決戦の日

 もう2度と帰れないかもしれないと思うと、歩き慣れた林道も輝いて見える。梨丸は緑の鮮やかさに眼を薄めた。


 ひと月をかけて可能な限りの準備はした。これが現状での万全だ。

 2040年4月の朝。大気中にはまだ朝靄あさもやが残り、肌寒い。世間の人は、近くの河口湖などで花見を楽しもうと準備をしている時間だろう。


 ——なのに俺たちはモンスターとの殺し合いか……。


 そう思うと梨丸の口から苦笑が漏れる。

 あとは魔界に降り立って、最強種ゴールデンゴルゴーンと雌雄を決するのみ。生きるか死ぬかの勝負が始まるのだ。


 厩舎きゅうしゃから魔界の突入杭までの短い距離を歩いただけで、胸の動悸どうきが止まらない。梨丸は深呼吸しながら恐竜あいぼうの顔を見上げた。


 地球の歴史上最強の生物といっても過言ではない、陸の王者・ティラノサウルスのネック。彼が勝てないようでは、もはや魔界最強種の討伐は不可能だろう。だから何としても勝たなくてはならないのだ。勝てると証明しなくてはならないのだ。


 体重10トンのティラノサウルスが歩くだけで地響きが発生し、周囲の木々は葉がざわざわとこすれる。神経が高ぶった今では、その葉音もヒーリングミュージックのように感じられた。


 恐竜にかれるのはほろのない馬車。軸に金属ベアリングなどは使えないのできしみ音が大きい。万が一ゴールデンゴルゴーンをすんなり倒せたのなら、これに乗せて地上へ持ち帰るのだ。それにいくらの値が付くかは想像もつかない。


 そして隣を歩くリリ。もはや覚悟は決まり、甘えや遠足気分などは欠片も感じられない。彼女は梨丸より多めの荷物を背負っている。いざというときの武器の扱いは少年の方が手慣れているからだ。


 しばらく歩けば、そこは地上に別れを告げる魔界の突入杭。その発電所じみた建物に入り、魔界という地下大深度世界へ潜るための【適応室】でしばしの待機。ティラノサウルスは巨大すぎるので別室だ。


 準備完了のランプが光り、奥のハッチが開く。そこはすぐに大地の大穴——魔界への垂直下降リフトだ。隣のハッチからはちゃんとティラノサウルスも出てくる。


 リフトは2機揃っていた。魔界に人が降り立っているなら、必ず1機はリフトが下に降りっぱなしになる。つまり今は魔界に人がいない。

 そして、もし梨丸たちが目的を達成できなかったら。少年少女が『未帰還者』として扱われたら、リフトは帰りを待つことなく地上に上がってしまう。


 そうならないことを願って梨丸はリフトに乗り、安全確認をしてから下降ボタンを押した。

 1時間超の下降時間で、人生最後になるかもしれない雑談をリリと楽しんだ。


 リフトが最下層まで降り着き、ゴゴンと派手な音が鳴る。あとは一直線の洞窟ダンジョンを抜ければ魔界のスタート地点だ。

 梨丸はリフトを降りた。そしてゴツゴツしたダンジョンの地面にバックパックを下ろし、武器の準備をする。洞窟の壁には等間隔で照明が付いているのでそこまで薄暗くはない。


「リリもここで準備してった方がいい」

「わかった」


 少年少女は鞄をあさる。武器といっても敵を倒すためのものではない。

 梨丸は矢筒やづつを腰のベルトに装着してから、短弓ショートボウを一旦地面に置いた。


「ゴブリンモードを忘れないで。モンスターを倒すのはこのネック。人間を傷つけないように調教を受けてるから、敵に襲われたとき俺らが近くにいると本気で戦えなくなる。だからそういうときはすぐに距離をとってから、飛び道具系で援護えんごする」


「うまくできるかな……」

 リリは緊張の面持ちで、畳んだ投げあみをベルトにくくりつけていた。


「俺らが下手に手を出すとかえって邪魔になっちゃうから、その辺は臨機応変かな。基本的に接近戦になってるときは余計なことをしない方がいい」

「……うん」


 梨丸は槍のチェックをする。丈夫な樫の棒オークポールにメガロドンの歯を装着したものだ。歯の固定が緩んでいないのを確認すると、槍の固定具フックをベルトに引っかける。


 全体重をかけてノコギリ状の歯を押し込めば、モンスターにもそれなりの有効打になるだろう。もっともそれで仕留められなかった場合、無事でいられる保証などないのだが。


「こういう武器を使うのは本当にどうしようもないときだと思って。全滅寸前のとき、逃げるため敵にブン投げるとか。間違ってもピンピンしてるモンスターをこれで倒そうとしたらダメ。死ぬよ」

