最も凶悪な生物1

 魔界の調査が終わった翌朝、梨丸は鳴沢町の喫茶店でリリと向かい合っていた。朝食がてら、今後についての話し合いをするためだ。


 山梨県鳴沢町には世界唯一の魔界突入杭があるので、観光も主要産業のひとつである。観光客向けの派手な店舗も多い。そんな中でここは“昭和レトロ”をコンセプトにした純喫茶なので、長話をするには適している。


 梨丸は普段通りの作業着姿だが、リリも昨日来ていた魔界用ワンピースのままだった。以前まとめ買いしていたから何着かで着回しているのだろうか。

 梨丸はファッションアイテムについては詳しくないが、そのほとんどは金属や宝石、アクリルなどだろう。魔界には持ち込めない物ばかりだ。魔界に潜るのが日常となればおしゃれなどしている暇はない。少女も探索士の流儀に染まりつつあるのだろうか。


 魔界最強種の怪物ぶりを目の当たりにしたばかりだというのに、リリは落ち着いていた。やや投げやり気味に少女は話し始める。

「そもそも梨丸に依頼する前、エルフの万能細胞を譲ってくれないかってお願いに行ったんだよね……厚労省こうろうしょうとか元探索士の人に。でも全然相手にしてもらえなくて……」


「ああ……まあ時価5000億円だからね……」

 梨丸としてはリリの行動力に敬服するが、同情する気にもなれなかった。昨日目撃したとおり、圧倒的怪物を倒して戦利品を手に入れるのは非常に困難だ。モノが無いからこそ、値は際限なくつり上がる。それをぽっと出の少女にくれてやろうなどというお人好しは存在しないだろう。


 リリはウインナーコーヒーにも手をつけず、落ち込みながら話を続ける。

「最初お役所の方に行ったんだよね。事情を説明して必死にお願いしたのに、本当に話すら聞いてもらえなくて……やっぱ国のお偉いさんが重い怪我とか病気になった時のために、取っておいてるのかな……」


 梨丸はキャラメルマキアートの甘さを味わってから、苦々しい思いを抱きつつ説明をする。

「そういう噂もあるね。だってあれってどんな病気でも治せる反則レベルなんだから。カネ持ちならどんだけ出しても欲しいと思うよ。逆に考えると、エルフの万能細胞さえチラつかせりゃ相手にどんな要求でも通せるってことになる。そうやって魔界管理局と厚労省が国を裏から支配してる……なんて陰謀論もあるくらいだし」


 魔界管理局は首相府直下の組織であり、突入杭をはじめとした関連施設の一切を管理している。

「それで次は元探索士の社長さんに会いにいったんだけど……」


「ああ渋谷の」

「そう。知ってるの?」


「業界じゃ有名だよ。たまたまエルフの万能細胞を手に入れて、それを国にぱらって現役引退。で、会社作って即金で渋谷のビル1棟丸ごと買ったって」

 その会社は豊富な現金を背景に買収を繰り返し、今や魔界関連企業の最大手だ。

「それで、こっちは怖そうなお姉さんだったけど……社長室に通してくれて話は聞いてくれたの。でも酷いこと言われて、もう悔しくて……」


「あの人なあ……」

 同業者として梨丸はその社長がどんなことを言ったのかは想像できる。


「頑丈なアクリルケースに入れた万能細胞を手にしながら『これはあんたの人生を丸ごと売っても買えないような貴重品だ』って……すぐ目の前にあるのに、それさえあれば妹が助かるのに」

 リリは口をきつく閉じた。形の良い唇が充血により赤みを増す。


 梨丸はどう話そうか悩んだ。事実関係をそのまま説明すれば目の前の少女に追い打ちをかけることになる。だが同業者としてその社長の言いたいこともわからないではない。


「昨日リリも見たとおり、ゴールデンゴルゴーンを正攻法でブチ倒すのって相当無理なんだよ」

「うん。そんな貴重品を赤の他人に譲れないっていうのはわかる。でも……」


「あの社長も鬼じゃないよ。むしろ魔界探索士としては優しい方」

 少年は、かつて関係者から聞いた当時の話を頭の中で再構成する。

「——あの社長さん、昔は幼なじみ4人でチームを組んでたんだって。それで魔界の奥地を探索しようってときに、あの本栖湖の東でたまたまゴールデンゴルゴーンに遭遇しちゃった。そこで例のあれだよ。あの怪物が『オイデオイデ』って」

