オーバーレイテッド——用心深さにも限度がある3

 それからは準備に追われて日々が過ぎていった。


 前回と同じような調査もたびたび行った。ゴールデンゴルゴーンの出現確率が高い場所はどこか、どの建物に潜んでいることが多いのか。生きた情報は自分の足で調べるしかない。


 探索士仲間との付き合いも重要だ。個人で調べられる範囲には限度がある。お互い企業秘密はバラせないが、活動報告をしあうのは業界の慣例だった。定食屋での何気ない雑談や、厩舎きゅうしゃ前での情報交換で思わぬヒントが手に入ることもある。


 梨丸は武器の作成に念を入れた。抜けたサメの歯をやじりやナイフに加工するのは手間がかかる。生物素材以外が持ち込めない魔界では、歯や骨が最強の武器になるのだ。

 リリは鳴沢町に居続けることはなく、定期的に千葉の実家や東京の病院に戻っていた。


 花見をする余裕もなく、気付ば4月。

 そんな慎重すぎる姿勢は周囲から笑われることも多かった。梨丸がリリからゴールデンゴルゴーン討伐依頼を受けたというのは町中の噂になっている。初めて出会ったあの日、路上で引き受けたからだ。


「せんぱ〜い、ちょっと時間かけすぎじゃねえっスか?」

 ある日の喫茶店内、梨丸がひとりで討伐計画のチェックをしていたときのこと。

 隣のテーブルに若手の探索士集団が陣取って、そのリーダー格が話しかけてきた。同じ高校のクラスメート同士で、ボロ儲けを夢見た4人がチームを組んだのだという。


 魔界探索士は名前さえ書ければなれる。なのでひと昔前なら暴力団や半グレ集団という反社会的組織に流れていた人材が、2040年現在では探索士を目指すことが多かった。当然ガラも悪く、業界全体が社会から眉をひそめられる一因にもなっている。


 梨丸はそんな粗暴集団にはあまり関わらないようにしていた。だが最低限のコミュニケーションをする程度の情はある。


「敵は魔界最強種だからね。どれだけ準備してもし足りないってことはないよ」

「でももうすぐひと月ッスよね? あの美人ちゃんにお願いされてから」


「相手はドラゴンを殴り飛ばすような生き物だからね。生き残るためにはしっかり準備しないと」

「それハナシ盛ってねえっスか? オレもゴゴちゃん実際見たコトあるけど、あのガタイでドラゴンぶっ飛ばすのは無理っしょ」

 後輩はクククと薄笑いした。


 だが梨丸はそんなものに構っている暇はない。テーブル上に広げたノートには現地の地形と必要物資のチェックリストなどが書いてある。特に逃走経路の検討は最重要だ。たとえ勝てなくとも生き残れば次がある。最悪、ティラノサウルスを見捨ててでもリリを連れて帰還しなければならないのだ。


 持っていく武器も厳選する必要がある。無駄に数だけ持っていっても実際に使えるものは少数だ。単純な武器よりもロープやにかわなど補助用品の方が勝利に貢献してくれるだろう。魔界で人間が武器を手に戦うというのは、本当に追い詰められたときの最終手段なのだ。


 重い鞄を背負いながらでは機動力が削がれ、置いた鞄から道具を物色すれば時間と注意力が削がれる。モンスターを前にそんな悠長なことをしていては、こちらが狩られてしまう。