「逃げる……エルフの万能細胞を取れなくても逃げるの?」

 リリの手が止まる。それは、妹を見捨てて自分だけ生き残ることへの罪悪感なのか。


「逃げるべきだ。生きてさえいれば何度でもやり直せる。ヤケクソの突撃は絶対に禁止だよ」

「そうだよね」

 少女は再び手を動かし、ロープ束をベルトに固定した。


「そう。いざってときは荷物も全部捨てていい。この馬車もレンタルだし」

 梨丸はそう言いながら立ち上がり、馬車のチェックをする。

 幌のない馬車はティラノサウルスの尻尾に固定してある。それはすぐに外せるようになっているが、陸の王者のパワーなら馬車ごと尻尾を振り回せるだろう。


 最終チェックも終えたのでゆっくりと歩き出した。

 100メートルも歩いた洞窟の終わり、その一歩手前で足を止める。


 人の世と魔界を隔てる境界線——魔界の境目さかいめは今日も半透明の青い薄膜で遮られていた。この不思議な防御装置が、生体素材以外の通過を阻んでいるのだ。


 それをじっと見てから、リリは梨丸に顔を向けてくる。それなりに緊張は取れているようだ。

「この境目ってどうにかならないのかなあ……」


 それは全ての魔界関係者が思うことだ。しかし原理は不明でも、実際に生体素材以外は境目を通過できない。今までに数々の実験でそういう結果が出ている以上、そういう現象だと諦めるしかないだろう。


 梨丸は腕を組んでうなずいた。

「これさえなけりゃ武器でも何でも持ち込み放題になるんだけどねえ」

「モンスター素材の強度試験って論文で読んだけど、刀でモンスターの皮膚くらいは切れるみたいなの。骨は無理みたいだけど」


「そう。魔界のモンスターは明らかに骨が普通じゃない。ゴゴちゃんがドラゴンを素手でぶっ飛ばせたのも、骨格に秘密があるんだろうけど……」

 それを確認する手段は存在しない。確認の直前か直後に殺されてしまうので、その結果は持ち帰れないのだ。


「今洞窟の外でモンスターが待ち構えてたら、タイミングとしては最悪だね」

 リリはくすくすと笑った。魔界初体験でヒグマが瞬殺された出来事を思い出したのだろう。だがそれを笑い話にできるくらい精神的に成長しているなら、この先も問題はないはずだ。


 梨丸も軽く笑った。

「まあ今回はティラノがいる。こいつをぶっ倒せるモンスターってそうそう居ないよ?」


 そしてティラノサウルスに合図をする。ネックはズシンズシンと足音を響かせて魔界の境目に巨大な頭を突っ込んだ。

 ネックの頭部が魔界の境目を通過した瞬間、洞窟の出口側上部から何らかの生き物が飛び降りてきた。だがティラノサウルスに何らかの攻撃をすることもなく、そのモンスターは派手に羽ばたきながら青空を飛び去っていった。


 リリがぼうっとした顔でモンスターの後ろ姿を見送っていた。

「なに今の……」


 だが梨丸にとってはよくあることでしかない。

「ああ、吸血鬼だね」

「そんなのまでいるんだ……」


「正確にはただの血を吸う生き物。見た目はデカいコウモリ。それが立ってると人間みたいに見えるから吸血鬼って呼ばれてるだけ」

「逃げてくれて助かったね」


「まあティラノの皮膚ひふには歯が立たないだろうし」

 全長15メートルを誇るティラノサウルスの全身が魔界の境目を完全に通過した。そしてネックは巨大な身体の半分だけ振り返り、小さな前肢(まえあし)で手招きをしてくる。


 その可愛らしい仕草に梨丸は勇気づけられた。

「大丈夫みたいだ」

「ええ……それじゃ」


 リリは最後に振り返ってから、今まで歩いてきた洞窟をじっと見つめる。これが人の世界との最後の別れになるのだ。そうしてしまうのは梨丸も理解できる。普通の人間ならここで引き返すだろう。ここで逃げても誰も文句を言わない。リリの両親も、娘が命を投げ出すことを望んではいないだろう。


 魔界最強種との戦いとは、それほど成功率の低い賭けだ。


 だがリリは再び前を向いた。洞窟の外側——モンスターがはびこる魔界へと。

 少女の目差しは力強い。命を捨てに行く人間のものではなく、チャンスを拾いに行く冒険者の目だ。


 梨丸は左の手の平に右の拳を打ち付けた。パァンという音が洞窟の出口で反響する。

「よっし、行くか! たとえゴールデンゴルゴーンをブチ倒せなくても、エルフの万能細胞だけは何としてもブンってこよう!」


 綺麗なライトグリーン目をうっすらと涙で滲ませながら、リリは力強くほほえんだ。

「ええ……ありがとう、本当にありがとう」


 そうして少年少女は魔界の境目を通過し、人の世界へ別れを告げた。

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