ゴールデンゴルゴーン対ユニコーン1

 魔界という危険地帯では勝利の余韻よいんひたる余裕さえない。

 梨丸は周囲を警戒しつつ、すぐに行動を再開する。ユニコーンの走り去っていった北側を見据えつつ、リリに話しかけた。


「あいつの逃げった方向が、地上でいう本栖もとすの市街地。ゴールデンゴルゴーンはそこと湖の間にいることが多いから、特に注意して」

「う……うん」

 リリも延々と失態に引きずられているほど子供ではなかった。


「大声も厳禁。人間の声って結構遠くまで響くから」

「マスク持ってくればよかったかなあ……」


 特に注意を払いながら湖畔の道を進みはじめる。

 やがて西側の木々が途切れ、その先に駐車場が見えてきた。もちろん魔界に自動車は持ち込み不可能なので、ただの空き地ではあるのだが。


「待った」

 梨丸は制止した。ヴェロキラプトルはすぐ少年の足下に寄ってきた。リリもすぐさま木陰に身を隠してくれる。


 木々が途切れるということは、姿を晒すということだ。地上でなら駐車場から車が飛び出してこないか注意する場面だが、この魔界ではモンスターの視界に入らないことが生死を分ける。


 ——ゲームみたいな視界遮断しゃだん魔法があれば苦労しないんだけどなあ……。

 そんなことを思いながら、少年は視界が開けている湖方面を観察した。


 道路から湖の間は砂利の砂地だ。キラキラと陽光を反射する湖面の水際に、ユニコーンがいた。前傾姿勢になった馬体は筋肉で盛り上がっている。明らかに戦闘態勢だ。

 そしてそれに悠然ゆうぜんと対峙していたのは異形の怪物。


 上半身は美麗極まりない金髪女性の姿、だが二本脚の代わりに生えているのは太く長いヘビの胴体。

 魔界最強種の1体、ゴールデンゴルゴーンだ。


 相手まで100メートル以上は離れている。木々に加えて雑草も伸びているので、大きな音でも立てない限りそうそう見つかりはしないだろう。


 リリは木陰から顔を出し、標的を凝視していた。とても尊いものを見るような目で。

「なにあの美人……どこかの女優が特殊メイクでもしてるんじゃないの?」


 少女がそう思ってしまうのも無理はない。その上半身だけを見るなら、ゴールデンゴルゴーンはどの人間よりも美しく整った顔立ちをしているのだから。


 凶悪な魔界のモンスターとは思えない穏やかな目差し。その黄金の目は見る人を魅了し、多くの魔界探索士をおびき寄せ、そして葬り去ってきた。白い美肌には透明感があり、血色も良い。頬などは特に柔らかそうだ。


 中でも特徴的なのは、先端が少しだけ長く尖っている通称エルフ耳。耳骨じこつがどのようになっているのか、生物学者の間では議論が分かれている。だがそれを触って確かめたことのある人間は、その情報を地上に持ち帰ることなく全員死んだ。


 ボブカットに整えられた金髪を普段どのように手入れしているのかも、謎のひとつだ。


 豊かな胸元と、そこからゆるやかにカーブを描く引き締まったくびれ。丸みを帯びたヒップの先からは、ただ茶色い鱗のヘビの下半身。砂利の上にうねうねと伸びるそれは、軽く10メートル以上はあるだろうか。


 モンスターらしからぬ装着品も持っている。

 ゴールデンゴルゴーンは半透明のローブを着用していた。古代エジプトのファッションアイテムである、カラシリスという珍しい服だ。そして小さな革の鞄を肩から斜めがけしている。