 なので梨丸は狩る獲物や場所に応じて、作戦や荷物の最適化をする。そのための計画策定は人出のある喫茶店内などの方が集中できるのだ。


「俺はまだ死にたくないからね。やれることをやるだけ」

「オレが先にゴゴちゃん倒してエルフの万能細胞を取ってくりゃ、あの美人ちゃんに何でも言うこと聞かせられるんスよね? 『何でもします!』とか言ってたし」


「彼女がそれで納得するならそうなんじゃないの?」

「へえ……あの子はアンタのオンナってワケじゃねえんスか?」


「今んとこそんな余裕はないよ。最優先なのは生き残ること。魔界でもイチャつくような探索士カップルが、揃って『未帰還者』になるなんてワリとあるし」

 梨丸が今ひとりで作業しているように、四六時中行動を共にしているわけではない。リリにはリリの都合があり、人生があるのだ。


 後輩探索士はなぜか首を過剰に傾け、嘲笑ちょうしょうに口をゆがめた。

「あんな可愛い子をこんなに待たせて……敵を過大評価しすぎじゃねえっスかね? 魔界“最強種”なんて誰が名付けたかわからねぇダセぇ称号にビビって」


「100点だと思ってた敵の戦力が、実際は1000点だったって実際この目で見ちゃうとねえ……」

 最強種たちがただの野生動物の『バージョンアップデート版』だったなら、それほど苦労はしなかっただろう。少年はつい苦笑してしまった。


 梨丸がいつまで経っても挑発に乗ってこなかったからか、後輩探索士は舌打ちをする。

「ま、オレらが魔界のモンスターども狩り尽くして、あっという間に先輩たちブチ抜いてやりますんで」


「そうしてもらえると助かるよ」

 梨丸はノートを閉じてホットココアを飲んだ。後輩探索士たちのテーブルに注文品が届き、大人しくなってくれたからだ。


 そして悩んだ。

 時間をかけただけあり、準備はだいたい終わった。あとはそこに現金をどれだけ突っ込むかだ。高品質な武器や道具。特にモンスター素材の武器は優秀だ。だがユニコーンの角1本だけでもここらに家が建つ。戦闘中に紛失や破損した場合はその金額が一気に消えることになる。


 魔界探索士は収入も多いが維持費もかかる。預金残高は生命線なのだ。かといって探索士は社会的信用がまるでなく、銀行からは借りられない。

 なので手持ちの現金で何とかするしかないのだが、使い切るのもまずい。


 魔界最強種ゴールデンゴルゴーンという勝ち目の薄い相手に、どこまでやるべきか。負けて死ねばそれまでだが、生き残れば次がある。


 ——でもスッカラカンになったら商売あがったりなんだよなあ……。

 梨丸はココアの苦みと同時に人生の苦みをも味わった。


 厩舎きゅうしゃも慈善事業ではない。維持費が払えなかった場合は預けている恐竜あいぼうたちが競売に出されてしまう。それでは困るのだ。

 この戦いで人生を捨てるわけにはいかない。生き残った場合を考えて行動しなければならない。難しい選択だ。


 そこへ、誰かが喫茶店内のドアを乱暴に開けて入ってきた。


 リリだ。

 少女は店内にざっと視線を巡らせ、少年を発見すると一直線にテーブル脇まで突き進んできた。魔界へ入らないときの彼女はファッショナブルだ。カトリック系である父親の影響からか、控えめなアクセサリー類と清楚なワンピース姿。そこに整った容姿も合わさり、店内の客から非常に注目を浴びていた。


 だがそのライトグリーン大きな目には涙が溜まり、表情は非常に切羽詰まっている。

「ねえ梨丸、妹が大変なの! 容態が急変したって!」


「容態? でも半年から1年くらいは大丈夫だって……」

 さすがにのんびりココアを飲んでいる場合ではないと思い、梨丸は席を立った。

「とにかくすぐ来て! 東京の病院まで!」


「わかった」


 突如現れて店内の視線を独り占めしたリリに、後輩探索士たちも無遠慮な目を向けていた。品評なども始める始末だ。

「天然の金髪だ……」

「脚なげーな」

「顔面が良すぎる……マジで一般人かよ」

「万能細胞取ってくりゃこの子に何でも命令できんの……? 最高じゃん」


 しかしリリにはそのような外野の声など聞こえていないようだった。

 梨丸もすぐに荷物をまとめる。無礼な後輩をたしなめる精神的余裕はない。リリの妹の命を心配することと、今後のことに心が占められてしまう。


 もうひと月ほどは準備と金策に時間をかけたかったが、謎の病気はそれを許してくれなかったようだ。少年は慎重に慎重を重ねることで今まで生き延びてきたが、用心深さには限度がある。


 人間の計画や思惑など、無慈悲な運命によってたやすく粉砕されてしまうのだ。

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