恐竜使いの少年3

 院内を移動して診察室らしき場所に入った。医師がデスクの前に座り、少年少女がそのサイドに並んで座る。当然、医師の話し相手は患者の家族であるリリだ。

「花野井さん。あなた、騙されていませんか?」

「……え?」

 それを聞くと、リリは表情だけで梨丸に謝罪の意を伝えてきた。ここで少年が腹を立てて病室を出て行ったら、妹を助ける手立てがなくなってしまう——そんな顔だ。


 彼女から依頼をしに来たので騙すもなにもない。しかし医師からすれば魔界探索士など非常に胡散臭い職業に見えるのだろう。


「難病患者の家族を狙って詐欺師が近づいてくるというのはよくあることなんです。出来もしない治療の名目で高額な料金を請求する——という被害は相次いでいます。ですから医者としても忠告しないわけにはいきません」

 視線はリリに向けられているが、それは明らかに梨丸への言葉だ。だが少年はまだ黙っていた。ここで少女が医師に丸め込まれるなら、残念だが話はそれで終わりだ。信頼できない相手と協力態勢は築けない。


 金髪の少女は毅然と応じた。

「妹を助けるために、ワタシが彼を選んだんです。千葉から山梨まで直接足を運んでお願いに行きました。彼の行動に妹の命がかかっています。あまり失礼なことを言わないでください」


 リリがここまで強い言葉で反論するとは思わなかった。弱々しいお嬢ちゃんではないらしい。梨丸はこの時点で確信した。この妹思いの姉は信用できる相手だと。


 医師は皮肉げな笑みを浮かべながら『まあまあ』と少女を制す。

「いえいえ、あくまで患者のご家族がそれでいいと思ったのなら、医師はそれ以上立ち入れません。ですが医師である前に私もひとりの人間です。どうしても言っておきたいことがあります」


 そこで医師は初めて梨丸のことを見た。

「——あなたが魔界探索士? たしかに私も【エルフの万能細胞】については論文を読みました。厚労省こうろうしょうが確保していることも知っています。そして、小指の爪サイズのそれが時価何千億円で、手に入れるのにどれだけ多くの探索士が死んでいったのかも」

 明らかな疑いの目。診療に対して横やりを入れられたという医師のプライドもあるのだろう。


 だが梨丸はそれに反駁はんぱくするほど子供ではない。

 実際、魔界探索士は怪しげな職業だというのが世間一般の見方だ。

 魔界へは、生物や生物素材以外が出入りできない。何とも奇妙な空間なのだ。近代兵器を持ち込めないそこは、ゲームやアニメに出てくるような幻想生物モンスターたちの支配領域。


 当然写真や動画の撮影なども不可能。唯一のグラフィカルな資料は、現地まで行った漫画家が革袋に入れたイカスミを羽根ペンにつけて紙にスケッチしたものだ。

 関係者以外はその過酷な環境を知る手段がない。そんな場所へ出入りして若くして大金を稼ぐ、非常に死亡率の高い職業——誰がどう見ても真人間のやる仕事ではない。一般人がイメージするのは冒険者、もしくはただのごろつきだ。


「たしかに魔界探索士は胡散臭いと思われても仕方がありません」

 梨丸は反論しなかった。今回の依頼が成功するまで、患者の命を預かるのはこの医師なのだ。あまり刺激するわけにはいかない。

「——ですが魔界という空間は富士山の地下大深度に実際って、そこから得られる素材は様々な分野で役立っています。先ほどあなたが言ったように、お役所にはエルフの万能細胞のサンプルもある。小惑星の砂を取ってくるよりは楽ですよ。総理大臣も証明済みの、紛れもない現実の物体です」


「ええ、それは否定しません」

 医師はチラリとティスプレイの内容を確認すると、丁寧な口調で述べてきた。嫌味なほどに丁寧だった。

「——しかし探索士の死亡率が高いというのもまた事実。高リスクゆえ依頼料は非常に値が張る。恐竜のエサ代も大変でしょう。魔界では日本の法律が適用されないので、どんな無茶も通るというではありませんか。そんな荒っぽい魔界探索士アウトローに資産を吸い上げられてしまわないか心配しているのですよ。私は。患者のご家族を」


