オーバーレイテッド——用心深さにも限度がある4

 リリと共に東京の病院に駆けつけても、梨丸は車の中で待っていた。相手の親も来ているらしいので、部外者が家族に割り込むのは遠慮したのだ。


 1時間も経ったころ、リリが車外から窓をノックしてきた。もはや外は夕暮れだ。少年は窓を開けた。

「梨丸も来てくれない? ひとりで話を聞くのはちょっと……」


「親は一緒じゃないの?」

「お母さん具合悪くなっちゃって……お父さんがホテルまで連れて帰った」


「そうか……わかった」

 梨丸は車を降りた。足取りのおぼつかないリリは少年の腕につかまりながら何とか付いてくる。


 ◆ ◆ ◆


 リリの妹——花野井はなのいリアは以前の個室ではなく、集中治療室ICUに移っていた。


 数床すうしょうのベッドが並び、それぞれに数台のディスプレイが付属していた。患者の容態をモニターしているのだろう。梨丸にはよくわからない機材がいくつも置かれ、そこからおびただしい数のチューブが伸びて、患者に接続されている。


 リアの様子は以前と変わりなさそうではあった。肥大化した右足などがさらに悪化したような様子はない。


 だが、直接見ているわけではないので詳細は不明だ。部外者は入室禁止につき、主治医のデスク上の画面越しに集中治療室内を見ているに過ぎない。


 以前と同じように少年と少女が並んで座り、医師と対面する。リリは先ほどからずっと口を閉じたままうつむいているので、代わりに梨丸が聞いてみた。

「たしか話では余——」

 余命、という言葉を使いかけて慌てて別の言葉を探す。

「——半年から1年は大丈夫だって聞きましたけど……」


 医師はカルテや画面にちらりちらり止めを向けながら話し始める。

「なにしろリアさんの病気は症例すら少ないのです。あくまでも病状の進行具合からそう予測しただけですので」


「薬とかでもう少し症状を遅らせるのってできませんか?」

 まだ魔界突入準備は万端ではないのだ。もうしばらくは時間が欲しい。しかし医師は首を横に振る。疲れているのか、その言葉はとげとげしい。

「詳しい症状は話せませんが、少なくとも素人が思いつくようなことは全てやっていますよ」


「たぶん未承認薬ですけど、魔界のモンスターを配合した治癒ちゆ促進剤なんかもあります。そういうのも試してもらえたんでしょうか」

「あなたは遺族ではないので、詳細はお伝えできません」


 その言葉を聞いた瞬間、リリは肩をびくりと震わせた。


「遺族?」

 家族の言い間違いではないかと梨丸はいぶかしむ。それとも、医学的にもう助からないと確信しているのでポロッと本音が出てしまったのか。


 医師は失言に気付いたのか、すぐに表情を取り繕った。

「ご家族が希望するなら、可能な限りの延命はします。しかしいつまで続けられるかはわかりません」


「カネですか?」

「この件については国からの補助金が出ています。金銭面での問題はないはず。リアさんの身体がどこまで耐えられるかが勝負です」


「期限は?」

「何とも言えない……脳や心臓が無事なら1ヶ月程度は……」

 医師はため息を漏らした。言葉遣いも変化しているので、素が出ているのだろう。梨丸としてもその方が話しやすかった。


「厚労省や魔界管理局が確保してる万能細胞を、あの子に使ってあげることは可能ですか?」

「馬鹿なことを……省庁の万能細胞は保管場所すら極秘。うちの院長ですら現物は見たことがない。それにこの日本に難病患者が何万人いると思ってるんだ。リアさんだけを特別扱いしては法の平等に反する」


「こっちとしちゃ、あとひと月あれば準備も金策も整うと思うんですけど……本当にリアさんは1ヶ月持ちこたえてくれるんでしょうか?」

「正直何とも言えない……臓器の代わりになるものは病院に揃っている。機材と輸血を総動員して最長でも1ヶ月。しかしね、脳がやられてしまったらどうにもならない。それがいつになるかは予想も付かない」


