二十二日目 金澤木乃花③

 十二月に入って二度目の『お試し期間』は、前回のものに比べて、あまいあまい時間になっていた。

 朝は最寄り駅から一緒に登校し、休み時間になるたびに会いに来る。そこで昼休みの約束を取りつけ――約束も何も、しっかり手作りのお弁当を持ってきているのだからそんなことをする必要はないのだが、

「お昼、一緒に食べましょうね。絶対ですよ。約束破ったりしたらイヤですからね。……先輩、大好きですからね」

 などと甘ったるい言葉を残して一年生の教室に帰っていく。

 金澤かなざわ木乃花このはという女の子は、完全に緩士ひろとに恋をしていた。

 緩士の方はといえば、ぎこちなく彼女の相手をしている。

 友だちとも違う。後輩とも違う。

 年下の、しかも自分のことを好いている相手にどんなテンションで接すればいいのかと戸惑っているようだった。

「というわけで、今日は一緒に昼食べてもらっていいか?」

 追い詰められたような顔で緩士が言ってきた。

「四時間目の前に昼ご飯の話をしないで。お腹が空くじゃない」

「お前の場合、昼休みに入ってから言ってたんじゃ間に合わないだろ」

 確かに、授業が終わるなり弁当を広げあっという間にたいらげてしまう私が相手では、その理由を説明する間もないだろう。

「緩士は金澤さんと食べるんでしょ」

「だから、俺と木乃花ちゃんと、お前の三人で」

「どうしてそうなるの」

 あまりの不可解さにその光景を想像することすら難しい。彼女ができた嬉しさを見せつけたいのか。

「そうじゃねえよ。なんていうか……二人だとこう、スキンシップが激し過ぎて」

 実に言いにくそうに打ち明ける。

 スキンシップが『激しい』上に『過ぎる』ときたか。

「見た目とはだいぶ違ったみたいね」

「俺も驚いた。最初はもじもじしてほとんど目も合わせてくれなかったんだけどな」

 手紙をもらった翌日から『お試し期間』がはじまり、今日で八日目。三日目くらいまでの金澤さんは、顔を真っ赤にしてうつむいてばかりで、緩士と話していても相づちを打つのが精一杯といった風だった。

 それが土日を挟むとガラッと変わる。

 緩士への好意を隠さず、他に人がいようがベタベタとくっつくようになったのだ。あまりの変わり様に土日に何があったのかと邪推するものが多かった。

 その変化に一番驚いたのは緩士だ。

 告白され、『お試し期間』を始めた直後こそ浮かれに浮かれていたのに、今は様子がおかしい。金澤さんと二人きりになるのを極力避けているようだった。

「このままだと、木乃花ちゃんのことを好きになれるかどうか……」

 信じがたい言葉を漏らす。

「緩士に限ってそれはないでしょ」

 なにせクラスの女子全員を好きと言った男だ。

「俺をなんだと思ってるんだよ」

「とてもいいやつだと思ってる」

 言うと緩士はちぇっと拗ねた。

「なあ、とにかくそういうことだから、いいだろ?」

「嫌だ。今年の昼休みは今日を入れてあと二回しかないんだから」

「そこをなんとか! 松田まつだには、今日は才苗さなえは訳あって参加できないってもう言ってあるから!」

夕莉ゆうりに? 夕莉はなんて?」

「『こっちは私に任せろ。健闘を祈る』ってさ」

 ぐっと親指を立てて言っていたと、夕莉の仕草を真似る。誰の健闘を祈っての発言か。

「それじゃあ、昼休み、頼むな。一人だけさっさと食い終わったりするなよ」

「ちょっと待って。勝手に決めないでよ」

 私を巻き込むなと最後に一言つけ加えてやりたかったのに、話の途中、男子に呼びつけられて教室の外へと向かってしまう。

 慌てて行った先には金澤さんがいた。

 二時間目の終わりにも来ていたはずだが――恋人たちには時間がいくらあっても足りないということだろうか。

 こちらの視線に気づくことなんてなくて、キラキラと輝く瞳は緩士だけをとらえている。

 彼女にとって、昼休みの私はきっと邪魔者でしかないのだろうなと考えると、もうため息しか出なかった。




「こいつ、俺の幼馴染みの植月うえつき才苗。で、こちらが金澤木乃花ちゃん」

 何が始まったのか理解できないまま、金澤さんは私に向かって会釈した。

 戸惑っているようだった。

 何か言いたそうな顔で緩士を見ているが、説明らしい説明もないまま不思議な昼食会が始まってしまったのだ。

「なんか、ごめんね」

 私は弁当箱を開いて、大きな口で白飯を頬張る。ご飯から行くスタイルだ。

「あ、いえ。そんな。……はい」

 戸惑いながらも可愛らしい弁当箱を緩士の前に置く。

 ハート型の卵焼き。野菜の肉巻きはニンジンやインゲンの彩りがきれいで。カボチャはマヨネーズを使ったサラダか。しっかり形が残っていながらほっくりやわらかそう。隣にはとろみのついた小松菜の炒め物とミニトマト。ご飯はキノコの炊き込みご飯。おかずの塩味を考えて、うっすら色づく程度の味付けだ。