 医師と口論をしても何にもならない。梨丸はそれ以上事を荒立てず、やがて面会を終えた。


 ◆ ◆ ◆


 病院を出ると、梨丸はひとつ深呼吸をした。駐車場を歩きながらリリに決意表明する。

「いやぁ、何かスゴいやる気が出てきたよ」

「えっ?」

 リリはとても意外そうな顔をしていた。医師の言葉で少年がヘソを曲げて、依頼を受けてくれなかったらどうしようとでも思っていたのだろうか。


「まあね、実際あのお医者さんの言うことは正しいよ。俺たちなんてさ、この平和な現代日本で命のり取りをしてるような奴らなんだし。昔のドラマに出てくる【半グレ集団】より何倍もヤバいって」

 梨丸は晴れ晴れとした気分で暮れてきた空を見上げる。魔界がいくら広大な空間だとはいっても、地下空間である以上本物の空は見られないのだ。

「でも、あなたはお金のためじゃなくて家族のためにやってるんですよね?」


「正直言うと、魔界最強種のゴールデンゴルゴーンを倒して、エルフの万能細胞を手に入れて、それで妹ちゃんを完治させて——そしたらあの医者がどんな顔になるのか、見てみたくなったってのもあるけどさ」

 リリからの依頼を受けて、そして医師からの客観的な指摘を受けて、少年は初心を思い出す。


「——ドラゴンの憤激王レイジロードに食われた父ちゃんのため、俺は魔界富士の頂上を目指す。そのために今まで経験を積んできた。ドラゴンのねぐらまでたどり着けば、遺品とか遺骨のひとつは見つかるだろうからね」

「ドラゴン……本当にいるんですね」


「うん、実際この目で見た。父ちゃんを口にくわえて飛び去っていく姿を。ティラノサウルスよりデカい図体なのに空を飛んで、口から何かブレスとか吐いてたし。言葉をしゃべるしアタマいいし。正直まともにやり合ったら勝ち筋は見えない」


 その恐怖は実際に向かい合った人間しか理解できないだろう。理屈を超えた獰猛なオーラ。同じ生物とは思えない圧倒的な巨体。長射程広範囲の攻撃。それが天空から突如とつじょ襲いかかってくるという本能的な恐怖。

 それが魔界最強種の中の最強。魔界富士に君臨する帝王——ドラゴンの憤激王だ。


 人類など弱小生物だといやおうでも思い知らされる。魔界の行軍とはそのような状況下で行われるのだ。

 恐竜時代の哺乳類ほにゅうるいはネズミサイズだったという。ドラゴンと人間はそれと同じような性能差なのだろう。

「それでも戦うんですか?」


「そのために魔界最強種が持ってるっていう魔界の秘宝を集めるんだよ。人外のパワーを相手にするには人外のアイテムに頼るしかない。だからリリも俺に命を懸けさせるのを『心苦しい』とか『申し訳ない』とか思わないでいいよ。ゴールデンゴルゴーンなんて俺にとってただの通過点なんだからさ」


 ただきっかけが欲しかっただけなのだ。例えるなら、滑り台を怖がっている幼稚園児の背中を押してくれるような、最初の1手が。あとは生きるも死ぬも、止まらず滑り続けるだけ。


 やがて駐車場に止めていた車まで着く。運転席のドアを開けて乗り込もうとしたら、リリに片腕を掴まれてしまった。

 少女は何やら感動しているようで、頬が上気していた。

「梨丸さん、あなたは今とても輝いてます! あなたに依頼して良かった。妹をよろしくお願いします!」


 そう打ち震えるリリも、夕日を浴びて美しくきらめいていた。それはなによりも少年の原動力になる。


 ◆ ◆ ◆


 病院のあとは霞ヶ関かすみがせきの魔界管理局で手続きを済ませ、鳴沢町に帰るだけ。東京観光はまた今度だ。明日からはまた魔界へ潜って命の遣り取りが始まる。あまり町の平和な空気に馴染んでしまうと、いざというときの判断力がにぶるのだ。


 人間も所詮は野生動物けだものの1匹であると自覚しなければ、魔界では生き残れない。感覚を研ぎ澄ますのは重要なイメージトレーニングである。梨丸は気合いを入れて車を手動運転した。

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