 そんな容姿の、やや過激な服装の女優が町中を歩いていれば、あっという間に人だかりができてしまうだろう。しかしここは地上ではなく魔界だ。梨丸は息を飲んだ。


「こんな危険地帯に来てくれる女優さんなんていないよ。残念ながらあのヘビみたいな下半身もエルフみたいな耳も、全部本物」

「信じられない……」

 リリは魔界に来てから何度その言葉を口にしただろうか。


 梨丸は羽根ペンを手に取り、メモ帳にゴルゴーンの特徴を記していった。もちろん相手から目を離さないままでの走り書きだ。


【本栖湖東の水際、ゴゴちゃん。少し欠けた右耳、たぶん末っ子個体。単独行動】


 そんな魔界最強種と相対してユニコーンは殺気立っていた。ではその相手であるゴールデンゴルゴーンはなにをしているのかというと。


『オイデ、オイデ』

 風に乗ってかすかな声が聞こえてくる。


 異形の美女はユニコーンに手招きをしていた。戦闘準備が整ったモンスター相手に、無防備な仕草でおいでおいでと誘っているのだ。


 その声を聞いた瞬間、リリは驚愕の顔で振り返り、梨丸の口元をじっと見てきた。もちろん少年は妖艶な女声など出せない。少女はそれを確認すると再び遠方のゴルゴーンを見つめ、つぶやく。

「信じられない……本当にモンスターが言葉を話すなんて……っていうかなんで日本語なの? おいでおいでって言ったよね?」


「最強種はだいたい言葉を話すよ。なんで日本語なのかはよくわからないけど」

 魔界には謎が多すぎる。言葉の問題はその中でも特に重要視されていた。対話できればこの空間の謎が解明できるからだ。

 だが、モンスターたちは基本的に人間を目の敵にしている。『相対すれば死を免れない』と名高い魔界の頂点と会話を成立させるのは、あまりにも困難だ。

「——気をつけなくちゃいけないのは、言葉が通じるからって会話が成り立つとは思わないこと。実際、学者系の人が何人か話を聞きに行ってそのまま死んでる」


「……わかった」

 標的と遭遇した以上、行軍はここで終わりだ。あとはひたすら相手を観察するだけである。だがメモに没頭する暇はなかった。


WHHEEEEEEEヒヒイイイイイイイ!!」

 激しいいななきと共にユニコーンが突進した。軽く頭を下げ、太い木を切断できるほど凶悪な角を突きつけながら。


 対するゴールデンゴルゴーンは両手をだらりと下げている。誘惑が通用しなくてがっかりした——という雰囲気すら感じられた。とても戦闘中だとは思えない。


 西洋の重装騎兵が行う馬上槍突撃のように、ユニコーンの角が美女に迫る。

 だがゴールデンゴルゴーンはその角を片手で握って止めた。尻尾の接地面が若干後ずさったものの、全くパワー負けしていない。日本刀より切れ味鋭い角をぎゅうっとつかんでいるのに、その指が落ちることはなく血液すらにじんでいなかった。


 全力疾走してくる馬を力技で止められる人間など存在しない。その馬体重とスピードはあらゆる人間を蹂躙じゅうりんしてきた。人類史上、馬は長らく最強の機動兵器だったのだ。


 体格差からいって絶対に止められないであろうぶちかましを、いともたやすく制してしまう。それが魔界最強種の神秘だ。華奢きゃしゃな上半身のどこにそれほどのポテンシャルを秘めているのかは、解明されていない謎である。


 ユニコーンは大きく身をよじっているが、もはや進むも戻るもできないようだった。その馬体に1本の細い影がよぎる。

 ゴールデンゴルゴーンが尻尾を大きく振り上げていたのだ。


 ヘビのような尻尾が大きくしなり、上から下に振り下ろされる。それはまるでむちだ。人間が扱う鞭ですら、その先端は亜音速あおんそくにまで達する。それが大木のような尻尾で行われたのだ。


 ゴルゴーンの尾の先端が、ユニコーンの首筋を直撃した。

 堂々たる馬体の首があり得ないほど折れ曲がる。


 ユニコーンはそのままどうっと横倒れになった。細かく痙攣けいれんしているが即死だろう。


 あまりにもあっけない決着だ。ヴェロキラプトルの攻撃をひたすら受け止め続けたユニコーンは、魔界最強種の一撃によって殺された。

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