ヴェロキラプトル対ユニコーン1

 魔界のスタート地点から本栖湖を南回りで進むと、左が湖、右がなだらかな山林地帯になる。湖面には数匹分のサメのヒレが遊弋ゆうよくしていた。興味を惹かれたようで、リリがそちらを指さした。

「湖にサメがいるって本当だったんだ……」


「地上ならこの辺キャンプ場で、湖にボート浮かべて楽しむ人もいっぱいいるんだけどねえ。魔界じゃ水に落ちたら即死だよ」

 梨丸は前後左右にくまなく目を光らせながらアスファルト上を並んで歩く。先導してくれるヴェロキラプトルが反応しないからといって、付近にモンスターが潜んでいないとは限らないのだ。人間と動物は感覚器官の性能も違うので、相棒として補い合うのが生き残りの秘訣である。


 リリはきょろきょろと辺りを見回した。

「それにしても、あっけないくらい平和だね。もっとモンスターがうろうろしてるって思ってたけど」


「まあ野生動物なんてそんなもんだよ。普段は縄張りの中で過ごして、獲物を狩るときくらいしか表に出てこないもんでしょ。これがゲームだったらザコ敵が均等に配置されてるんだろうけどね」

「そっか。モンスターっていっても基本は野生動物なんだ」


「そうそう。それに本栖湖の東側はゴールデンゴルゴーンの縄張りだからね。そこを突破してこっちの北西方向まで来るモンスターは少ない。例外は森の中を駆け抜けるような小型のやつか、もしくは空を飛んでくるやつくらい」

「それって、あのドラゴンの群れのことだよね……」


 見てはいけないものを見るかのように、リリは控えめな視線を南東に向けた。

 本栖湖から南東を見れば富士山がある。それは地上と同じだ。


 だが地上との最大の違いは、そこがドラゴンの巣になっていることである。

 富士山の頂上付近や中腹を、多くのドラゴンたちが飛翔していた。遠距離から見れば豆粒のような存在でしかない。だが実際その巨体はティラノサウルスと同等かそれ以上だ。接近してくるような雰囲気があれば、真っ先に身を隠さなくてはならない。


「でもドラゴンはあんまり他の生き物を襲ったりしないみたいなんだよね」

「そうなの? でも梨丸のお父さんは……」

 梨丸の父はドラゴンの憤激王にくわえられて、縄張りである富士山頂に連れ去られた。そのまま食われてしまったのかはわからないが、生きてはないだろう。


「うん、うちの父ちゃんの場合は例外。ドラゴンって普段なに食ってんのかわからないくらい、獲物を狩ったりしないんだよ。たぶん魔界のスタート地点で待ち構えてるのは、モグラ叩きみたいな遊び感覚。昨日のヒグマもたぶんどっかに捨てられたはず。人間を連れ去っていくのも興味があるから。カラスが光り物を巣に持って帰るみたいにさ」


 実際に魔界の帝王と相対した者でなければ、その恐ろしさは理解できないだろう。人類と同等かそれ以上の知能を有する、会話可能な知的生命体。約束や契約の概念をも持つ。魔界最強種とは全個体がそのような高等生物なのだ。


 ドラゴンの食性が不明だとわざわざ口にしたのは、親の遺体が富士山頂に残っているようにという無意識の願いなのか。

 だから、ドラゴンのねぐらにたどり着ければ親の遺骨や遺品のひとつくらいは見つかるはずなのだ。現在の梨丸にとってそれは遙かな高みなのだが、いつかは到達すべき場所である。


「でも昨日……」

 リリの目の前でヒグマが殺された一瞬の出来事。口で心配ないと言われても納得はできないのだろう。少女は遙か彼方のドラゴンを見つめたまま足を止めてしまう。


 梨丸は彼女を励ますために振り向いた。少し先を歩いていたヴェロキラプトルが引き返してきて、少年の足にすり寄ってくる。

「あれくらい遠けりゃ大丈夫だよ。別にマッハで飛んでくるわけじゃないんだから。それにドラゴンってあんまり目は良くないみたいだし」

「……そうなの?」


「うん。だからもしドラゴンがこっちに飛んできたらすぐ森の中に隠れること。そうすりゃ逃げ切れるよ。ドラゴンとしても、森の木をバキバキ倒して獲物を追うってのはあんまりやりたくないみたいだし」

「そうなんだあ……」

 安心したのか、リリは再び足を動かし始めた。ヴェロキラプトルのハヤテが早足で少女を追い越す。


 右の森の中でモンスターが息をひそめているという雰囲気もない。左の湖方面から何者かが飛び出してくる気配もない。正面の道路から怪物が突進してくる姿も見られない。静かな木漏れ日の中を少年少女と恐竜は淡々と歩いて行った。


 やがて湖と山に挟まれた道は終わり、開けた場所に出た。

 梨丸は足を止め、周囲を警戒してから地図を広げる。


「ここが湖の南東部——地上だとキャンプ場になってるところね。で、ここから少し北東に進んだところが市街地。ゴゴちゃんはその市街地か近くの水辺にいることが多い」

「もうすぐなんだ……」

 リリの顔に一層の緊張が走る。


 梨丸は声を落とした。

「こっから市街地までは森になってるから注意しながら進むよ。この辺は他のモンスターもわりと出る」

「わかった」


 本栖湖の北西から南東までの半周、地上ならゆっくり歩いても1時間程度で踏破できる。だが周囲を警戒しながら進むのは予想外に時間を食う。魔界に時計は持ち込めないので体内時計や魔界の空に浮かぶ太陽に頼るしかないが、すでに2時間は経過しているだろう。


