二十日目 金澤木乃花①
『暮木緩士様
突然こんなお手紙を書いてすみません。どうしても自分の気持ちを伝えたくて、でも直接言う勇気はないのでこういう形をとりました。
先輩がクリスマスまでに恋人を作ろうとしているらしいというお話を耳にしました。去年も同じようなことがあって、たくさんの方に告白をしたということも知りました。
今年もすでに何人かの方に告白されたのですよね。今はもう『彼女』ができてしまいましたか?
もしもまだなら、私にもチャンスをくれませんか?
私は、暮木先輩のことが好きです。
知らない人間からこんなことを言われても信じられないかもしれませんが、本気です。
もし私とのお付き合いを考えていただけるのならお返事ください。あ、駄目な場合もできればはっきり断っていただけるとありがたいです。そうじゃないとあきらめられないので。
勝手なことを言ってすみません。
お返事、お待ちしてます。
一年A組 金澤木乃花』
放課後、下駄箱で見つけた手紙にはそんなことが書いてあった。
「そういうものを、人の家で読むもの? その上、見せるもの?」
「だって、どうしていいかわかんないだろ、こんなの。これ、ラブレターだよな? 間違いないよな?」
喜びというよりは戸惑いを顔に滲ませて訴えかけた。
「今日は次の告白のために作戦会議をしようと思っていたのに、まさかこんなことが起こるとは」
「作戦を考える必要がなくなって良かったじゃない」
私はテーブルの上の封筒を手に取った。小さく控え目な文字で『暮木緩士様』と書いてある。パステルカラーでも派手な色でもなく、落ち着いたブルーブラックのインク。ワンポイントで描かれたフクロウは封筒を飾るイラストというよりは殺風景さを払うためのさり気ないスタンプのようで。
そのたたずまいに、いたずらの線は消していいような気がしたので、緩士に「おめでとう」と言った。今度こそ、おめでとうだ。
それなのに、当の本人は浮かない顔をしていた。
「好きでもない子と付き合うとか、いいのか?」
真剣な顔ですっとんきょうなことを言う。
「自分のこと知らないかもしれない相手に告白したのは、どこの誰でしょうね」
「あ」
言われて気がつくと、少しは前向きに考えられるようになったようで「じゃあ付き合ってもいいのか!」と声を上げたが、またすぐに考え込んでしまった。
腕組みをし、眉間に皺を寄せ、口を尖らせて。
「いや、でもやっぱりこの子のことまったく知らないしなあ。
そんなことを聞いてくる。
だいたい同じような交友関係の二人だ。緩士がまったく見当もつかないという一年の女子を私が知っているわけがない。
そもそもこの子の名前、何と読むのか。
「キノハナ? キノカ? ……あ! コノカとか」
っぽくない? と得意げな顔で言う緩士。音にしてみたところで、やっぱりその名前に覚えがない。
「どうしたもんかな」
「考えるまでもないでしょ」
「いや、考えるだろ」
うーんと唸りながら手紙とにらめっこする。
「好きって言われるのは嬉しいけど、やっぱり好きだって思えるやつと付き合いたいし」
緩士の表情は険しいままだ。
「あのさ、」
私は切り出しておきながら、紅茶をひとくち口に含んだ。口の中にはっきりとした味が欲しかった。でもそれはタルトタタンの甘さでは強すぎる気がしたのだ。
紅茶の苦みが喉に届いた。それをまぎらすように、私は言葉を発した。
「あのさ、小学校のときのこと覚えてる? 五年生のときだったかな。緩士、休み時間に好きな女子ランキングみたいのを発表しててさ。『やっぱり違う!』とか『あ、今変わった』とか言ってコロコロ変えてって。結局、クラスの女子の名前を一通り挙げたんだよね」
「え、俺そんなことした?」
ひどいやつだな、と苦い顔をしたが、私は「そんなことないよ」と首を横に振った。
「あのとき、私、緩士はすごいなって感心した」
「コロコロ変わるのに?」
「コロコロ変わったけど、どの子に対してもどこが好きかちゃんと答えられたの」
それはいわゆるそれぞれの『長所』のような部分で、誰の目にも明らかなものあれば、仲のよい友人でも気にしないようなささやかなものまで様々だった。
「緩士は人のいいところを見つけるのがうまいんだよ。だから、向こうから告白されたとしても何とかなる気がする。知らないからって断ってしまうのは勿体ないんじゃない?」
「そうか……。そうかもな。
便箋を手に取って、自分への好意を伝える文章をもう一度読み込んでいた。デレデレと表情を崩すことはなく、一行一行、しっかりと目を通す。その文章からさっそく良いところを探そうとしているようなそんな目をしていた。
「わかった。明日会いに行ってみるよ」
緩士はそう言って手紙をしまった。
スッキリしたのか、おあずけ状態だったタルトタタンを大きな口で頬張る。
母が作るタルトタタンは、タルト生地というよりはどっしりとしたパウンドケーキのような土台で、そこにカラメリゼしたリンゴの汁が染み込んでじわっとおいしいのだ。
緩士も今まさにその食感と風味を味わっているようで、ご満悦な様子だった。
「ところで、ひろくん」
緩士の食べっぷりにこちらも満足そうな母が会話に混じる。
「そのときは才苗ちゃんにもどんなところが好きか言ったのかしら」
興味津々という顔で尋ねるが――
「そういえば、言われてないな」
私は記憶を探って眉をひそめた。
あのときは、最初のグループに自分の名前が入っていたと記憶しているが、どこが好きだとかそんなことを言われた覚えはない。
これはどういうことか。
じとっと緩士に視線を投げると、気まずそうに目をそらした。しかしそらした先では母が待機している。
「そ、それは、ほら、アレだよ」
よくわからない言葉で誤魔化そうとする。
「別に、好きなところがないならないってはっきり言えばいいのに」
私が呆れて言うと、緩士は少し考えてからバツが悪そうに答えた。
「なくはないんだけど、才苗の場合はさ、嫌いなとこ挙げる方が簡単だから」
ちらっとこちらをうかがう。
「ちょっと言ってる意味がわからないんだけど」
好きなところはなかなか思いつかないけれど、嫌いなところならばいくらでも挙げられるということか?
「いや、そうじゃなくて、……お前勘違いしてないか? だから、お前の場合はなんていうか、好きなとこの数がだなあ――」
「そのままの意味よねえ」
母はニコニコ機嫌良く笑いながら「そうよね?」と緩士に確認する。緩士ははぐらかそうとしたが母のしつこさに観念して「その通りです」と頷いた。
「どの通りなんだか」
私がため息をこぼすと、母はそれ以上に大きく重苦しいため息を重ねてきた。
「我が娘ながら、ほんっとうに鈍いんだから。ひろくん、ごめんなさいね」
お詫びにと、タルトタタンの残りをお土産に持たせる。いつものようにすでに包んであったから、お詫びでなくても持って帰らせるつもりだったのだ。
そんなことは考えもせず、緩士は本当に嬉しそうな顔でそれを受け取った。
「それじゃあ、また明日学校で」
緩士はそう言って玄関に向かう。どうしてか最後まで私と目を合わせようとはしなかった。
「何、あれ。薄情なやつ」
緩士が後ろ手に閉めたドアに向かってぽつりとこぼす。
その後ろで母がまた、大きな大きなため息をこぼした。
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