「……あれ人間にもやるんだね」


「そう。それで社長以外は全員男だったみたいで、それにふらふらと引き寄せられちゃったみたいなんだよね」

「え……でもあれが魔界最強種だってことは探索士なら知ってるんだよね?」


「あれねえ……わかってても止められないっていうか、男として本能的に『お近づきになりたい』って思っちゃうものなんだよ。悲しいことに。あんな美人さんだし、服がシースルーだし」

「そーなんですか……」

 リリの機嫌がわずかに悪くなったような気もするが、梨丸は話を続ける。これは魔界のモンスターを語る上で重要なことだからだ。


「リリはさ、動物が綺麗だなって思ったことない? 走ってるときの馬とか、飛んでるときの鳥とか」

「少しは」


「ああいう動物って、走るとか飛ぶとかって性能を追求するために身体が最適化されてる。で、人間ってそういう『機能を追及した身体』っていうのに憧れるものなんだよ。機能美ってやつ。戦闘機とかスポーツカーとかもかっこいいけど動物もイイ」

「男子はそういうの好きだよね」


「実際見たとおり、魔界のモンスターってのは地上の動物と似ててもその強さが圧倒的に違う。リリだってあのユニコーン見て綺麗だって言ったでしょ?」

「……まあ」


「ドラゴンなんかもそうなんだよ。巨体でゴツくて怖いけど、でも震えるくらいに美しい——本能的にそう思っちゃう。そんな魔界に君臨してるのが最強種たちなんだから、強くて美しくて憧れる。そんな生き物が目の前にいたら、魅力に逆らうのは難しいんだよ」

「まあすごい美人ではあったけど……命を捨ててもいいって思うほど?」


 リリは疑問に首をかしげる。目の前の男が自分以外の女を褒めているので気分を害したのかもしれない。

 これは男女間では絶対にわかり合えない感覚差なのだろう。梨丸は苦笑した。


「作り物じみた美しさがあるんだよ、魔界最強種たちには。超一級の美術品みたいに、誰でも『もっと近くで見てみたい』って思っちゃう。それでいてゴールデンゴルゴーンみたいな超美人ともなれば、男はもう問答無用でふらふらついて行っちゃうもんなんだよ」

「それで、誘惑されちゃった探索士の3人は?」


「素手でそのままやられたみたいだね。で、そのうちのひとりが最後の力で社長さんの方にサメの歯のナイフを放り投げた。そこにエルフの万能細胞の切れ端がくっついてたと。彼女は必死に地上まで逃げ帰って、魔界管理局にそれを報告した」

 リリはその話に身を乗り出してきた。

「万能細胞を直接持ってたってこと!? やっぱりあのサコッシュの中に入ってるのかな?」


「サコッシュ?」

「ええと……あの小さい肩掛け鞄のこと」


「あああれそんな名前なんだ。その辺は不明だね。企業秘密らしくて教えてもらえなかった」

「でもその可能性が高いよね。近づければ可能性はあるんだ……」

 リリは何やら考え込んでしまったが、梨丸は話のしめに入る。


「それで大金持ちになった社長さんは、幼なじみの遺族に莫大な補償金を払ったって噂だよ。遺族の何人かを会社の役員に迎え入れてるみたい。彼女にとってエルフの万能細胞ってのは、仲間の命を犠牲にして手に入れたモノ。半分は売ったけど、残る半分はたぶん墓まで持っていくんじゃないかな」


 なので人命救助のためとはいえ、赤の他人には渡せないほどの貴重品なのだ。その意思は決して覆せないだろう。

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