 暗くなる前に戻れなければ命が危ない。だが焦って進めば命を落とす。

 歩行速度を落として湖畔の道を進む。視界にわずかな違和感を覚えたので、梨丸は足を止めて小さく指示を下した。


「待った!」

「ふぁい!」

 リリは大袈裟なほどに身を震わせ、先を進んでいたヴェロキラプトルは大人しく戻ってきた。


「あそこ、いるよ」

 数百メートル先——右前方の木々の奥で、真っ白な馬が草をんでいた。ただの馬ではない。その頭部には輝く1本のつのが生えている。


 魔界のモンスター・ユニコーンだ。


 まだこちらには気付いていないようだ。

 梨丸は木の陰に隠れるよう指示をする。

 リリは木から顔を半分出し、あこがれの眼で純白の一角獣を眺めていた。


「すごい……綺麗……」

 少女の言うとおり、その馬体は優美だ。盛り上がった筋肉を優しく覆う、艶のある白毛。木漏れ日に輝く金色の角と尻尾。


「ね。競馬のサラブレッドもかっこいいけど、こいつも凄い。乗馬教室に連れていけばあっという間にスターホースになるよ。乗りこなせればの話だけど」

 梨丸は冗談を言いながら周囲に目を走らせる。前後左右から樹上に至るまで、他にモンスターの気配はなさそうだ。


 リリは顔を引っ込め、少年を見上げてきた。

 なぜか同じ木に身を寄せ合っているので、ほぼ密着だ。改めてリリを至近距離で見ると、そのライトグリーンの目は非常に明るく透明感があった。積もった枯れ葉や土の匂いに混じり、少女の甘い体臭が香ってくる。

「ねえ梨丸……ユニコーンも凶悪なモンスターなの?」


 梨丸は胸の高鳴りを抑えるために深呼吸をした。

「うん。馬力は普通の馬と大して変わらないけど、あの角が厄介なんだよ」

「あんな細い角が?」


「あれはロングソードだと思った方がいい。下手に近づいたらこの辺の木ごとばっさりやられるよ。逆に言えば【ユニコーンの角】は魔界探索士としても最強レベルの武器になる」

「梨丸は持ってないの?」


「ないね」

「え……意外。ティラノサウルスならユニコーンにも勝てるんじゃないの?」


「まともにやり合えば勝てるんだろうけど……ほら、ユニコーンってこういう森の中でしか見かけないから。うちのティラノじゃ狭くて入れないんだよ」

「ああ……ドラゴンが森の中に入りたがらないみたいに」


「そう。どっかひらけた平野部に群れててくれれば普通に戦えるんだけど、そんな場所見つかってないからなあ……」

「買うと高いの? ユニコーンの角」


「スポーツカー1台分くらいはするね。だからユニコーンを倒せたときは、あの角を根元からえぐり取って持って帰ればイイ稼ぎになる」

「……なんか可哀想」

 少女が慈愛の目を向けてくる。


 普通の人間は、動物を殺すのに慣れていない。動物愛護の精神が行き渡った現代人は、理由を問わず動物の殺傷を“可哀想”だと思ってしまう。それが立派な体格の馬ならなおのことだ。


 だが現代の超実戦的ハンターである魔界探索士は、そんなことを言っていられない。

 魔界でモンスターに情けをかけるのは、自らの命を投げ捨てるのに等しいのだから。


 梨丸はベルトにくくりつけた革袋の中に羽根ペンを差し入れた。革袋の中には海綿が入っていて、そこにイカスミを吸わせてあるのだ。これは、鉛筆もボールペンも持ち込めない魔界での筆記具である。

 そして地図に丸をつけた。ユニコーンとの遭遇地点だ。音がしないように地図を畳み、ポケットへ入れてから軽く息を吐いた。


「あのユニコーン、やるよ」

 少女が驚きの声を上げる。

「えっ、やるって……殺しちゃうの?」


「いや、今の戦力じゃそれは無理。ただ俺たちがこのままゴゴちゃんの捜索を続けるとなると、あのユニコーンに背中を見せることになる。それはまずい。だからちょっと威嚇してどいてもらうだけ」

「でも……」

 納得がいかない——といった感じでリリは視線を下に向けた。足下ではヴェロキラプトルが尻尾を丸めて待機している。


 つい先ほど梨丸が『人間はモンスターと戦うべきじゃない』と言ったばかりなのだ。なら戦闘要員はヴェロキラプトルであるとリリは思い至ったのだろう。


 ユニコーンは堂々たる体躯たいくの馬。体重はおよそ500キロ前後。

 対するヴェロキラプトルは非常に長い尻尾を持つものの、身体はせいぜい中型犬サイズ。厩舎での測定では全高60センチ、体重はおよそ20キロ。


 これを人間にたとえるなら、乳幼児が横綱に挑むようなものだ。


 だがヴェロキラプトルのあしには非常に獰猛な鉤爪がある。持ち前の俊足を活かして相手の懐に潜り込み、喉笛のどぶえき切るのが得意技だ。


 梨丸はニヤリと笑った。

「恐竜を甘く見ない方がいいよ。うちのハヤテはサーベルタイガーにも勝ったことがある。こんな体格ナリでも、間違いなく地球最強の生物種だったんだから」

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