 すべて金澤さんの手作りだという。

「しあわせものだね」

 私は言いながら、自分の弁当箱に詰められていた大ぶりの唐揚げを箸でつまんだ。作ったのはもちろん母だ。

「木乃花ちゃんの弁当、めちゃくちゃうまいんだよ」

 感心しっぱなしの緩士に対し、金澤さんは照れくさそうに笑った。そうしながら、ちらちらとこちらの様子をうかがっているようだ。

 目が合う。

 一回目はそそくさと視線をはずされた。

 二回目は、しばらく耐えた末そらされる。

 三回目でようやくしっかり見つめ合った。

「どうかした?」

 二つ目の唐揚げに箸をのばしたところ、金澤さんがきゅっと口を真一文字に結んだ。

 ためらいはほんの一瞬。

 勢いをつけて声を上げる。

「あ、……あの! い、いつも通りにしても、いいですか?」

 何カ所か声が裏返っていた。

 何のことかわからなかったが私は「どうぞ」と短く答えた。金澤さんの横で緩士が顔を引きつらせる。

 何が始まるのだろうと眺めていると、緩士が言うところの『激しすぎるスキンシップ』とやらが始まった。

 しがみつくように腕をからませ緩士の肩に頬を寄せ。ぴったりくっついたかと思うと、今度は上目遣いで顔を覗き込む。

 確かにこれはなかなかのものだ。

「木乃花ちゃん、昨日も言ったけど、人前でこういうことは――」

「恋人同士なんだからいいじゃないですか」

「いやでも、なんていうか、……なあ、才苗?」

 緩士はすっかり困って助けを求める。そんなことお構いなしで金澤さんは緩士の口に卵焼きを運んだ。

「恋人ってこういうものですよ。そうですよね、植月先輩?」

 今度は金澤さんが同意を求めた。

 謎の昼食会を開いた理由はこれか。緩士は私に公平な第三者として彼女の行きすぎた行為をたしなめてほしかったのだ。

 私はひとまず箸を置いた。あと二口くらいで完食できるのに。いつもならもうとっくに食べ終わって体育館に向かっているのに。

 そういうことも手伝って、呆れるだけでなく少しイライラしていた。

 二つの意見をぶつけられて、私は

「さあ」

 と答えた。

 もちろん、どちらからも不満の声が聞こえてくる。しかし私の知ったことではない。

「恋人がどういうものか知らないけれど、相手が嫌がることはしない方がいいとは思う」

 そうとだけ言って話を終えようとすると、意外なことに金澤さんが食い下がった。

「先輩は嫌がってません。照れてるだけです。ね、先輩」

 鼻にかかる甘い声で緩士に問いかける。

「ええと、それは」

 しどろもどろになる緩士。その姿に私は大きなため息をこぼした。

「困ってるなら困ってるってちゃんと言いなよ。言葉が足りなかったり誤魔化したりするのは緩士の悪いところだと思う」

 そうだ。そのせいで私は昼休みの楽しみを我慢する羽目になっているのだ。

 緩士は私の顔をじっと見る。

 まだ眉は八の字になったまま。

 しかし意を決したようで、そのままの顔で金澤さんと向き合った。

「木乃花ちゃん、俺、やっぱり人前でイチャイチャするのはちょっと抵抗がある」

「…………人前じゃなければいいってことですか?」

「そういうことでもなくて。なんていうか、もうちょっと節度を持ってというか」

 緩士が言葉を選んでいると、金澤さんはしゅんと小さくなった。

 今にも泣き出しそうな顔。

 緩士はいっそう困って取り繕う。

 見ていられなくなって、私はもう一度ため息をこぼした。

「まあまあお二人さん。『お試し期間』とやらなんだから焦らずゆっくり、ちゃんとお互い向き合って少しずつ進んで行けばいいんじゃないでしょうか」

 どの立場からの発言か自分でもよくわからなくなりながら二人の肩をぽんと叩いた。

 どこまで理解してくれたかは知らないが、金澤さんは眼鏡の奥で涙を滲ませながらコクリと頷いた。

 昼休みのバレーボールを休む羽目になったのだからせめてうまくいってくれと願う。

 しかしその願いはあっけなく打ち砕かれることになるのだった。





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