「魔界まで万能細胞を取りに行くのに足りない装備がいくつかあります。それを買うための補助金とか制度とか、何かありませんかね? 一応これも医療目的なんで」

「そんな制度は聞いたこともない」


「くそっ……」

 素人が側にいてもできることはない。魔界探索士としてできることをやるしかないのだ。

 梨丸は病院を後にした。リリは病院内でひと言も発しないままだった。


 車に乗ったあとで、助手席に座った少女が久しぶりに口を開いた。そのライトグリーンの目はフロントグラスをまっすぐ見ているが、非常にうつろな雰囲気だ。

「足りないお金っていくら? ワタシが何とかして集めてみるから」


「たぶん個人じゃ買えない。恐ろしく高いよ?」

「いくらくらい?」


「銀座のビルを土地ごと買えるくらい」

「……なにそれ」

 そのつぶやきは、あまりの高額さと、それが手に入らない己の無力さを呪っているような響きがあった。


「俺らは庶民だからそんなものは買えない。今回の件も俺や君が権力者だったら、省庁の万能細胞を妹さんに使ってそれで終わり。でも俺たちには何の権力もない。だから自分たちでなんとかするしかない」

「なんか悲しいね」


 あまり悲しくなさそうな声音でリリはそう言った。

 それが逆に絶望の深さを意味しているようで、梨丸は息を飲んだ。


「とにかく今日はゆっくり休んで。それであした準備をして、あさって魔界に突入する。親御さんにもそう説明しておいて」

 場合によってはそれが遺言になる可能性もあるからだ。今まで正攻法でゴールデンゴルゴーンを倒した人間は存在しない。命を投げ出しても入手できる可能性は低い。生きて帰れる保証はどこにもない。


 だがやるしかないのだ。

 赤の他人の梨丸ならこのまま逃げることもできる。しかしここで逃げるようでは、魔界富士の山頂には一生挑めないままだろう。


 そこに君臨する、魔界の帝王である『ドラゴンの憤激王』には現状勝ち目がない。他の魔界最強種を倒して、それらが持つ魔界の秘宝を手に入れてこそ、初めて勝算が見えてくる。

 最強種のうちの1体・ゴールデンゴルゴーンなど、その通過点でしかないのだ。


 なぜ父親がドラゴンに食われなければならなかったのか。

 魔界という空間はなぜ不思議なモンスター生態系が確立しているのか。


 残酷なタイムリミットを突きつけられて、梨丸は改めて初心を思い出した。


 リリはそんな少年に不安そうな視線を向けてくる。

「勝てそう?」


「勝てそうもなにも、元々魔界探索なんて無謀な冒険でしかない。アタマがまともだったらあんな危険地帯に行かないよ。最強種はデタラメに強いし、生態系は目茶苦茶だし」


 平和な日本の町中に長くいるとどうしても忘れてしまう。地球の支配者である人間も、魔界では弱小生物でしかないのだと。近代兵器の一切が持ち込めないその空間に、多くの人間が理不尽を味わい、そして死んでいった。しかしそれでも魔界へ行こうという人間はあとを絶たない。


「——でもそういう理不尽が許せない人間もいるんだよ。謎を解明したいんだよ。なんでモンスターが言葉をしゃべるのか。なんでドラゴンの帝王が父ちゃんを口にくわえて巣に持って帰ったのか。前人未踏の魔界富士の山頂に立ったら、そこから何が見えるのか」


 それが安っぽい男のロマンだと思ったのか、リリは力なくつぶやく。

「勝ち目がなさそうならあなたは無理に行く必要ないよ」


 家族ではない者のために命を懸けるのは馬鹿げているという意味なのだろう。しかしそれは魔界探索士にとって侮辱になり得る。梨丸は力を込めて言葉を返した。


「ここで魔界最強種からビビって逃げるようじゃ、俺は一生前に進めない。それにね、安全に勝てる戦いなんて魔界には無い。そんなリスクを承知でモンスターを狩りに行くのが現代の冒険者——魔界探索士なんだから。俺は行くよ」

「ありがと」

 リリは少しだけほほえんだ。ガラス越しの夕日が少女の金髪を柔らかく輝かせていた。

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