりパッと思い浮かばないモンスターだろう。リリは記憶をサーチしているかのようにぼんやりと魔界の青空を眺めていた。


「ああ……基本はライオンの身体で、そこに人間の頭とコウモリの翼が生えてるやつ。あと尻尾に毒があるっぽい」

「そんなのまでいるんだ」


「でも硬いし臭みもあるし……高いカネ出すようなもんじゃないよあれは。俺らにとっちゃモンスターの肉は売りもんであって食いもんじゃないね」

「……記念に1回くらいは食べてみたいかも」


 そんなことを話しながら、旅は淡々と進んでいった。

 湖の東側まで行くとトンネルが口を開けている。


 そこを抜けると道は湖から逸れてしまう。左右とも木々に囲まれた、延々と続くストレートな道だ。茂みの中からの襲撃に警戒しながら歩くと、やがて道が開けてくる。

 道路の右側が駐車場、左が観光案内所の建物だ。


 もしここが地上なら、馬車を引いたティラノサウルスが車道を練り歩く姿は派手に注目を集めてしまうだろう。よそ見運転による交通事故を誘発してしまうかもしれない。


 だがここは深い深い地下世界、魔界だ。車など走っているはずがなく、同僚の魔界探索士の姿もなく、幸いモンスターの影もない。


 ここからはいつどの建物からゴールデンゴルゴーンが出てくるかわからない。歩行速度を落とし、慎重に進む。

 だがその用心深さも無駄になった。市街地にはゴルゴーンの姿がなかったのだ。


 梨丸は足を止めて紙の地図を広げた。

「さて……どっち行くかな」

 リリもそれをのぞき込んでくる。

「あとは水浴び場か南東部のキャンプ場?」


「だろうね。これだけ派手にティラノの足音響かせてんだから、町中にいれば出てくるはずだし」

「ああ……いよいよなんだね」

 魔界最強種と出会ってしまったらもはや引き返せない。生きて帰れるかも危うい戦いだ。少女はバックパックの肩紐を強く握った。


 梨丸も改めて装備のチェックをする。すぐ手に取れる位置に下げているものだけで、短弓、矢筒、槍、太めのタコひも、それよりも太いロープ、にかわ入りの革袋、筆記具一式。ポケットにはナイフ。バックパックに残っているのは水や食料などいつ捨ててもいい物ばかりだ。


「まあ水際から順番に見ていこう。いつばったりエンカウントしてもしてもいいように心の準備をしといてね」

 少し歩くとふたりと1匹は水辺に着いた。以前、逃げていったユニコーンがゴルゴーンと遭遇した場所だ。


 ティラノサウルスが湿った砂地に大きな足跡をつけ、ドスドスと歩いて行く。そのあとを馬車が通りわだちを作る。少年少女はその後ろを歩いた。


 砂地には砂利や小石が多く、低い草が生えている。見晴らしはいい。

 湖の中になにかが潜んでいるような様子もないようだ。念のため水辺からは距離をおき、砂地を南に歩いていく。


 リリは腰が引けた姿勢で大きく後ろを振り返っていた。足跡や轍が派手に残っているので、それがモンスターに見つからないかと心配しているのだろう。

 それとも単純に、前回の遭遇場所なので過剰に怖れているのか。

「いないねえ……ゴルゴーン」


「そうだね、水辺の平気そうだし、道路の方から突っ込んでくる様子もないし。やっぱ南東のキャンプ場かな?」

「梨丸がゴールデンゴルゴーンの戦いとみたのって、2回ともここだよね」


「そうそう」

「で、そのときのユニコーンもドラゴンも即死だよね?」


「あれはヤバかったね。攻撃の衝撃が遠くまで届いてさ」

「もし今回もここで遭遇しちゃったら、ワタシたちが3回目の被害者になるんじゃないかって思ってたんだよね」


「ああ、たしかに縁起が悪いねそりゃ」

 敵が居なかったことの安心感から口も回る。そんな雑談をしながらザクザクと砂地を踏みしめた。あとは道路に上がってキャンプ場方面へ向かい、まばらにある建物をしらみつぶしに探すしかないか——と思っていたら。


 道路方面に動く物が見えた。

 梨丸は反射的に弓を握る。

「待った!」


 少年の声で、少女もティラノサウルスもピタリと歩みを止めた。梨丸はそのままティラノサウルスの尻尾と馬車の接続を切り離す。メインアタッカーの動きを阻害する物は少しでも少ない方がいい。


 不審物が見えた方向を観察する。もしかしたら枝が揺れただけかもしれないが、少しでも不自然な物には注意を払わねば魔界では生きていけない。


 おそらく道路を進んできたであろう生き物は、駐車場のアスファルトから草地に降りてくる。道路側の砂地は草が多いのだ。

 ザリザリと砂をかき分けながら進むヘビの下半身。その上に存在する美麗な女性の上半身。鮮やかな金髪と、エルフのように尖った耳。カラシリスという半透明のローブ。そして万能細胞を入れているとおぼしき肩掛け鞄のサコッシュ。


 魔界最強種の1体・ゴールデンゴルゴーンだ。


 敵が全く警戒することなく進んでくるのを見て、リリは後ずさった。

「来た……来た!」


 少年は怖じ気付くことなく数歩前に出る。

「よりにもよってこんな縁起の悪いところでか……」


 おそらくはティラノサウルスの足音を聞き、遠くに居たゴルゴーンが様子を見にきたのだろう。

 敵は明らかにこちらへ視線を向けている。だが襲いかかってくることはなく、数十メートルの距離をおくと彼女は止まった。そして手招きをしてくる。


「オイデ、オイデ」

 妖艶な美女のその仕草は、地球最強生物ティラノサウルスに対する挑戦状か。それとも脆弱な少年少女を可愛がろうという博愛精神か。


 リリはバックパックを下ろした。恐怖を決意で抑え込んでいるのか、その表情はぎこちない。

「ワタシが行く。梨丸は待ってて。なにかあったら妹のことお願いね」


「まかせろ」

 そうして少女は両手を挙げながら、ゆっくり魔界最強種の方へと歩いて行った。その姿はまるで警察官に投降する犯人だ。だが魔界のモンスターは国家権力ほど甘くない。少しでも刺激すればその瞬間に死が訪れるだろう。


 ——がんばれ!

 戦闘態勢に入っているティラノサウルスを制止しながら、梨丸は心の中で応援した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る